13.お嬢さんはお嬢さん

 ファッションビルを後にした俊介と雛乃は、アミューズメント施設へと到着した。雛乃は物珍しいのか、キョロキョロと周囲を見回している。

 受付を済ませた俊介は、彼女に向かって「とりあえず、何します?」と問いかけた。


「そもそも雛乃さんって、運動できるんですか? もし無理なら、カラオケでもしましょうか」

「見くびらないでください。高校時代、体育の成績はずっと5段階評価の5でした。幼い頃はクラシックバレエを嗜んでいましたし、身体の柔らかさや体幹、体力にも自信があります」


 俊介の問いに、雛乃は得意げに胸を張ってみせる。お嬢様が汗を流しているところは想像できないが、優雅にバレエを踊っているところは容易く想像できた。おそらく運動神経もそれほど悪くないのだろう。


「俊介は、スポーツの経験は?」

「高一までバスケ部でしたよ。途中で辞めましたけど」


 高校時代のある出来事がきっかけで、俊介は部活をするどころではなくなった。それ以来は帰宅部で、毎日勉強とアルバイトに明け暮れていたものだ。

 辞めた理由を尋ねられたら面倒だなと思っていたのだが、雛乃はあっさり「そうでしたか」と言った。まあ部活を途中で辞めることなど、珍しいことではない。


「では、バスケットボールにしましょう」

「おっ。経験者に挑むとは、雛乃さんなかなかチャレンジャーですね」

「俊介の方こそ、ずいぶんとブランクがあるのでは? 油断していると足元を掬われますよ」


 雛乃はそう言って、挑発するような目つきで俊介を見上げてくる。どうやらお嬢様は意外と負けず嫌いらしい。俊介は笑って、「望むところですよ」と返してやった。




 結論から言うと、雛乃の自信はただのハッタリではなかった。

 1on1の勝負を何度かしてみたが、ドリブルもシュートもなかなか上手い。もっと手を抜いて接待プレイをしてやろうと思っていたのだが、その必要はなさそうだ。


 ドリブルで脇を抜いてシュートを決めると、雛乃が悔しそうに「ああっ」と声をあげた。ブランクがあるとはいえ、俊介の運動神経はもともと悪くないし、人数の足りない試合の助っ人に駆り出されることもある。もちろん、無償では絶対やらないが。

 雛乃の額はやや汗ばんでおり、ハアハアと肩で息をしている。お嬢様にもちゃんと汗腺が存在していたのだな、と安心してしまった。目の前にいるのは精巧なアンドロイドではなく、俊介と同じ人間だ。


「お、思っていたよりも動けないものですね……」

「いやいや。雛乃さん、普通に上手いですよ。びっくりしました」

「お世辞は結構です。まだ一本も決められていませんから!」


 ディフェンスの構えをとる雛乃の頭の上から、ひょいっと3ポイントシュートを放った。スパッと小気味良い音を立てて、ボールがネットを通り抜ける。雛乃はぐぬぬと悔しそうに歯噛みした。


「ハンデいります?」

「必要ありません!」


 雛乃は「少々お待ちください!」と言って、ハーフアップの髪を解いた。そして、長い髪を頭の上でポニーテールにする。気合いを入れ直した、ということだろう。汗ばんだ白いうなじに黒い後れ毛が貼りついている。


「隙あり、です!」


 思わず見惚れていると、あっさりドリブルで脇を抜かれた。あっと思う暇もなく、シュートを決められる。


「わっ、入りました!」


 見事なレイアップシュートを決めた雛乃は、はしゃいだ様子で飛び跳ねている。普段のクールさからは想像できない、無邪気な喜びようだ。

 彼女がジャンプするのに合わせて、馬の尻尾のような髪もぴょこぴょこと跳ねる。雛乃が笑っている、ただそれだけのことで俊介はその場から一歩も動けなくなる。


(……ああ、まずい)


 ポニーテールのお嬢様はぼうっとしている俊介の手から、いとも容易くボールを奪う。そのまま再度シュートを入れた雛乃に向かって、俊介は大きな声で言った。


「……っ、ひ、卑怯っすよ!」

「まあ、人聞きの悪い……あなたがぼんやりしていたのが悪いのでしょう」

「雛乃さん、ポニーテール禁止! 元に戻してください!」


 雛乃はニコッと笑って、「お断りします」と答える。その笑顔がやけに眩しくて目が離せなくて、棒立ちになっていた俊介はまたしてもボールを奪われてしまった。



 俊介と雛乃はそれからテニスやバッティングやダーツに興じ、さんざん遊び尽くした。

 時刻は十七時四十五分。そろそろ業務時間が終了し、運転手が彼女を迎えに来る頃である。

 額の汗をハンカチで拭った雛乃は、ほうっと小さく息をついた。雛乃の運動神経と体力はなかなかのものだったが、半日動いてはしゃぎ回ったせいか、ややぐったりとしている。


「すみません。疲れちゃいました?」

「いえ、とても楽しかったです。こんなに汗をかいたのは久しぶり……明日は筋肉痛かもしれません」

「俺も、最近運動不足でしたからね。あー、腹減った」

「私もです。今日の夕食はきっと美味しいですね」


 そう言って、二人で顔を見合わせて笑う。今日の雛乃はいつもより明るく、なんだか親しみやすいような気がした。カジュアルな服装と髪型のせいだろうか。

 繋いだままの左手に、ほんの少しだけ力をこめてみる。業務終了まであと十五分。もしも迎えが来たら、俊介はこの手を離さなければならない。


(……門限十九時は、ちょっと早いよなあ)


 もしも雛乃が契約上の恋人でなければ、「晩飯でも一緒にどうですか」と誘っていたかもしれない。彼女と別れるのが名残惜しい、と思っている自分に驚く。彼女とのデートは、ただの仕事でしかないのに。

 俊介の内心の屈託などつゆ知らず、雛乃はスニーカーの足元をじっと見つめながら言った。


「……私のこんな姿を見たら、石田は驚くかしら」

「あんまり年寄りに刺激与えたくないですね」

「私、実は彼の驚いた顔を見たことがないんです」

「じゃあ、驚かせてやりましょうか。ジィさんの心臓が止まらない程度に」


 俊介が言うと、雛乃が「そうですね」と頷く。頭の後ろでポニーテールが揺れる。何故だか、心臓の奥がぎゅっと痛くなった。

 俊介が凝視しているのに気付いたのか、雛乃はやや恥じらうように目を伏せた。繋いでいない方の手で、Tシャツの裾を弄りながら、もじもじと尋ねてくる。


「俊介は、どちらがお好きですか?」

「え?」

「……普段の服装と比べて……俊介は、その……こういう格好の方が、好きかしら」

「俺はどっちも好きですよ。自分の好きなカッコするのが一番です」


 雛乃の問いに、俊介は素直に答える。俊介自身は服装にこだわりがないし、本人が好きな服を好きなように着ればいいと思っている。雛乃は意外そうに瞬きをした。


「あら。好みとか、ないのですか?」

「強いて言うなら、何も着てないのが好き……イテッ」

「……ばか」


 冗談めかしたセクハラ発言に、雛乃は頰を赤らめて、俊介の手の甲を軽くつねった。

 やはり、雛乃の「ばか」は良い。このままだと癖になってしまいそうだ。とはいえやりすぎて嫌われないよう、ほどほどにしなくては。

 俊介が「すみません」と謝ると、雛乃はくすくすと楽しげに笑みを溢す。今日の彼女は、いつもよりよく笑う。


「……こうしていると、なんだか普通の大学生になれたような気がします」


 雛乃はそう言って、そっと俊介の腕に頭を預けてきた。ふわりと甘い香りが漂ってきて、俊介は腹の底から湧き上がってくる欲求を必死で押さえ込む。


(勘違いするな。今俺の隣にいるのは、ただの雇用主だ)


 どんな格好をして、どんな顔をして笑っていたとしても、俊介と雛乃のあいだに越えられない壁があることに変わりはない。彼女は御陵コンツェルンの令嬢で、自分はしがない貧乏大学生だ。


「……どんな格好してても、雛乃さんは雛乃さんですよ」


 俊介なりに、線を引いたつもりだった。雛乃は俊介の言葉をどう解釈したのか、「そうですか?」と嬉しそうに首を傾げる。ぎゅ、と握った手に知らず力がこもった。


 そんなやりとりをしているうちに、白いロールスロイスが遠くから近づいてくるのが見えた。

 雛乃は悪戯を思いついたような子どものような顔をして、俊介の背後にさっと隠れる。雛乃の意図を察した俊介は、彼女に向かってにやりと笑ってみせた。

 運転席から石田が降りてくる。ロマンスグレーの老紳士は、こちらに向かってうやうやしくお辞儀をした。


「雛乃様。お迎えにあがりまし……た……」


 その瞬間、じゃじゃーん、とばかりに雛乃が俊介の前に飛び出す。Tシャツにショートパンツ姿の雛乃を見た石田は、目を皿のように真ん丸にして固まってしまった。今にも泡を吹いて倒れてしまいそうだ。


「ひ、ひ、ひ、ひ、雛乃様……その格好は」


 期待以上の反応に、俊介は思わず吹き出す。こちらを振り向いた雛乃が、得意げな表情を浮かべている。俊介は笑って、「ドッキリ大成功」と親指を立ててやった。

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