第16話 真実への旅路

少尉が会いにいったのはリィ・ヨン技官であった。

彼女はレオハルトの姿をみるなり、安堵した様子になった。そのそばにシン・アラカワ曹長がいた。

「リィ。ここか」

「レオハルトさん。心配しました。レナードの船内がひどい状態だったようで……」

「ああ……覚悟はしていたが……」

レオハルトの顔は暗かった。それを見てシンが言った。

「慣れろルーキー」

「……何?」

「慣れろと言ったんだ。新米」

シンは冷徹なまでにそう言った。レオハルトはそれを聞いて怒り心頭で言った。

「慣れろだって!?人が死んでいた!人が肉と血をまき散らして死んだ!これを慣れろだって!?ふざけるな!損害以前の問題だ。お前には血も涙もないのか」

「死んだ人のために生きている人を失う方が問題だ。……それに血も涙もある」

「だったらそんな言い方は」

「現に俺は母を失ったことがある。その後知り合った親友も味方だったはずの男に裏切られた上に俺を庇って殺された」

「!!」

「この世界には『ふざけた不条理』が存在する。それが現実だ。俺は優しい人をミンチにする現実から逃げたくない。向き合った上で叩き潰す。それが俺の……俺を信じてくれた全ての『優しい人』への弔いだ」

「……曹長……あなたは……」

「兄は俺の母を殺したのはワンチョウ国のせいだって怒っている。違う。ここにいるリィのように礼節や良心を持った人間だっている。じゃあ、お母さんやミッシェルを殺したのはなんだ?人間だ。『人間の悪意』が殺した。それは確かな真実だ。辛いとか辛くないとかじゃない」

曹長は確かな口ぶりで。しかし僅かに悪への憎悪を滲ませてそう言った。凄惨な過去を見て、正義なき真実をみて、それでもなお、シンは信念を既に確立していた。

レオハルトの頭にある言葉がよぎる。

精神的超人。

それは生への強い肯定であると同時に永劫回帰の人生の中に確立した思想を持つ思想である。あらゆる束縛も同じ状況が繰り返されようとも屈しない。己の信念のみに基づいた意志によって自身を律する。

二十にすら到達していないこの若き軍人は陰惨な過去に束縛されない強靭な信念を既に確立していた。

だがそれは狂気への入り口でもあった。一歩道を踏み外せば破壊のみに囚われる茨の道。シン・アラカワは既に修羅が如き境地へと進んでいた。

「……そうか……あなたも苦しんでいるのですね」

「否定はしない。だが、逃げたくないんだ」

「……強いんですね」

「そうか?俺はただ生きたいだけだったんだ」

「……僕は迷っているんです」

「どうしてだ?」

「……父の死を知りたくて軍人になった。だが何も分からない。分からないまま人の死を眺めたくないんだ」

「ならやることは一つだ。生き残れ」

「……生き残る……か」

「そうだ。生き残れば知ることが出来る。生き残れ」

「分かった。……あと」

「どうした?」

「あなたはギルバート中佐をどう思っている?」

「……今は言わない」

「どうして?」

「いずれ分かる」

シンはそう言って踵を返してしまった。黙しているが彼の表情から読み取れる事があった。

……敵意だ。

シンはギルバート中佐に対して敵意を抱いている。それは巧妙に隠されていたが、レオハルトの目は明確に彼の敵意の感情を見抜いていた。

表情筋、目線、声のトーン。

あらゆる情報を思い返したが、ギルバートへの憎悪を読み取っていた事を再認識するだけであった。

「……どういう……?」

ヴィクトリア級戦艦『シンシア』の片隅でレオハルトはその背景について思案していたが答えの出る事はなかった。


シンシアでのその後の生活は驚くほど穏やかなものであった。シンシアでの乗務員に組み込まれたレオハルトは誰よりも素早く働いた。それはレオのメタアクト能力の賜物でもあったが、現場で良くも悪くも得難い経験をしたことも影響していた。

人の死、飛び散った血、凄惨な光景。血の匂い。炎。

レオハルトは就寝のたびに救えなかった人の事を考える。そして耐えた。

眠れない日は飲み物を飲む。それだけでもだいぶ違っていた。

航行からもう何ヶ月も経った時だ。

レオハルトは珍しい男と『再会』した。

「……貴方か……もうルーキーとは到底呼べないな」

「君はここで何を?」

「……改まった口調で話すべきでしょうか?少尉殿」

「いや、自然体でいい。その方が君を知る事が出来る」

「感謝する。シュタウフェンベルグ少尉」

「さて、君らしい口調に戻ったところで……君はどうしてここに?」

「飲み物だ。夜でなければコーヒーをいただきたかったが……まあ、緑茶ぐらい飲んでもバチは当たらないだろうな……君は?」

「……同じく艦内の自販機でココアを」

「なるほどな。あれはたまに飲みたくなる」

アラカワ曹長は遠くを見るようにして、レオハルトの質問に答えた。

そしてふと曹長は訪ねた。

「……なぜ軍人に?」

「え?」

「少尉殿はなぜ?」

「……父の死の真相を知りたかったからで」

「……そうか」

「……父をご存知で?」

「……上官だった。直属だ」

「!!」

レオハルトが目を見開いた。

シンは気にせず言葉を紡いだ。

「……イェーガーが言っていたな。綺麗ごとを突き通せる逸材だと」

「綺麗ごと?」

「ああ……少尉殿の言葉は最初胡散臭いと思ってた。また平和ボケしたヤツの寝言かって」

「……すみませんね」

「いや、まさか俺の兄貴を突き動かすとはな」

「え……?」

「なんだったか?……『台風と千里眼』か。有名だったなお前と……兄貴をコンビは。あんな楽しそうにしている兄貴は久々だったよ」

「知っているのですか?」

「当然だ。ここにいても本国の珍騒動が伝わってきたよ」

「……君の兄、タカオとは……」

「ジュニアハイ以来だな。たまに会うが『どうして出てったんだ?』の一点張りだ。しつこいくらいに聞いてくる」

「ジュニアハイ?」

「聞くな。あっちのちゅうが……ジュニアハイ時代は最悪だった」

「すまない。嫌なことを聞いてしまったね」

「……」

「ん?」

シン曹長は少尉の目を見つめていた。それは物珍しい生き物に出会ったかのような好奇の目であった。しばし、レオハルトは見つめられるがままになったが、やがて曹長が口を開いた。

「いや、見ず知らずの人間に……それもため口を聞いてくる部下に親身になるんだなって」

「ああ……君はタカオの弟だって聞いていたから、まずどんな人か知りたくてね。それに……」

「なんだ?」

「力になりたいと思ったんだ?」

「なぜ?」

「ああ……僕は軍人を目指さなければ教師になるつもりだったんだ。『褒めて伸ばす国一番の教師』に。だから、まずは……」

「人を信じたいか……『台風と千里眼』から変わっていないようだな?」

「すまない。人間、孤独だと辛いだろう?ましてや戦時だとさ……」

「!!」

シンが目を見開いた。

あからさまで大仰な反応にレオハルトは面食らった。だがレオハルトはすぐに言葉を紡いだ。

「すまない!同情は無用だったかな!?でも力になりたかったんだ。気を遣わせたし」

「……そうか」

曹長は少尉を値踏みするかのように見ると、ゆっくりと微笑を浮かべた。この時の曹長は若者らしい明るい笑みであった。

「ありがとうございます。少尉殿」

「いや、僕は何も……」

「いえ、あなたの言う通りですよ。では……」

そう言って曹長はその場を立ち去ろうとする。

「待ってくれ」

レオハルトがシンを呼び止めた。

「どうした?」

「僕にも聞かせてほしい」

「……」

しばしの沈黙の後、シンは条件付きで肯定した。

「分かった……ただし、ひとつだけだ」

沈黙。そして、レオハルトは言った。

「……君はどうして父の部下に?」

「軍人になった理由か?」

「ああ……」

「……俺には大好きだった母と俺を親友だと認めてくれた人がいた。彼らの無念を晴らすためだ」

「無念?」

「……母は俺を心配して死んだ」

「!!」

「そして、……『ミッシェル』も…………ミッシェルは孤独だった」

「……」

「ミッシェルに誓った事がある。それを俺は果たす使命がある」

「……それが君の戦いの」

「…そうだ。それ以上は言わない。すまんな」

「ありがとう。話してくれて」

「……あなたは変わった人だ」

シンはやや面食らった様子になりながらその場を去って行った。途中で少女と出会って何かを話していた。女の子は端正な顔立ちで黒く美しい髪が印象に残る人であった。


レオハルトはふと『軍曹時代のシン』の記録を読みあさる事を考えたが、すぐにその考えを退けた。機密に関わる情報を新米の将校ごときが読める立場ではなかったからだ。

「……しばらくは仕事に専念……か」

そう呟きながらレオハルトは食事をとる事に決めた。

この日は香辛料をたっぷり使った定番料理が献立にのっていた。

「食べることも戦いか」

レオハルトは食堂の方に向かって歩き出す。

「あれ?」

「ん?」

リイとレオはばったりと出会った。

「やあ」

「えっと……」

「奇遇だね。邪魔じゃなければ一緒にご飯食べよう」

「えっと、私で良ければ」

「ありがとう。ご飯が一人だと、どうもね」

「へぇ……私はあまり気にしなかったんですが」

「そうなんだ」

「レオハルトさんは何時も友達や家族と?」

「そう。あと、軍人になる前にはマリアと食事を共にすることも多かったよ」

「マリアさん?」

「えっと……僕の世界一大好きな人」

「あ、聞いております。……それって、ええっと……フィ……フィ……」

「フィアンセかな?」

「!!……ええ、ええ!そうですとも」

リイは顔を真っ赤にしてしどろもどろになる。

「あれれ。どうして君が赤面を?」

「し、知りません!」

「……あー……そうか」

納得したようにレオハルトは頷いた。

「えっと、それよりレオハルトさんの友達はたくさんいたんですね」

「そうだ。親友と呼べる人だと、タカオやギュンター、アーノルド、マルクとラルフだね。イェーガーも親友……というより従者に近いかな?」

「従者?」

「心酔されている」

「へえ……どうしてまた?」

「たぶん、僕がタカオといっしょに悪者を捕まえていた時のことが力になっているようだ。……正直実感ないけど」

「えっと……タカオが一番の親友なの?」

「そうだね。……でもすまない。本来のタカオは優しい人なんだ」

「そうなんだ……私がワンチョウ人だから、国の手先だと今でも思っているのかな?」

「……かもしれない。タカオは僕と会う前に……ワンチョウ国の戦争犯罪者に苦しめられていたようだ」

「……祖国が……タカオさんを……」

「……」

リイの沈痛な面持ちにレオハルトはこれ以上の詮索は出来なかった。

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