11.お嬢さんと通話
五回目のデートは、悩んだ挙句にクラシックコンサートにした。普段の自分ならまず行かないような場所だが、お嬢様が楽しめそうなデートスポットが思いつかなかったのだ。
ちなみにクラシックにはまったく詳しくなかったが、思っていたより楽しめた。高価そうな楽器で奏でられる美しい音楽を、涼しい場所で聴くのもまたいいものだ。
コンサート場を後にした二人は、パフェが有名なフルーツパーラーに移動した。俊介は桃のパフェ、雛乃は苺のパフェを注文した。
雛乃からは「毎週こんなに甘いものを食べていたら太りそうです」と言われたが、ゆっくり腰を落ち着けて会話できる場所が他に思いつかない。一人暮らしの大学生カップルならば、自分の部屋に彼女を連れ込むところなのだろうが、あんなに汚いアパートに雛乃を連れて行くつもりはない。
「……まあ、素敵。まるでルビーのような苺ですね」
本物のルビーを見たことがないので、俊介にはその比喩が適切かどうかわからない。
目の前に置かれたパフェを見て、雛乃はうっとりしている。太る太ると文句を言いつつ、彼女だって俊介の提案するデートプランを採用しているのだ。
俊介は早速、自分のパフェの山を取り崩し始めた。グラスの中には、アイスクリームやブリュレやラスクやコンポートがこれでもかと詰め込まれている、豪華な桃のパフェだ。さすが、コーンフレークやスポンジでかさ増しするような姑息な真似はしていない(あれはあれで結構美味いが)。
雛乃が注文したパフェには、ツヤツヤと煌めく苺がたっぷり乗っている。彼女はハイブランドのバッグから最新型のスマホを取り出し、パフェの写真を一枚だけ撮影した。いつもはすぐに食べ始めるので、写真を撮るのは珍しいことだ。
不思議そうな俊介の視線に気付いたのか、雛乃はふふんと得意げに鼻を鳴らす。
「俊介、見てください。私もついにSNSなるものを始めたのです」
差し出されたスマホのディスプレイには、SNSのプロフィール画面が表示されている。写真やコメントを投稿するほかに、相互フォローであればビデオ通話やメッセージのやりとりもできるアプリだ。
もしや本名で登録していないだろうな、などと不安になったが、アカウント名は「ヒナ」となっていた。もしかすると、親しい人間からはそう呼ばれているのだろうか。
「椥辻さんにいろいろ教えていただいたんですよ」
一枚だけ投稿された写真には、笑顔の椥辻美紅と、澄ました顔の雛乃が映っている。指でハートマークを作った美女二人はなかなか眼福だったが、それよりも俊介はお嬢様のネットリテラシーが気にかかった。
「ちゃんと鍵かけてますか? 公開アカでホイホイ自撮り投稿してないでしょうね」
「個人情報をネット上に投稿する危険性については、ある程度理解しているつもりです。きちんと非公開アカウントにしています」
ツンと答えた雛乃に、俊介はホッと胸を撫で下ろした。世の中には良からぬことを考える人間も数多くいるし、雛乃の美貌を不特定多数の人間に晒すのはあまりにも危険すぎる。
「俊介も登録しているのですか?」
「まあ、一応」
「もしよろしければ、フォローさせてください」
「いいっすよ。じゃあ俺からフォローしとくんで、フォロバしてください」
「ど、どうしたらいいのでしょうか」
スマホ片手にアワアワしている雛乃をよそに、自分のアカウントから「ヒナ」へフォローリクエストを送る。雛乃に操作を教えてやりつつ承認をしてもらい、こちらもフォローを返してもらった。
相互にフォローし合っている状態になると、アカウント名の横にハートマークが付くのがなんだか気恥ずかしい。いつもはそんなこと、微塵も気にしないのに。
雛乃のフォロー欄は俊介を含んで三人だけで、全員相互フォローだった。「miku」というアカウントが椥辻美紅のものだろう。もう一人の「政宗」という名のアカウントの存在が気にかかる。
(……これ、たぶん男だよな? 俺より先にフォローするような男って、一体誰だよ)
そんなことを考えて、ふいに胸がざわつく。俊介は思わず、口に出していた。
「雛乃さん。このアカウント、誰ですか?」
「ああ、それは石田のアカウントです」
「へ? 石田って……あの運転手の?」
「はい。彼の本名は石田
「……はあ、そうすか。あのジィさんなら、まあいいか」
そう言ってから、はっと口を噤む。いいも悪いも、俊介に雛乃の交友関係を制限する資格などありはしないというのに。
しかし雛乃は特に気にした様子を見せず、「石田はものすごくSNSを使いこなしているのですよ」などと言って、俊介にスマホ画面を見せてくる。どうやら釣りが趣味らしく、海や魚や釣り仲間の写真がたくさん表示されていた。浜辺でBBQをしている写真もあり、俊介よりよほどリア充している。
「あら、俊介は何も投稿していないのですね」
「俺はほぼ見るだけです。あとは通話機能使うぐらいですかね、通話料無料だし」
「そうなのですね。では、今度私と通話してください」
「は?」
巨大パフェの山を崩そうとしていた俊介は、ぴたりと手を止める。雛乃はスマホをバッグに片付けて、ニコリと微笑みかけてきた。
「恋人同士は、夜寝る前にベッドの中で通話をするものだと聞きました」
「いやー、どうでしょう。諸説ありますよ。そもそも俺んち布団ですし、ベッドで通話は無理ですね」
「揚げ足を取らないでください。とにかく、私はしてみたいのです。もちろん通話時間も恋人を演じていただくわけですから、時給は発生します」
「喜んでやりましょう」
わざわざ会ってデートしなくても、通話するだけで金が貰えるなんて、非常に美味しい話だ。突然乗り気になった俊介を見て、雛乃は不満げに腕組みをする。
「……ここ最近、勤務時間内の私への対応が雑になってきていませんか? 目に余るようでしたら減給も検討しますよ」
「気のせいですよ、愛しのマイハニー」
「ちっとも心がこもっていませんね、マイダーリン」
俊介はへらっと笑って、パフェに盛り付けられた桃のシャーベットをぱくりと頬張った。
雛乃との通話は、水曜日の夜にすることになった。時刻は二十三時。俊介の方から、雛乃に連絡することになっている。
バイトから帰宅した俊介は、風呂に入って寝る支度を整えてから、SNSのアプリを立ち上げた。布団の上に腰を下ろして、二十三時ぴったりに発信ボタンを押す。さて、仕事の始まりだ。
「はい、御陵です」
「こんばんは、雛乃さん」
「こんばんは。時間ぴったりですね」
「もう寝る体勢ですか?」
「ええ、自室のベッドの上にいます」
雛乃の言葉に、俊介は見たこともないお嬢様の私室を想像してみる。おそらく一流の調度品に囲まれ、天蓋付きのベッドで眠っているのだろう。今自分がいる四畳半のオンボロアパートと煎餅布団との違いを思って、俊介はこっそり溜息をついた。
「俊介は、今日は何をしていたのですか?」
「授業のあとバイト行ってました」
「アルバイト? どこで働いてらっしゃるの?」
「大学の近くにあるバーです。契約彼氏ほどじゃないですけど、まあまあ時給いいんですよ」
「そうなのですね。私も今度行ってみようかしら」
「いやいや、雛乃さんが来るような店じゃないですよ」
俊介のバイト先はそれほど客層の悪くない落ち着いたバーだが、それでも夜の店であることに変わりはない。そもそも開店時間が十九時なので、雛乃の門限を考えると来店するのは不可能である。
「まあ。私に来られたら困る理由があるのですか? 念のために確認しますが、アルバイト先に女性はいますか?」
「なんでまたそういう発想になるんですかね……。スタッフは男ばっかりだし、雛乃さんが気にしてるようなことは一切ないですよ」
俊介は答えた。しかし、スタッフは男ばかりだが、たまに俊介目当ての女性客が来ることはある。まあ、面倒なことになりそうなので黙っておこう。
それにしても雛乃は、探りの入れ方が直球だ。少し前から思っていたが、意外と恋人にするには面倒臭いタイプなのかもしれない。契約彼氏とはいえ、不貞行為は絶対許さないということなのだろう。当然、そんなことをするつもりはないが。
「そんな心配しなくても、俺には雛乃さんしかいませんよ」
少なくとも、契約期間が終わるそのときまでは。こんなに割の良いバイトを、ふいにするつもりはさらさらないのだ。
電話の向こうで雛乃が黙り込んだ。あまりに長い沈黙なので、不思議に思って「雛乃さん?」と尋ねてみる。
「…………あなたは、ま、またそうやって露骨に点数稼ぎをしようとして」
「あ、もしかしてときめいちゃいました?」
「と、ときめきません! 減点です!」
怒ったような声色だが、これは照れているときの声だな、と察することができた。きっと今頃、頰が真っ赤になっているのだろう。顔が見えないのが惜しい。
ビデオ通話にしませんか、と提案しようか迷っていると――雛乃が「あっ」と小さく声をあげた。次の瞬間、ゴトン、という大きな衝撃音が聞こえる。
「雛乃さん? どうしました?」
返事はない。何事かと思いスマホを耳から離してみると、ディスプレイに見知らぬ部屋が映し出されていた。巨大なクローゼットとドレッサー、ぎっしりと学術書が並んだ本棚。想像していたよりも、お嬢様らしい部屋ではない。
どうやらスマホがベッドから落ちた拍子に、ビデオがオンになってしまったらしい。少し離れたところに、雛乃の素足が見える。
「雛乃さん? こんな時間に誰かとお話ししていたの?」
「ごめんなさい。大学の友人と、グループワークの打ち合わせをしていて……」
「そう。あまり遅くならないようにね」
雛乃が誰かと話す声が聞こえてくる。雛乃の家族――女性の声なので、母親あたりだろうか。まだ日付も変わる前だというのに、なかなか厳しい。
ほどなくして扉が閉まり、ぺたぺたという足音が近づいてくる。スマホを拾い上げたらしい雛乃の顔が、画面いっぱいに表示された。
「きゃっ」
雛乃が驚いたような声をあげた。画面に自分の顔が映っていることに気付いたのだろう。
普段はハーフアップに結われた髪はまっすぐ下されて、化粧っけのないすっぴんだ。清楚な真っ白いシルクのネグリジェを身につけた雛乃は、まるで女神のように美しい。ベッドの上には、水族館で購入したイルカのぬいぐるみが置いてあるのが見えた。
(こういう寝巻き日常的に着てる人間、実在したんだな……)
俊介がまじまじと見惚れていると、雛乃は「ど、どうやって元に戻すのですか!?」と慌てふためいている。
「いや、戻さなくてもいいっすよ……そのカッコ可愛いですね」
「キャーッ! こ、こんなはしたない格好……と、殿方に見せるわけにはいきません!」
別に露出が多いわけではないのだが、お嬢様にとってはネグリジェは充分「はしたない格好」に含まれてしまうらしい。大騒ぎの末、雛乃はようやくビデオをオフにした。ディスプレイが真っ黒に戻り、俊介はがっかりする。
「あー……可愛かったのに」
「わ、忘れてください!」
「いやいや、いいもん見せてもらってありがとうございます。いい夢見れそう」
「……ば、ばか!」
スマホから聞こえてくる声に、俊介は笑った。雛乃の「ばか」は、言い慣れていなさそうなところも含めて可愛い。普段は楚々としている彼女が罵倒の言葉を浴びせるのは、自分ぐらいのものだろう。
「あんまり騒いでたら、また怒られちゃいますよ。さっき、大丈夫でした?」
「あ、ええ……こんな時間に誰かと通話することなんてほぼありませんから、母に不審に思われたようですね」
答える雛乃の声は、やや暗い。もしかすると、家族とあまり上手くいっていないのだろうか。多少気になったが、彼女の家庭の事情に深入りするつもりはなかった。
「もっと早い時間の方がよかったですかね。今日はもう切りますか?」
「……問題ないとは思いますが、そうしましょう。お付き合いいただきありがとうございました」
「ええ、じゃあまた。今度は最初からビデオ通話にしましょうね」
「しません」
ぴしゃりとそう言われると同時に、少しの躊躇もなくブツッと通話が切れた。相変わらず、オンとオフの切り替えがはっきりした女だ。
俊介はごろりと布団に寝転ぶと、目を閉じた。瞼の裏側に、先ほど目にしたネグリジェ姿の雛乃が浮かんでくる。
(……いつか直接、見てみたいな)
そんな不埒な考えを、いやいやと頭を振って追い払う。雛乃のあんな姿を見られるのは、彼女の将来の夫だけなのだ。俊介に見る資格など、ありはしない。
シルクのネグリジェからすらりと伸びた脚が、天蓋付きのベッドの上に投げ出されるさまを想像してみる。その上にのしかかるのは、きっと俊介の知らない男だ。
「……あーもう、くそっ」
なんだか無性に腹が立ってきて、俊介は誰にともなく悪態をついた。会わずに金が貰えるなら、それに越したことはないと思っていたのに、今の俊介はどうしようもなく雛乃の顔が見たくなっている。
どうにも寝付けなくなった俊介は、スマホを開いて検索サイトを開いた。次回の雛乃とのデートコースの下調べをするためだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます