35.お嬢さんへのプレゼント

 雛乃の看病の甲斐もあり、俊介は風邪から無事に復活した。あまり無理をしてほしくないという雛乃の要望を受け入れ、本日のデートはのんびりカフェ巡りである。

 穏やかな日差しが差し込む窓際のソファ席に腰掛けた雛乃は、クリーニングが面倒臭そうなモヘアのニットを着ている。十二月を間近に控えて冷え込みも厳しくなってきたが、暖房のよく効いた店内は軽く汗ばむほどだった。店内のインテリアに至るまで洒落たパティスリーは、某グルメサイトでも高評価を得ているらしい。


「お待たせいたしました。モンブランとミルフィーユ、アールグレイがふたつです。ご注文は以上でよろしいでしょうか」

「はい、ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ」


 店員が立ち去ったあと、雛乃はウキウキとスマホを取り出して、目の前のモンブランを撮影している。

 俊介の前に置かれた巨大な皿の中央には、八百円のミルフィーユがちょこんと乗っている。ケーキの値段と皿の大きさには、いったいどういった相関関係があるのだろうか。


「高い料理って、なんでやたらと皿がデカいんすかね。なんか損した気分になるんですけど」

「やはり余白の美しさが感じられるからではないでしょうか。無駄とはすなわち贅沢ですからね」

「皿洗い大変そうだな。バイトに同情します」


 相変わらずの俊介に、雛乃はくすくすと肩を揺らして笑う。

 俊介がミルフィーユにざっくりとナイフを入れた瞬間に、パイ生地が無惨にもボロボロになってしまった。


「ミルフィーユって、どうやって食べるのが正解なんすか。これ、綺麗に食える人間存在しないでしょ」

「もういっそ、横に倒してしまってはいかがでしょうか。マナー違反ではないそうですよ」


 雛乃はそう言って、自分のモンブランを綺麗に切り分けて口に運んだ。途端にふにゃっと緩んだ表情を見て、俊介は束の間の幸せを噛み締める。雛乃とのデートも、残すところあと二回だ。

 

 ――行かないで、ください。


 先日の俊介の言葉を、雛乃はすっかり忘れてしまったかのように振る舞っている。俊介にとっては、そちらの方がありがたかった。あれはただの熱に浮かされた男の妄言だ。俊介が泣こうが喚こうが、契約が終われば雛乃は他の男の元に行ってしまう。

 じくじくと痛む胸に気付かないふりをしながら、俊介は余裕の笑みを雛乃に向けた。


「そういや雛乃さん、来週誕生日ですね。どこ行きます?」


 恋人の誕生日に関しては、ファミレスに連れて行って振られた前科がある。デートの回数も残り少ないこともあるし、あまり雛乃をガッカリさせたくはない。彼女と過ごす最初で最後の誕生日を、最高のものにしてやりたい。

 雛乃はキラキラと瞳を輝かせながら、うっとりと言った。


「その件ですが。私、一度〝おうちデート〟というものをしてみたかったのです」

「……おうち……デート?」

「俊介のお部屋で映画を見たり、ピザやケーキを食べたりして、のんびり過ごしたいです。いかがでしょうか?」

「え!?」


 思わずフォークを取り落としてしまった。カチンと音を立てて床にぶつかった瞬間に、忍者のように現れた店員が新しいフォークを手渡してくれる。俊介は慌てふためきながら「すみません」とそれを受け取った。

 

「い、いや、俺の部屋なんか、雛乃さんが来るようなとこじゃないですよ。しかも誕生日に」

「あら、先日お邪魔したばかりではないですか」

「じゃあ、わかってるでしょう。狭いし汚いとこですよ」

「たしかに狭かったですが、汚いとは感じませんでした。俊介は普段しっかりお掃除をしているのですね」


 たしかにほどほどに掃除はしている方だが、そういう問題ではないのだ。

 俊介の脳裏に、歴代の彼女との〝おうちデート〟が蘇る。一人暮らしの男の部屋に彼女がやって来て、やることなんてひとつしかない。かつての俊介は、そういう爛れたデートばかりしていた。石田だって、そのあたりのことを危惧していたではないか。


「そんなの、石田さんが許しませんよ」

「石田のことは私が説得しますから、あなたは気になさらないで」


 こういうときの雛乃は頑固で強情だ。絶対に希望を曲げないに決まっている。

 俊介ははーっと深い溜息をついたあと、「……わかりました」と白旗を上げた。どうせ雛乃に他意はないだろうし、俊介だっておかしな真似をするつもりは毛頭ない。

 

「じゃあせめて、誕生日プレゼントぐらいは用意させてください。欲しいものないんですか」


 俊介の質問に、雛乃は胸に手を当ててじっと考え込んだ。問いかけたあとで、この人は欲しいものは何でも手に入るんだろうな、と考える。俊介が与えられるものなんて、きっと何ひとつとしてない。


「では、ひとつだけ。リクエストをしてもよろしいでしょうか」


 顔を上げた雛乃が、ぴんと一本指を立てて、要望を口にする。

 雇用主こいびとからの命令おねがいに、俊介は頭を垂れて「……かしこまりました」と答えるほかなかった。




 学部棟のラウンジでノートパソコンを叩いていた俊介は、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。渋い表情のまま、検索サイトのボックスにキーワードを入力して検索ボタンを押す。


『〝大学生 彼女 誕生日プレゼント〟 の検索結果一覧』


 ずらりと並んだ検索結果をスクロールしながら、俊介は深い溜息をつく。ブランド物のアクセサリーや財布や腕時計がいくつもでてきたが、なにせ雛乃は普通の女子大学生ではない。彼女にとってみれば、こんな安物オモチャに等しいだろう。


「……うわっ。アンタ、こーゆーの調べるキャラだったっけ?」


 突如として背後に現れた気配に、俊介は勢いよくノートパソコンを閉じた。振り向いて見ると、腰に手を当てた香恋が冷たい目でこちらを見下ろしている。


「ふぅん。へーえ。彼女の誕生日にファミレス連れて行った男がねぇ。あたしのときとは態度が違いすぎるんじゃない?」

「……へいへい、すみませんでした」


 俊介とて反省していないわけではないが、いまさら掘り返してもどうしようもないことだ。

 適当極まりない謝罪を述べた俊介に、香恋は深い溜息をついた。


「ま、あれでロクでもない男に見切りつけられたと思えば、別にいいんだけどね」

「そうだな。おまえは賢い女だと思うぞ」

「アンタが言うなっての。ところで、御陵さん誕生日なの? いつ?」

「今週の日曜」

「えっ、もうすぐじゃん。もっと早く準備しときなさいよ」

「ずっと考えてたんだよ。でも、何も思いつかなかった」


 香恋は呆れたように肩を竦めると、俊介の正面に腰を下ろす。


「まあ、たしかに。あれだけのお嬢様だと、誕生日プレゼントのハードルも上がりそう。適当な物あげられないわよねー」


 香恋の言う通り、〝御陵雛乃にプレゼントを渡す〟ことへのプレッシャーは半端ではない。なにせ持ち物はすべて一流品、望めば大抵のものは手に入る筋金入りのお嬢様なのだ。


「……食いモンにしようかな。雛乃さん、甘いもの好きだし」

「食べたら無くなるものって、彼氏からのプレゼントとしては結構微妙じゃない?」

「ネックレスとか指輪とか?」

「あの子が普段つけてるようなアクセサリーって、ゼロが5つぐらいついてると思うけど、アンタに買えるの?」

「……それは絶対無理。じゃあもう、薔薇の花束でも持ってくか」

「えー!? 人によっては喜ぶかもしれないけど、まあまあ博打よね。ちなみにあたしは絶対いらない派」

「あーもう、どうしろってんだよ……」


 俊介はスマホを放り出して、机にゴンと額を預けた。途方に暮れている俊介を見て、香恋は愉快そうにケタケタ笑い声をあげた。


「アンタがこんなことで悩んでるなんて、ほんっと面白いわー。動画撮っとこうかな」

「撮影料徴収するぞ」

「そんなに悩むなら、本人に欲しいもの訊けばいいじゃない」

「……もう訊いた」


 ――あなたが私のためにたくさん考えて、悩んで、選んでくれたものが欲しいです。


 雛乃からのリクエストは、〝何でもいいです〟と言われるよりもずっとずっと難しいものだった。自分のためにたくさん考えて悩んでください、だなんて――なんてワガママで憎らしくて、健気で可愛いお嬢様なんだろうか。

 俊介の言葉を聞いた香恋は、「なるほどねえ」と唇の両端をつり上げた。


「要するにお嬢様が一番欲しいのは、〝自分のために俊介がたくさん悩んでくれた時間〟ってことでしょ」

「……」

「アンタ、ほんとに彼女に愛されてるのね」


 香恋の言葉に、俊介は下唇を噛み締めた。

 望めば何でも手に入るはずのお嬢様が、一番欲しいもの。答えはとっくに出ているのに、俊介は彼女に「それ」をあげられない。

 そのとき俊介の頭に蘇ってきたのは、別れ際の香恋の言葉だった。


 ――俊介。誕生日に少しでもあたしのこと喜ばせたいとか、喜んでほしいとか、そういう気持ちあった? あたしのこと、ちゃんと考えてくれた?

 ――要するに、アンタにとってあたしはその程度の価値しかない女ってことね。


 あのときの香恋の言葉の意味を、ようやく俊介は理解した気がする。金がなくても、もっと喜んでもらうことはできたはずだ。当時の俊介は、彼女を喜ばせる努力をしようとはしなかった。


(今の俺でも、雛乃さんを喜ばせることはできるだろうか)

 

 彼女が一番欲しいものはあげられなくても、幸せな夢を見せてあげることはできるはずだ。そのために、ひとまず俊介はせいぜい頭を抱えることにした。

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