03.お嬢さんと合コン

「では雛乃様。のちほどお迎えにあがります」

「ええ、ありがとう石田いしだ


 まさかこのまま執事同伴で合コンが始まるのか、と思いきや、連れの男は恭しくお辞儀をして立ち去っていった。

 残されたお嬢様――御陵雛乃は、スカートの裾をさっと整えてから俊介の隣に腰掛けた。そんな仕草のひとつひとつに品が感じられる。


「本日は突然のことにも関わらず、お集まりいただきありがとうございます。至らない点もあるかと思いますが、よろしくお願いします」

「雛乃ちゃん、カタすぎるよー。株主総会じゃないんだから、もうちょっと肩の力抜こ?」


 やたらと格式ばった挨拶をした雛乃を、美紅がケタケタと笑い飛ばした。雛乃はやや戸惑ったように「申し訳ありません。こういった場に慣れていないもので……」と答える。


「とりあえず、飲み物注文しようよ。たっちゃんと山科さんは、お酒飲みます?」


 美紅は気が利くタイプらしく、テキパキと場を回しつつ注文を取っている。手渡されたドリンクメニューを開くと、生ビール中ジョッキが九百円もした。さすがそのへんの居酒屋とは違う。雛乃以外の三人は生ビールを、雛乃は烏龍茶を頼んだ。こちらだけ酒を飲むのも気が引けて、俊介は尋ねる。


「飲まないんですか」

「まだ十九なので。今年の十二月に、二十歳になります」


 ということは、二十二歳の俊介よりも学年はふたつ下だ。美紅は雛乃と同学年だが誕生日を迎えており、すでに二十歳になっているらしい。

 飲み物と料理がテーブルに運ばれてきたところで、美紅がパンと両手を叩いた。


「とりあえず紹介するね、雛乃ちゃん。こちらはわたしのバイト仲間の小野龍樹さん。それからこっちは龍樹さんの大学のお友達の山科俊介さん」


 美紅が順番に紹介してくれたので、名乗る手間が省けた。生ビールのジョッキを口に運びながら、「はじめまして」と会釈をする。雛乃は俊介と龍樹に交互に視線を向けて、丁寧に頭を下げてくれた。


「二人とも東都大学の学生さんなんだよ。すごいよねー」

「スゴくないスゴくない。オレなんか、受験勉強だけ死ぬ気で頑張った不良学生だからさあ。あ、俊介はこー見えてマジメだけど」

「それでも日本の学問の最高峰と呼ばれる大学に入れたことは、誇れることだと思います」


 雛乃に褒められ、龍樹は「そうかな」と照れたように頭を掻いた。しかし雛乃は、眉ひとつ動かさずクールに付け加える。


「最高の環境で学ぶチャンスがあるにも関わらず、それを享受しないのは学費の無駄だと思いますが」

「……御陵さん、結構キツいこと言うね」


 龍樹はがっくりと項垂れたが、俊介は雛乃と同意見だった。大学というのは、学ぶ機会を金で買う場所である。みすみす学費をドブに捨てるのが嫌で、俊介は日々無遅刻無欠席で講義に出ているのだ。ほんの少しだけ、お嬢様への好感度が上がった。


「それにしても、お嬢様とは聞いてたけど、マジモンのお嬢様でびっくりしたよ。俺、本物の執事初めて見た」

「石田は執事ではありません、運転手です。幼い頃からうちに勤めていて、世話になっているんです」


 幼少期からお抱え運転手がいるというのも、なかなかすごいが。もしかすると、身の回りの世話をしてくれるメイドなんかもいるのかもしれない。

 雛乃の顔をまじまじと見つめた龍樹が、ふと「待てよ、御陵って……」と顎に手を当てて、何かを思い出すように視線を虚空に彷徨わせた。


「……変わった苗字だけど、もしかして御陵コンツェルンの……?」

「そうそう! 雛乃ちゃん、御陵コンツェルン代表の一人娘なんだよ! 財閥令嬢なの!」

「財閥はとうに解体されていますから、その表現は適切ではないですね」


 雛乃はしれっと答えたが、俊介はギョッとした。向かいに座っていた龍樹も、突如として居住まいを正す。

 御陵コンツェルンといえば、国内でも有数の財閥系企業グループである。である。まさか御陵コンツェルンのご令嬢と合コンをすることになるとは。将来のためにここで何かしらのコネを作っておくべきだろうか、と俊介は素早く脳内で算盤を弾く。


(……いや。面倒ごとの方がデカそうだな)


 数秒で諦めた。所詮、自分とは住む世界の違うお嬢様だ。この場限りの縁と思って、せいぜいタダ飯を楽しむのが吉だろう。小さな皿に入った前菜盛り合わせも、刺身の舟盛りも、鯛の吸い物もどれも美味い。

 モリモリ食べている俊介とは裏腹に、雛乃はあまり箸が進んでいないようだ。少食なのか、それとも社長令嬢の口には合わないのか。そのマグロの刺身いらないならくださいよ、と言いたくなるのをぐっと堪える。


「……それにしても、なんで御陵コンツェルンのお嬢さんが合コンなんか?」


 そんな疑問が、ふいに口をついて出た。

 雛乃は両手を膝に置いたまま、くるりとこちらを向く。話をするときに、相手の目を見るタイプなのだろう。曇りのない澄んだ目にまっすぐ見つめられると、なんだか意味もなく逃げ出したくなる。


「普通の大学生らしいことをしてみたい、と思い立ちまして。それで、椥辻さんに無理を言ってお願いしました」

「ほんと、いきなり〝合コンというものをしてみたいのですが〟って言われたからびっくりしたよー。今日初めて喋ったのに!」


 それは驚きだ。初対面でそんなことを切り出されて引き受けるなんて、ちょっとお人好しすぎないか。もちろん胸の内ではさまざまな打算が渦巻いているのかもしれないが、俊介のようにタダ飯につられたわけではないだろう。


「申し訳ありません。友人がまったくいないもので」

「急なことだし、雛乃ちゃんに会わせるわけだから、変な男の人連れて来れないでしょー?」

「配慮いただきありがとうございます」

「それで、わたしの知り合いの中では一番の有望株を選ばせていただきましたー!」

「マジで!? やったー!」


 有望株扱いされた龍樹は素直に喜んでいる。悪印象は抱かれていないのだろうが、美紅から〝友人に紹介してもいい男〟だと思われていることには、おそらく気付いていない。幸せな男だな、と俊介は内心呆れた。


(しかしまあ、連れて来られたのが俺たちみたいなのとは。お嬢さんもさぞがっかりしただろうに)


 龍樹も俊介も見た目はそれほど悪くないが凡庸な一般人であり、御陵コンツェルンのお嬢様と釣り合いが取れているとは言い難い。しかも龍樹に至っては、明らかに美紅以外は眼中にない。雛乃の望んでいた〝合コン〟がどういったものかはわからないが、これでは期待外れもいいところだろう。


「残念でしたね。来たのが俺みたいなので」

「そうでしょうか。この出逢いが無益かどうかを判断するのは早計だと思いますが」

「え」


 意外な反応に、俊介は驚く。思いのほか好印象を持たれているのだろうか。氷の仮面のような雛乃の表情からは、今ひとつ感情が読み取り辛い。


「私には友人がいませんから。こうして普段関わることのない、同世代の方たちとお話しできることは、貴重な経験だと思います」


 話しているあいだ、雛乃は俊介から視線を逸らさない。なんだかこっちが居た堪れなくなって、俊介は泡がすっかりなくなったビールばかりを見つめていた。

 会話が途切れると、雛乃は黙々と食事を始めた。少食なわけではなく、おそらく会話しながらものを食べるのが苦手なのだろう。箸の持ち方が手本のように美しく、食べ方が綺麗だ。凝視するのも気が引けたが、俊介は横目でこっそり観察していた。


 合コンというにはあまりにもお行儀の良い会合は、和やかに進んでいった。龍樹と美紅が社交的で明るいため、沈黙が気まずくなるようなことはない。俊介は話を振られるたびに、当たり障りのない答えを返していた。

 メインの天ぷらを食べ終えたところで恋愛の話題に移り、ようやく多少合コンらしい空気になる。


「美紅ちゃんは今、彼氏いないんだよね?」

「そうなの! 実は、先月別れたばっかりで。今は、彼氏とか別にいらないかなって感じかなー」


 さりげなくジャブを打った龍樹があっさりカウンターを食らって、がっくりと項垂れている。三杯目の日本酒を飲んで舌の周りが良くなってきた俊介は、隣の雛乃に向かって尋ねた。


「お嬢さんは、彼氏欲しいんですか?」

「……その〝お嬢さん〟って、私のことですか?」


 俊介の呼びかけがお気に召さなかったのか、雛乃は怪訝そうに眉を顰める。しかし改めるつもりもなかったので、「他に誰がいるんですか」と返した。


「……そうですね。恋人は欲しいです」

「まあ、合コンしたがるぐらいですもんね」

「えーっ、雛乃ちゃんほどの人でも彼氏欲しいと思うんだね……どんな人でも、ふって息吹きかけるだけで彼氏になってくれそうなのにー」

「そうでもありませんよ。人の気持ちはお金で買えませんから」


 雛乃はそう言ってかぶりを振った。彼女にとってはなんてことのない発言だったのだろうが、俊介はややカチンときた。

 この手の〝愛はお金では買えない〟的な思想が、俊介は大嫌いである。貧乏人が言えば負け惜しみに聞こえるし、金持ちが言えば嫌味に聞こえる。俊介にとっては、この世に金より大事なものなどないのだ。


「……いや。人の気持ちだって、買おうと思えば金で買えますよ。あるとこにはあるもんです」

「どういうことですか?」


 雛乃が小首を傾げると、黒髪がさらりと揺れる。顔にかかった髪を耳にかける仕草も美しい。


「俺みたいに金で動く人間の愛なら、いくらでも買える。札束で頰ブン殴って、〝私の恋人になってください〟って言えばいいですよ」

「おいおい俊介、ゲスい話すんなよ。ごめんねー、こいつ金にがめつくて」

「なんでだよ。顔や性格で恋人を選ぶ人間はいくらでもいるのに、金で選ぶと批判されるのは理不尽だ。財力だって立派な才能だろ」

「うーん……でもそれって、本当の意味で気持ちを手に入れたことにはならないですよね? 結局、相手が好きなのはその人自身じゃなくてお金なんだから。顔や性格とは訳が違いますよ」


 運ばれてきたデザートのメロンシャーベットをつつきながら、美紅が言う。やっぱりお嬢様は綺麗事が得意だな、と俊介はややムキになった。


「愛されてるかどうかなんて、結局は自分の主観じゃないですか。いくら相手が金しか見てなくても、当人が愛されてると思い込めるなら、それでいいんじゃないですかね」


 美紅は納得していなさそうだったが、この場の空気を乱すほどでもないと思ったのか、「まあ考え方は人それぞれですねー」と雑にまとめた。雛乃は瞬きもせず、じいっと俊介のことを見つめている。


「……お嬢さん、まだ何か?」

「では、あなたの愛はお金で買えますか?」

「そうっすね。札束で頰ブン殴っていただけたら、いくらでも」


 俊介が冗談めかしてそう答えると、雛乃は真面目くさった表情で「大変興味深いお話でした」と頷いた。

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