30.お嬢さんと文化祭

 御陵雛乃の契約彼氏になって、四ヶ月と少し。〝絶対に彼女に恋をしない〟という盛大なフリを回収してしまった俊介は、正直頭を抱えていた。

 業務時間中は余計な雑念を振り払い仕事に集中しよう、と思っても、どうにも上手くいかない。なにせ雛乃はただそこにいるだけで、息を吸っていても吐いていても可愛いのだ。可愛くない瞬間が一瞬たりともない。

 そんな彼女が恋人として甘えてくるのだから、秘めている恋心を抑え込む方が難しいというものである。




 週末のデートは、二人でプラネタリウムに行った。

 インターネットで検索したときに「デートにオススメ」と書いてあったので選んでみたのだが、実際に来てみて納得した。薄暗い空間で、ロマンチックな夜空を見上げながら、フカフカのカップルシートに並んで横になる。こっそりイチャイチャするにはお誂え向きの空間である。

 特に下心があったわけではないのだが、こうしていると妙な緊張感を覚える。いつもと距離感は変わらないのに、お互いに寝転んでいるというだけで、不埒な感情が頭をもたげてしまう。童貞じゃあるまいし、と自分で自分に突っ込みを入れた。

 チラリと隣に視線をやると、無防備に仰向けになっている雛乃が、真剣な眼差しで天井を見上げている。場内に流れる解説を聞きながら、うんうんと小さく頷いていた。俊介にとっては天井に投影された星空よりも、無垢にキラキラと輝く黒い瞳の方が気になって仕方がない。


(……ちゅーしたい)


 性懲りもなくそんなことを考えてしまって、俊介は溜息をついた。契約彼氏としての仕事をまっとうする、と心に決めた途端にこれだ。自分の意志薄弱さにうんざりする。


 上映が終わってシアターの外に出ると、雛乃は嬉しそうに「綺麗でしたね」と腕を絡めてきた。あまりの可愛らしさに頭がくらくらしてくる。が、これは仕事だと言い聞かせて平静を保った。


「……そうすね。どっかで休憩しましょうか」

「では、あちらのカフェに参りましょう。星座をモチーフにしたドリンクが楽しめるようですよ」


 雛乃に促されるがまま、施設内に併設されたカフェに移動する。手渡されたメニューをまじまじと見つめた雛乃は、俊介に向かって尋ねた。


「どれにしようかしら。俊介は何座ですか?」

「牡牛座です」

「では、私は牡牛座のドリンクにします。ちなみに私は射手座ですよ」

「それって、暗に射手座を頼めって言ってます?」


 そんなことを言いつつも、なんだかんだ射手座モチーフのドリンクを注文した。少々身体に悪そうな紫色の飲み物だが、味は普通に美味い。雛乃が飲んでいるのは鮮やかなグリーンのドリンクで、「何の味なのかしら」と首を捻っていた。


「牡牛座ということは、四月か五月生まれですか?」

「そうすね。四月末です」

「そうですか……残念です。お祝いしたかったのですが」


 がっかりした様子で呟く雛乃に、俊介は曖昧に笑みを返す。彼女の言葉は裏を変えせば、雛乃が俊介の誕生日を祝うことはない、ということである。なにせ、二人の契約期間は十二月十日までなのだから。


「雛乃さんの誕生日は?」

「……十二月四日です」

「あ、じゃあギリギリ祝えますね」


 ギリギリ、と口に出してから、苦々しい気持ちが広がった。雛乃との契約は、十二月十日で終わる。俊介が雛乃の誕生日を祝えるのは、これが最初で最後なのだ。

 雛乃も同じことを考えていたのか、寂しげに眉を下げた。


「……当日は日曜日ですが、おそらく予定が入りますので。前日の土曜日に、一緒に過ごしていただけると嬉しいです」

「もちろん。お祝いしましょう」

「ふふ、楽しみ」

 

 俊介の言葉に、雛乃は顔を上げて柔らかく微笑んだ。この関係の終焉には、お互いに目を瞑ることにしたのだ。いくら憂いたところで、別れが訪れることに変わりはないのだから。それなら限りある二人の時間を楽しんだ方がよほど有意義だ。


「来週の日曜はどこ行きましょうか。世の中の恋人たちは一体どーゆーとこでデートしてるんすかね」

「……そういえば。来週は土曜日が都合が悪いとのことでしたね」

「ああ、はい。日にち変えてもらってすみません」

「私は構いませんが、何かご予定でも?」

「大学の文化祭なんすよ。龍樹のサークルが出店するから、その手伝いです」


 俊介は頬杖をついて、ドリンクのストローをくるくると弄ぶ。どうしても人手が足りないと龍樹に頼み込まれたから引き受けたものの、正直面倒だ。

 しかし憂鬱そうな俊介をよそに、雛乃は瞳を輝かせた。


「まあ、楽しそう。私、文化祭に参加したことがないんです。友人もいませんし、部活動やサークル活動などもしていませんから」

「別に、そんないいモンじゃないですよ。女子は猫耳のコスプレして売り子するみたいすけど。なんか、俺も猫耳つけろって言われました」

「ね、ねこみみ……? コスプレ……?」


 キョトンとする雛乃の背景に宇宙が見える。お嬢様はこれまでそういったオタク文化に一切触れてこなかったのだろう。

 雛乃は手元のスマートフォンで何やらを打ち込むと、画面を凝視しながら「な、なるほど……」と頬を赤らめた。もしかすると「猫耳 コスプレ」で検索したのかもしれない。余計な情報まで仕入れていないか心配だ。お嬢様のスマホにはフィルタリングがかかっていないのだろうか。


「世の中にはまだまだ私の知らない世界があるのですね。勉強になりました」

「知らないままでもよかったかもしれませんね」

「……俊介も、こういった衣装が好きなのですか?」

「そうすね、メイド服とか好きです。雛乃さん、一回着てみてくださいよ」


 いつものように「ばか」と返されるのを期待しての発言だったのだが、雛乃は大真面目な顔で頷いた。

 

「かしこまりました。前向きに検討します」

「……冗談です! そんなとこで前向きにならないでください!」


 やる気満々で胸の前で拳を握りしめる雛乃に、俊介は慌てて言った。素直で前向きなのは雛乃の美徳だが、前向きすぎるのも考えものである。




「龍樹、そっち焼けてんぞ。ボーッとすんな」


 ジュージューと音を立てて香ばしく焼きあがったたこ焼きを拾い上げ、透明のパックに詰めていく。ソースとマヨネーズをかけ、鰹節と青海苔をまぶして蓋を閉める。これが五百円で売れるなんて、原価を考えると笑いが止まらない。


「はい、お待たせ。熱いから気をつけて」


 営業スマイルとともに、タコ焼きのパックを客に手渡す。高校生ぐらいの女子二人組は「ありがとうございますー!」とそれを受け取った。猫耳カチューシャをつけた俊介を見て、くすくすと笑みをこぼす。


「お兄さん、なんで猫耳つけてるの?」

「隣にいるコイツに無理やりつけられたんですよ」

「やば、かわいすぎ! えー、写真撮りたーい」

「写真は一枚千円、2ショットは二千円だニャン」

「高っ! めっちゃぼったくるじゃん!」


 結局彼女たちは写真を取ることはなく、きゃあきゃあとはしゃいだ様子で立ち去っていった。タコ焼き代の五百円玉を一枚、大事にコインケースの中にしまう。


 今日と明日の二日間は、我が大学の文化祭である。キャンパス内には多くの出店が並び、学外からも多くの人々が訪れるため、なかなか活気がある。今日は最近人気の韓流アイドルがライブを行うらしく、若い女性の姿が多く見られた。


「いやー、マジで助かる! ウチのサークル、男手足りなくてさ」


 俊介と同じく猫耳をつけた龍樹が、両手を合わせて拝んでくる。俊介は横目でそれを睨みつけ、「貸しだからな。あと、ちゃんと報酬は払えよ」と釘を刺した。

 休日にわざわざ大学に出向いて、猫耳までつけてタコ焼きを焼いているのだ。相応の対価は受け取らならければ。


「こちとら雛乃さんとのデート、リスケしてまで猫耳つけてやってんだぞ」

「あー。そういや美紅ちゃんから聞いたけど、順調みたいじゃん。毎週デートしてるんだって?」

「……まあな」


 順調といえば、そうなのかもしれない。とはいえ毎週のデートは当初の契約を履行しているだけであって、逆に言うと俊介は週に一回以上は雛乃に会えない。そういう契約だからだ。

 小さく溜息をついた俊介を見て、龍樹は不思議そうに尋ねてくる。


「なに、どしたん。憂鬱そうだけど」

「……いや、まあ……端的に言うなら、俺の彼女が可愛すぎて辛い」


 鉄板の上でお行儀よく並んでいる球体をひっくり返しながら、俊介は答えた。龍樹は首から下げたタオルで汗を拭きながら、胡乱な視線をこちらに向けてくる。


「半年前の俊介が聞いたら、発狂しそうな台詞だな」

「半年前の自分に会えるなら、ブン殴ってやりてえよ。美味しい話にホイホイ食いつくなよ、って」

「何の話?」


 半年前の自分が軽い気持ちで契約彼氏を引き受けたせいで、俊介は今こうして苦しんでいるのだ。雛乃と過ごす時間が楽しければ楽しいほど、雛乃が可愛ければ可愛いほど、別れを思って辛くなる。

 ……とはいえ。もし半年前に戻れたとしても、俊介は喜んで雛乃の申し出を受け入れるだろうが。結局のところ、雛乃の恋人でいられる幸せに勝るものはないのだ。


「山科センパイ、今日はありがとうございますー! ウチ、男子少ないんで助かります!」

「しかも山科先輩かっこいいし、猫耳似合うし。集客力ばつぐんだよねー!」


 そのとき、猫耳姿の女子学生が、明るく声をかけてきた。ご丁寧に、肉球つきの手袋と尻尾までついている。二人とも龍樹のサークルの後輩だ。俊介は「どういたしまして」と笑みを返す。

 龍樹が所属しているESSサークルのメンバーは、ほぼ女子である。最初はハーレムだと喜んでいた龍樹だったが、労働力としてさんざんこき使われるにつれて、「あれは魔境だ」と嘆くようになった。


「山科センパイ、お昼食べてませんよね? これさっき買ってきたんで、よかったらひとつどうぞ!」


 焦茶の髪をツインテールにした女子が、そう言って唐揚げ串を取り出した。たしか名前は竹田たけだといったか。

 こちらを見つめる瞳がキラキラ輝いており、頬は紅潮している。おそらく彼女は、俊介に少なからず好感を抱いているのだろう。


「はい、あーん!」

「いや、それはちょっと……」


 口元に唐揚げ串を差し出されて、俊介は苦笑する。

 少し前の俊介だったら、何も考えず彼女の手ずから唐揚げを食べていただろう。が、今俊介の頭に浮かぶのは雛乃の顔だ。可愛い恋人がいるのですからよそ見しないでください、という彼女の言葉を思い出して、知らず頬が緩む。


「えーっ、食べてくれないんですかあ?」


 甘えたような声を出した竹田が、冗談めかして腕を絡めてくる。もちろん俊介だって下心のある男だし、嫌なわけではないが、ちょっとやりすぎだ。やんわり断る方法を考えていた、そのときだった。

 騒がしかった周囲がしんと静まり返り、まるでモーゼが海を割るように人々が道を開ける。高貴なオーラを放ちながらその中央を歩いてくるのは、黒髪をハーフアップに結わえた美女――御陵雛乃その人だった。

 

「俊介、ごきげんよう」


 優雅に頭を下げた彼女から冷ややかな空気を感じ取って、背中に汗が流れる。やましいことなど、一切ないというのに。

 俊介は慌てて竹田の身体を引き剥がし、「……ごきげんよう」と引き攣った笑いを返した。

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