09.お嬢さんの乙女心

 我が大学のシンボルである真っ赤な門の前で、俊介はソワソワと雇用主こいびとのことを待っていた。

 ほどなくして、お馴染みの白いロールスロイスがやって来る。後部座席から降り立ったお嬢様は、華やかなパステルイエローのワンピースを着ている。すれ違う学生たちが、好奇のまなざしを投げかけるのがわかった。彼女はそんな視線をものともせず、まっすぐ俊介の元へと歩いてくる。


「お待たせいたしました」

「……いえ。お嬢さん、ほんとにこんなデートでいいんですか」

「ええ、もちろんです。私が希望したことですから。では、参りましょうか」


 雛乃はクールにそう言うと、パンプスの踵を鳴らしてさっさと歩き出した。俊介は足早にそれを追いかける。

 本日は金曜日。シフトは十五時から十八時。デートの場所は、俊介が通う東都大学のキャンパス内である。




 遡ることおよそ一週間前。

 雛乃との三回目のデートは、悩んだ末にホテルのスイーツビュッフェにした。甘いものは好きかと尋ねたところ、「それなりです」と返ってきたが、雛乃はずらりと並んだスイーツを見てキラキラと瞳を輝かせていた。やはり、意外と食いしん坊なのかもしれない。

 俊介は甘いものが特別好きでも嫌いでもないが、いくら食べても料金は同じなのだから、食べねば損である。狙い目は単価の高そうな、フルーツがふんだんに乗せられたタルトや、生クリームたっぷりのケーキだ。

 皿の上にこれでもかとスイーツを盛っている俊介を見て、雛乃は目を丸くした。


「まあ、欲張りですね」

「いやいや、これがビュッフェの醍醐味でしょうが。いかに単価の高いものを限界ギリギリまで食べれるかっていう」

「そんなにたくさん食べ切れるんですか?」

「余裕です」

「そんなに痩せているのに、摂取カロリーがどこに消えるのか不思議です。代謝がいいのかしら」


 マカロン、カヌレ、シフォンケーキ、チョコレートケーキをひとつずつ皿に乗せた雛乃は、颯爽と席へと戻っていく。俊介とは対照的に、ずいぶん控えめな盛り方だ。俊介もほどほどで切り上げて、彼女の後を追う。

 横並びのソファ席に腰を下ろすと、いただきます、と雛乃がお上品に手を合わせる。ふわふわのシフォンケーキを口に運んで、ふにゃりと幸せそうに目元を緩めた。まるで少女のように愛らしい表情に、俊介は一瞬我を忘れて見惚れてしまう。


(……やっぱ、可愛いな)


 俊介の視線に気付いたのか、雛乃は慌てたように表情を引き締める。俊介が食べている洋梨のタルトをじいっと見つめて、「それも美味しそうですね……」と呟いた。


「一口食べます? 美味かったら、後で取ってきたらいいですよ」


 俊介がタルトを乗せたフォークを差し出すと、雛乃は頰を染めた。キョロキョロと周囲を見回すと、まるで秘密でも打ち明けるかのように声をひそめる。


「……こ、恋人の手ずから食べ物をいただくなんて、は、はしたなくないかしら?」

「いやいや、こんぐらい普通でしょ。みんな自分が食うことに夢中で、俺らのことなんて見てませんって。はい、口開けて」


 俊介が言うと、雛乃はおずおずと唇を開く。やたらと小さな口だな、と思った瞬間に、胸の奥がぞくりと嗜虐心でうずいた。


「そんなんじゃ入りませんよ」


 わざと意地悪く囁いてやると、雛乃は真っ赤な顔でこちらを睨みつけてくる。


「殿方の前で、そんなに大きな口は開けられません! 俊介は乙女心がわかっていませんね」

「よく言われます」


 雛乃は目を伏せると、俊介の差し出したフォークを恥ずかしそうに口に含んだ。行為自体は健全そのものなのに、そんな反応をされた方がなんだか如何わしいことをしている気持ちになる。

 タルトをもぐもぐと咀嚼して飲み込んだ雛乃は、うっとりしたように目を細めている。そんな顔を見ていると、もっともっと食べさせてやりたくなる。


「雛乃さん、こっちも美味いですよ。ほら、これも」

「……そんなに次々勧めるのはやめてください。どれもこれも食べたくなってしまいます」

「いいじゃないですか。雛乃さんも痩せてんだし」

「それは私の日々の節制の結果です。少し気を抜いたら、見えないところから太っていく性質なんです」


 ぷりぷりと憤慨する雛乃に、「俺は抱き心地がいいぐらいの方が好きですよ」と言いかけてやめた。さすがにセクハラだし、今のところは抱きしめる予定もない。


 あらかたスイーツを楽しんだところで、食後のコーヒーを飲む。これだけ食べておけば、今日の夕飯は無しでいいだろう。食費を浮かす生活の知恵である。

 本日の業務も残り僅かだ。ソファに深く身体を沈めた俊介は、隣にいる雛乃に尋ねた。


「そういえば来週のデート、どうします? もしよかったら、雛乃さんの行きたいところに行きません?」


 俊介の言葉に、雛乃はコーヒーカップを傾けるぴたりと止める。こちらを向くと、「私の?」と小さく首を傾げた。俊介は素直に説明することにした。


「ぶっちゃけ、早くもネタ切れなんですよ。こうなったら雛乃さんの希望を聞くのが手っ取り早いかなって」

「まあ。職務怠慢ですね」


 雛乃は俊介を咎めるように軽く睨んできたが、本気で怒っているようには見えない。俊介は「すんません」とへらへら謝った。


「俺、デートの経験もほとんどないですし。元カノの誕生日にファミレス連れていって、フラれたこともあるぐらいで」

「現在の恋人の前で、昔の恋人の話をべらべら話すのはいかがなものかと。減点です」

「あっ、ハイ。すみません。以後気をつけます」


 今度は本気の怒りオーラを察知して、俊介は慌てて頭を下げた。雛乃はコーヒーを一口飲んだあと、カップをソーサーの上に音も立てずに置く。


「……元カノ、というのは」

「はい?」

「俊介のご学友ですか?」

「ああ、まあ、そうだったりそうじゃなかったり……誕生日にファミレス連れてってフラれたのは、同じ大学の奴ですね」

「もしかして、あなたに〝女心がわからない〟と言ったのも、その方なのかしら」

「ええ、まあ……」

「あら、そうですか」

 

 雛乃はそう言って、じっと探るような視線を向けてきた。昔の恋人に嫉妬しているというよりは、部下を値踏みするかのような目つきである。彼女の言葉ひとつで俊介は解雇されるのだから、あながち間違いではない。


「俊介。来週の金曜日は授業がありますか?」

「はい。四限目までなんで、十六時前には終わりますよ」

「承知しました。次回のデートは、金曜の夕方にしましょう。少し短いですが、十六時から十八時でいかがでしょうか。場所はあなたの大学のキャンパス内です」

「はあ?」


 予想外の提案に、俊介は間抜けな声をあげた。雛乃は涼しい顔で、「あなたの大学を案内してください」と続ける。


「え……うちの大学なんて、なんも面白いもんないですよ」

「面白いかどうかを決めるのは私です。それとも、私に会わせたくない人でもいるのかしら?」

「いや、そういうわけじゃないですけど」


 そういうわけでもないが、いろいろと突っ込まれるのは面倒だな、というのが本音である。なにせ雛乃は目立つのだ。こんな美女を連れてキャンパスを歩いていては、知り合いにあれこれ追求されるのは免れないだろう。

 ……とはいえ、雛乃の希望を尋ねたのは俊介の方だし、雇用主の要望には最大限応えねばならない。


「かしこまりました、お嬢さん」


 俊介がうやうやしく答えると、雛乃に「まだ業務中ですよ」と叱られてしまった。




 普段自分が通っている大学に雛乃がいるのは、なんだか変な感じだ。彼女がワンピースの裾を揺らして歩くたび、すれ違う学生たちがこちらを二度見してくる。

 奇抜な格好をしているわけではないのに、どうして彼女はこんなに注目を集めるのだろうか。たしかに目を引く美人ではあるものの、うちの大学にだって容姿の整った学生はそれなりにいる。しかし雛乃が纏うオーラは、それらの美女たちのものとはまた違っている。隠しきれない気品のようなものが漂っているのだ。俗世に下りてきたお姫様のような雰囲気がある。

 隣を歩いていた雛乃が、ぴたりと足を止める。首を傾げて、小さな右手を軽く持ち上げた。


仕事デート中は手を繋いだ方がよろしかったかしら」

「……いや、それはちょっと……遠慮したいですね」


 金のためなら何でもやる俊介だが、学内を恋人と手を繋いで歩くのはできれば御免被りたい。雛乃が食い下がるなら腹を括ろうと思ったのだが、彼女は「承知しました」とあっさり答えた。


(しかし、案内しろって言われてもな)


 俊介の通う大学は日本の最高学府と呼ばれる場所ではあるが、特に面白いものがあるわけではない。うんうん考え込んでいると、雛乃が俊介の顔を覗き込んできた。


「俊介が普段、していることが知りたいです」

「……授業受けて、学食でメシ食って、ラウンジで知り合いと適当にダベるぐらいですかね」

「実は私、学生食堂に行ったことがないんです」

「え、まじすか」


 俊介にとって、学食はバランスの良い食事を安く食べられる命綱である。昼食は大抵百円の素うどんに、無料のネギと天かすを大量にぶち込んで食べている。


「……とりあえず、うちの学部棟のラウンジにでも行きますか。今なら龍樹がいるかもしれません」

「あら。もしお会いできたら、ご挨拶させてください」


 雛乃は「のちほど学生食堂にも参りましょう」と言って歩き出す。俊介はやれやれと肩を竦めると、マイペースなお嬢様をあとを追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る