08.お嬢さんとのデートプラン

「素敵な映画でしたね。橋の上での抱擁シーン、直接的なセリフはなくとも二人の気持ちが伝わってきて感動しました」


 六月も半ばを過ぎた、土曜日の夕方。

 湯気のたつティーカップを手にした雛乃が、優雅な仕草で紅茶を口に運ぶ。ロココ調のソファに腰掛けたお嬢様は、先ほど観た映画のワンシーンと見紛うほどに美しい。窓の向こう側でしとしとと降り頻る雨すらも、雰囲気作りに一役買っていた。


「結構楽しめましたけど、なんであの手のラブストーリーって男も女もホウレンソウしないんですかね? 中盤のすれ違い、ちゃんと話し合えば八割がた解決する問題だったでしょ」

「まあ、俊介は恋愛の機微というものがわかっていませんね。そこで口に出して相手の気持ちを確認できないのが、恋というものですよ」

「へー。雛乃さんは俺に恋愛を語れるほど経験豊富なんですか」


 俊介がからかうように言うと、雛乃はジト目でこちらを睨みつけてきた。


「初恋もまだです。しかし、恋愛映画は古今東西ありとあらゆるものを観てきました。私に足りないのは実務経験のみです」

「それは失礼」


 そういうの頭でっかちっていうんじゃないですかね、という言葉を飲み込んで、俊介は肩を竦める。


 二回目のデートプランは、映画を見たあとに喫茶店でケーキを食べてお茶をする、というデートの参考書の3ページ目ぐらいに掲載されていそうなものだった。俊介の提出したプランを、雛乃はまたしても一発採用した。

 映画館に来たのは、遠い昔に妹と二人で劇場版の「ドラえもん」を観て以来だった。せっかくなので、雛乃の了承を得てプラス千円のプレミアムカップルシートを選んだ。椅子がフカフカで広々としていて、このまま一生ここに住んでもいいんじゃないかと思うほどの居心地の良さだった。

 映画が始まる前、雛乃は飲み物もポップコーンも買わなかった。上映中は真剣そのものの表情で、両手を膝に置いたままじっとスクリーンを見つめていた。それなりに濃厚なラブシーンが始まったときも、照れたり目を逸らしたりすることなく凝視していた。


「それにしても、俊介がラブストーリーを選ぶなんてちょっと意外でした。恋愛に興味がないものかと」


 今日二人で観た映画は、ベタベタのラブストーリーだった。雛乃の映画の趣味がよくわからなかったため、無難なものにしておいたのだ。まあ、B級サメ映画も嗜むぐらいだから、スプラッタコメディでも楽しんでもらえたのかもしれないが。


「自分が恋愛するのはまっぴらごめんですけど、フィクションなら何でも楽しめますよ。ミステリーを好む人間が全員殺人願望があるわけじゃないでしょ」

「それは勿論、そうですれど。でも、意外と真剣に観てらしたので驚きました」

「せっかく金払ってるんだから、ちゃんと観ないのはもったいないじゃないですか。俺の金じゃないですけど」


 俊介は紅茶を一口飲んで、ティーカップをソーサーの上に置く。さすがケーキとセットで二千円もするだけのことはあり、香りが良いような気がする。


「……あら、もうこんな時間ですね」


 腕時計に視線を落とした雛乃が言う。十七時五十分、そろそろ業務時間も終了だ。俊介は「そろそろ出ましょうか」と伝票を手に立ち上がった。


 会計を済ませて店の外に出ると、持ってきていたビニール傘を開く。今日は朝から雨が降っていたというのに、雛乃は傘を持っていなかった。行く場所どこにでも運転手が迎えに来てくれるお嬢様にとっては、傘など無用の長物なのだろう。

 とはいえ迎えを待つあいだ、雛乃を雨ざらしにするわけにもいかない。ビニール傘をさしかけると、雛乃は「ありがとう」と中に入ってきた。

 高価そうなブラウスが濡れないよう、細心の注意を払って傘を傾ける。俊介の半身はずぶ濡れになってしまうが仕方ない。


「雛乃さん、もっとこっち寄ってください」


 華奢な肩を抱き寄せると、雛乃の頭が俊介の胸あたりにこてんとぶつかる。艶やかな黒髪からは、高級そうなシャンプーの香りが漂ってきた。

 突然の俊介の行動に、雛乃は頰を染めて俯いている。薄いブラウスの生地ごしの、柔らかなふくらみが身体に押し当てられる。


(お、役得)


 意外と着痩せするタイプなんだな――などと、不埒なことを考えているうちに、目の前でロールスロイスが停車した。運転席から降りてきた石田が、ジロリと俊介を睨みつける。


「お迎えにあがりました」

「……へいへーい」


 俊介がぱっと手を離すと、雛乃はそそくさと車に乗り込む。後部座席の窓を開けて、「本日もお疲れ様でした」と言ったときには、もう頰は赤らんでいなかった。

 十八時ちょうど、本日も無事業務終了だ。


「次回のデートもよろしくお願いします」

「はいはいお嬢さん。お気をつけて」


 俊介がひらひら手を振ると、雛乃は少しの未練も見せずに窓を閉める。ロールスロイスが見えなくなるまで見送ってから、俊介は小さく息をついた。


(……さて。次回のデートはどうしますかね)




 雛乃とのデートから三日経った、火曜日。梅雨入りしたばかりだというのに暑さは厳しく、朝から激しい雨が降り続いている今日は、ただ歩いているだけで溺れるような湿度の高さだ。

 自宅アパートの電気代の節約も兼ね、俊介は学部棟のラウンジでノートパソコンを叩いていた。二年前に先輩から格安で譲ってもらったものである。冷房が効いており静かで、学内Wi-Fiも使い放題という最高の環境だ。唯一の欠点があるとしたら顔見知りが通りかかる可能性があるところだろうが。


「おっ、俊介! 何やってんの?」


(……やっぱ図書館行くべきだったかな)


 一般的な常識を兼ね備えているならば、集中している人間には気を遣って話しかけないはずだが、龍樹はそんなことなどお構いなしである。今回は勉強していたわけではないから、別にいいのだが。

 龍樹は俊介の後ろに回り込むと、断りもなくノートパソコンを覗き込む。それから、ぎょっと目を丸くした。


「はあ!? なんで俊介がデートスポットなんか検索してんだよ!」


 ディスプレイに表示されていたのは、「大学生 オススメ デートスポット」のGoogle検索結果だった。こんな単語で検索しているのを他人に見られるのは、正直恥ずかしい。俊介は「勝手に見んなよ」と舌打ちしてノートパソコンを閉じた。


 雛乃との契約関係が開始してから二週間。三回目のデートを目前にして、俊介は早くもネタ切れという問題に直面していた。

 そもそも異性とまともな付き合いをしてこなかった俊介にとって、デートコースを考えるのは至難の業である。水族館と映画館ぐらいしか引き出しがない。ベタにテーマパークに行くことも考えたが、週末の天気予報が雨だったので諦めた。


「……龍樹は、彼女とデートするならどこ行く?」

「それ、俺に聞く? 彼女いない歴=年齢ですけど?」


 恥を忍んで尋ねると、龍樹は拗ねたような口調で言った。こいつが童貞なのはわかってはいるが、今は龍樹ワラにでも縋りたい気分なのである。


「うーん、そうだなー。カフェで飯食って水族館行って、それから観覧車乗って、てっぺんでチューするかな!」


(俺の思考回路、龍樹と同じなのか……)


 聞いておいてなんだが、俊介は少し落ち込んだ。さすがに〝てっぺんでチュー〟は実行していないが、童貞丸出しのデートコースである。

 俊介がこっそり項垂れていると、龍樹は両肩を掴んでガクガクと揺さぶってくる。


「てか、どういうこと!? 俊介、彼女できたのかよ!?」

「あー……」


 龍樹の追求に、俊介は口籠る。第三者から突っ込まれたときにどう答えればいいのか、そのあたりの話を雛乃と詰めておくのを忘れていた。契約上のこととはいえ、今後仕事デート中に知り合いに目撃されないとも限らない。


(あとでお嬢さんにメールしとくか。なんかあったときのために、口裏合わせとかないとな)


 雛乃はSNSの類をしていないらしく、連絡ツールはもっぱらメールである。業務連絡がほとんどで、恋人らしい雑談等を交わすことはまったくない。彼女からの返信は大抵「問題ありません」「承知しました」だ。


「……え!? やっぱり、彼女できたのか!?」


 俊介の無言を肯定と捉えたのか、龍樹は「この裏切り者ー!」と叫んでヘッドロックを仕掛けてくる。


「彼女に貸した百円すら利子つけて取り立てる俊介が!? 彼女に〝誕生日デートがファミレスは無理〟ってフラれた俊介が!? 恋愛なんて金のかかる娯楽だって言ってたじゃん!」

「まあ、人生いろいろあんだよ」

「はー!? 俺は何もねえよ! 山も谷もない、平坦な毎日だよ!」


 ぎゃあぎゃあとうるさい奴だ。暑苦しい龍樹を引き剥がそうと四苦八苦していると、バシン、という音に背中に衝撃が走った。


「やっほー、冴えない男ども! 何やってんの?」

「イテッ」


 背中をしたたかに叩かれた俊介と龍樹は、揃って振り返る。

 そこに立っていたのは同じゼミの北山きたやま香恋かれんだった。茶髪のセミロングにすらりと手脚の長いモデル体型で、目鼻立ちのはっきりとしたなかなかの美人である。


「カレンちゃん、聞いて聞いて。俊介に彼女できたんだって」

「えっ、ほんとに!? よーし、いつフラれるか賭けよう! 一ヶ月持つかな?」


 香恋はそう言って、瞳を輝かせた。失礼極まりないこの女は、俊介が一時期交際していた、いわゆる元カノというやつである。


「俊介の彼女、最長記録がカレンちゃんの五ヶ月だっけ?」

「そうそう。我ながらよく我慢したと思うわあ。誕生日デートがファミレスの時点で見限ったけどね」

「なんでだよ。ファミレス、安くて美味いだろうが」

「いくら安くて美味しくても、誕生日よ誕生日! ドリンクバー頼んで〝いくらでも飲んでいいぞ〟じゃないのよ! ほんっと女心のわかんない男!」


 憤った香恋に、スニーカーを履いた足で思い切り脛を蹴り飛ばされた。

 香恋は遠慮がなく気の強い女ではあるが、歴代の彼女の中では一番気が合った。「要するに、アンタにとってあたしはその程度の価値しかない女ってことね」と言い放って俊介を捨てた女は、今は法学部の先輩と交際しているらしい。幸せそうで何よりだ。


「なあ香恋。おまえ、普段彼氏とどういうとこにデート行ってんの?」


 ふと思い立って訊いてみると、香恋は露骨に不愉快そうな顔をした。


「もしかして、彼女とのデートの参考にしようとしてる? やめときなさい。彼女だって、元カノオススメのデートなんてしたくないわよ。デリカシーゼロ」


 やれやれと首を振った香恋に、そういうもんかね、と俊介は腕組みをする。どうやら自分には、こういったデリカシーが欠如しているらしい。雇用主に減点されぬよう、気をつけることにしよう。


「悩んでるなら、彼女本人に訊けば? デートって、二人でするものでしょ」

「……まあ、それもそうか」


 たしかに、雛乃の希望を聞いてみるというのはいいアイディアだ。なにせ俊介は、彼女のことをまだほとんど知らない。わかっていることといえば、ラブストーリーとサメ映画が好きなことぐらいだ。


(あと、イルカのぬいぐるみも)


 愛おしそうにぬいぐるみを抱きしめる姿を思い出して、何故だか胸の奥が苦しくなる。心臓のあたりを手で押さえて、俊介は一人首を傾げた。


「で、カレンちゃん。いつ別れると思う?」

「完全に見てくれだけのみみっちい男なんだからすぐフラれるわよ。私、一ヶ月に三千円」

「じゃあオレは二ヶ月に二千円」


 俊介はふてくされた。どいつもこいつも、他人事だと思って好き放題言ってくれる。しかし、こちらの勝利は約束されたも同然だ。俊介は恋愛は続かないが、アルバイトは長続きするタイプである。半年経ったら、絶対金を払ってもらおうじゃないか。

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