第7話 苦悩
レオハルトが通された場所は古くさい応接室であった。
ゴードン少佐がいうには、この場所こそがアスガルドの未来と真実を守る場所であると言っていた。だが、壮大な名目とは裏腹にこの場所は特務機関というより寂れた探偵事務所と称した方が適切だとレオハルトは考えていた。
「……ここが……親父の……」
「そうだ。ここがお前の父の仕事場であった。ここを拠点に多くの命が救われていったんだ。同時に殺しもしたが……」
「わかっています。ですが、どうしてこの場所に……?」
「……大規模な予算を下ろせなくてね。何せ、何世代も進んだ都市光学迷彩と人体改造の技術を持つ知的小動物が何百もの民族と国を滅ぼした張本人だなんて話は……」
「そのことじゃない」
「?」
ゴードンはレオハルトの意図を読み切れずに首をかしげる。厳つい顔がぎこちなく怪訝な顔を作る様子がレオハルトにはおかしく感じられた。
「……父は、自分の職場について誰にも話さなかった。危険すぎる場所だからって……あなたも分かっているはずです」
「そうだ。その覚悟があるのだろう、ルーキー?」
「ええ、そのつもりです」
「だから連れてきた。ここには人の世の理から外れた忌々しい記録が眠っている。活かすも殺すもここにいる人間次第だ。わかるね」
「はい、その代わり父がヴァネッサをどう思っていたのかを教えてください」
「結論から言うと、お前と同じように想っていた」
「……どういう意味です?」
今度はレオハルトが怪訝な表情を浮かべていた。
「親として愛していた。そう言うことだ」
「……明日は嵐ですか?」
「信用してねえな?」
「父は他者に冷徹な人間だったもので」
「……やれやれ、相当不器用なつきあい方をしていたな?」
「兄は慕っていました。僕と違って素直な人だったもので、でも僕は常識は一度は疑って考えるタイプですので……」
「そうかい。なら、ここではすぐに慣れるな」
「?」
「ここじゃ、俗世の常識は通用しない。クレイジーなヤツが元々は朴訥で、良いヤツだったり。子供のなりをしたヤツがおぞましいバケモノだったりってことはよくあるんでな」
「…………なるほど」
「何度も言わせるようですまないが、……真実を見る覚悟は?」
「覚悟は、あります」
「いい返事だ。さすがはカールの息子」
そう言ってゴードンは一冊の資料を出した。
『ヴァネッサ経過観察日誌』。ノートほどの冊子にはそう称されていた。
「…………」
レオハルトは躊躇いながらもその中身の一部を読み始めた。
再興歴321年12月29日
ヴァネッサにはすまないことをした。
娘同然に可愛い女の子に『同い年の魔装使い』の始末を指示した。
歳は長女のテレサと同じか一つ下の女の子だ。彼女には申し訳ないことをしている。彼女が一番辛かっただろうに……。
……いや、俺は冷酷でなければならない。母マリー・オルガは若い頃、恒星に飲み込まれかけたことがある。敵の策略によって。その時は俺の父が救ったが、もしそれが間に合わなかったらと今でも思うことがある。
そんな目にあっても後方司令の人間は母を使い勝手の悪い道具としてしか見ていなかった。これが現実だ。軍の中で出世をするということは、誰かの死体を踏み越えるということだ。
私にとっての最愛の母は司令部にとっては『気難しい知人以下』の認識でしかないことが腹立たしい!
自分は機械になってしまったのだろうか?正義という結果を得るために死体を踏みつける機械になってしまったのだろうか?
それが恐ろしくてたまらない。『永遠に正義を執行するための機械』になることが恐ろしいのだ。
再興歴321年12月30日
ヴァネッサが泣いていた。
私のせいだ。私が機密を守るために暗殺を命じたせいだ。
ヴァネッサが泣いて私を責めた。
「師匠は私に仕事をさせるくせに、褒めてくれない。どうせ認めてさえくれないんだ」といっていた。
……母はかつてヴァネッサと似た台詞を言ったことがある。先日の記載にもあったあの忌々しい事件でだ。自分が死ぬと思った時、母は本心からヴァネッサとほぼ同じ台詞を叫んだ。いまにも溶けてしまいそうな白銀の船の艦橋で。その時のことは幼い頃、こっそり軍の資料映像を見たことで知った。
私は父になれない。父と違って多くの孤独を踏みつけて生きている。その自分がたまらなく憎い。父だったらヴァネッサを救ったのだろうか?
分からない。どうしてもわからない。
再興歴321年12月31日
司令部から勲章をもらった。テロの未然の防止。その功績を讃えて。
窓際部署と称されていたSIAでは異例の出来事であった。
局員の大半から『おめでとう』と言われた。
ヴァネッサの表情は暗い。私のせいで。
私は正義のヒーローになった。その代償に孤独な女の子の心を引き裂いた。
めでたいものか。
家に帰りたい。レオハルトの言う通りだった。私は何も分かってない。人の心が分からない。明日からヴァネッサや家族にどんな顔をして会えば良い?わからない。
再興歴322年1月15日
ヴァネッサのコアジェムの数値が悪化。
侵食性グリーフ・フォースの汚染度数値が30も進んだ。フェーズ3だ。ギュンターの見立てだと、治療法が確立出来なければ余命は半年。
半年の間に『魔装使い』の治療法が確立出来なければヴァネッサは『魔獣化』する。どうすれば。一体どうすれば。俺のせいか?
ゴードンからはヴァネッサと少しずつ仲直りをすれば良いと言っていた。ちょっとずつで良い。話をしよう。一人で悩ませるなと言っていた。
そうだ。孤独は人間にとって猛毒だ。そのことを母から学んだんじゃないのか?耐えられる人間として振る舞いを続け、その真実を忘れてしまったようだ。ならば、一人にさせないようにしよう。すこしずつ剣の稽古もつけてやろう。たくさん話をしよう。家族の話も。
レオハルトのことが良い。
レオハルトは家族で唯一、私の弱点を見抜き、指摘してくれる。
アイツは教師になるのが夢だと言っていた。きっと良い教師になるだろう。
再興歴322年1月16日
ヴァネッサのコアの数値は安定。
妻に詳細を伏せて聞いてみた。女の子相手の上手な人間関係の築き方だ。
妻の方がそう言うことは得意であった。やはり家族にはかなわないこともある。家族には厳しく接することも多いが、それでも家族は愛している。家族が笑顔でいられる世界、ヴァネッサが普通に生きられる世界を守るためなら、何人殺してでも良い。屍の山を築いてでも、大切な人を守れる世界にしてやる。
四月になったら旅行にでも連れてってやろう。その時はレオハルトに一言謝って仲直りしたい。
ヴァネッサの経過はどうにか安定している。
再興歴322年3月1日
ヴァネッサ脱走。
ヴァネッサがいない!荷物ごとヴァネッサの行方が不明だ。
どうして?どうして?
探さなければ。
再興歴322年3月9日
ヴァネッサの行方。
ヴァネッサの居場所が分かった。
AGU系マフィアの下部組織『茶会連合』にいた。
まさか!俺に裏切られたと思っているのか……。一体どうして?
再興歴322年3月15日
軍上層部からヴァネッサ抹殺の指示が出る。
タカオだ。アラカワも作戦に参加するようだ。
最低の父親だ。俺は。
ヴァネッサの父親代わりでいたかった。最悪の事態だ。
俺がなんとかしなくては……。始末は俺が……。
イェーガーにも待機を命じている。
シンには別件の仕事を当たらせた。
再興歴322年3月29日
ヴァネッサのいる組織がヴィクトリア市内の国立研究所を攻撃するという情報。
殺さなくては。殺さなくては。殺さなくては。殺さなくては。
殺したくない。嫌だ。殺したくない。
ヴァネッサを殺したくない。
再興歴322年3月30日
明日、『敵』が攻撃を始める。調査結果がでた。
間違いなく明日決行される。
アイリス。許してくれ。こんなバカな男が人を救うなんて無理だったんだ。
テレサもエミリアも父さんなんて呼ばないでくれ。マクシミリアン。こんな父を誇りに思わないでくれ。一人の女の子も救えない無力な男を誇りに思わないでくれ。だれか俺を裁いてくれ。神でも悪魔でもいいから、だれか俺を殺してくれ。
正義の味方なんかじゃない。俺は女の子一人、ろくに救えないクズだったんだ。
レオハルト。許してくれ。こんな父親失格のクズを許してくれ。
レオハルトが読んだその業務日誌には、ヴァネッサとの記述以外にも、参加した任務のことや殺した敵のこと、さらに犯罪組織の情報や、魔獣と称される高次元生物との交戦記録が記されていた。
レオハルトがそれを読み切った後、胸ポケットにしまった。
不意に何かの気配を感じ、レオハルトは振り返った。
近かった。
背丈は低めだが異様な殺気を持ったアスガルド人がレオハルトのそばに立っていた。
肌は白。髪は黒。目の色は緑。
そして明らかに若かった。十代前半。14歳程度の年齢であったが、歴戦の老兵のような洗練された殺気と猛禽を思わせる鋭い目があった。手には粒子加速式のライフル銃がある。狙撃用のカスタムライフルであった。
「……きみは……?」
「…………レオハルト・シュタウフェンベルグだな?」
「僕の名前をどうして?」
「マスターから……亡きカール大佐から聞いていた。教師志望の子息がいると」
「……いつからそこに?」
「途中から。お前がカールの資料を読んでいると言うことが分かった」
「僕をどうするつもりだ?」
「どうにもしない。護衛するようにカールから厳命を受けている」
「護衛?」
「茶会連合を名乗る犯罪者集団がシュタウフェンベルグ家の人間の命を狙っている。だから保護する。特にレオハルト」
「特に?」
「……昔。あなたには恩がある」
「え?」
レオハルトは少し驚愕した様子を見せたがすぐにいつもの表情に戻る。
「……恩?」
「また追って話す。……窓の外に二人」
「!?」
「!?」
ゴードンとレオハルトは窓の端から外を伺った。隠れるように、急所が窓に映らぬように。
「……どこだ?どうして分かった?」
「……レンズの反射。敵の一人は……狙撃手だ」
拳銃を構えたゴードンが額から冷や汗を垂らした。自分たちは今現在狙われているという事実にゴードンは戦慄した。年端もいかない少女が自分たちを気配もなく狙っているということを察せられなかったことに彼は自身の不用心と不明を悔いた。
「……君」
「?」
「改めて聞きたい。名前は?」
「……アルベルト」
「!!」
レオハルトは目の前の人物の正体をようやく察した。
アルベルト・イェーガー。
レオハルトが15歳だった時、彼には一度出会っていた。
ヴィクトリアシティから十数キロ離れた田舎町、コールドヒル。
山に囲まれ、一年の大半を雪で覆われた、小さな町。そこである猟師の家での出会いをレオハルトは思い出していた。
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