第6話 覚醒、その2
レオハルトがその扉を叩いたのはかなり久方ぶりのことであった。
友人の家であった。彼との時間はやや平凡ともいえる時間ではあったが、同時に安心感があった。心身ともに健康で、人柄に申し分なし。なによりその人物はレオハルトの幼馴染みの一人の家であった。
彼の家を訪れたのには理由があった。
教師の夢を捨てる可能性。
レオハルトは夢を捨ててまでも真実を追うことを覚悟していた。
ノック。それを行なおうと扉に近づこうとした時だった。
背後から声がする。
「やあ、僕に何か用かぁ?」
「……ああ、久しぶりだ。アーノルド」
「え?あ!レオ!!久しぶり!……っておまえ、怪我は!?ニュースになってたゾ!?」
「何とか……な」
「無理は駄目だゾ!?体育会系でも肉離れのときは休むって言うのは常識だったはずだゾ!それに今雨振ってるし……」
肉離れと大怪我では雲泥の差がある。友達のむちゃくちゃな言い回しにレオハルトは一度は苦笑した後、アーノルドに微笑を向ける。
「知ってる。お前のスポーツ狂いは相変わらずみたいだな……」
「まあね。心と体は繋がっているものだ!」
「ああ、変わらんな君は」
「ところで、どうしたんだ?今日は?」
「…………これを……預ける」
レオハルトは真剣なまなざしでアーノルドに『それ』を渡した。三冊のノートだった。所々が破けた分厚いノートであったが、その中身をアーノルドは瞬時に察した。
「…………レオ!?これって君の!『名教師ノート』!?」
「……ああ、これは僕の長年の研究成果が詰まったノートだ。……僕はもしかしたら教師にならないかもしれない」
「なんで!?あんなに教師の夢を語り合ったのに!?僕は国語!君は歴史ってさ!?いったいどうして……」
「だからこそだ。僕の夢を……同じ夢を志す友である君に託したい」
「……理由……そうだ!理由!理由を聞かせなきゃ受け取らないゾ!!」
「……………………父が死んだからだ」
「え?……でも、父が腹黒な人間だから嫌いって君は……」
「……本当にそうなのかを知りたくなった……彼には家族以外に可愛がっていた女の子がいた……ヴァネッサだ……彼と彼女に何があったのかを知りたい。知るまでは教師にならない……」
「…………よく考えるんだ……これは一生がかかっているんだよ!?」
「だからこそだ。このまま本当の事も知らないで……独りぼっちで泣いていて死んだ女の子を……その声を無視して自分だけが教師になんか、なれない!……それこそ後悔する……一生……」
「…………」
アーノルドは躊躇った。
躊躇って迷った表情をしばらく浮かべた。しばしの間。そしてある瞬間、ノートを受け取った。
「それでいい」
「君は……これからどうするんだ?」
「……士官学校に入る。軍人として真実を知る為に戦う」
「……君は……人殺しが嫌いだったはずだ……本当に……父の跡を継ぐつもりかい?」
「……父の後ろを追う事はしない……僕はいつだって誰かを守るために戦いたい……教師だってそのために志した夢だったんだ」
「……」
「ヴァネッサとバカ親父に――父さんに何があったかを知る。それまでの間、どうか……『夢』を頼むぞ……」
「わかった……」
「ありがとう。……じゃあな」
「う、うん……」
それっきりレオハルトは後ろを振り向かなかった。振り向く事より歩き出す事にレオハルトの全意識が集中する。アーノルドはそれを見ている事しか出来なかった。
レオハルトはゴードン少佐のもとを訪ねた。
カールの下にゴードンあり。
それほどの名コンビであった。階級は二つも違うが、その絆は確かに固かった人物だ。人望の薄かったカールと違いゴードンは人を束ねる才があった。
レオハルトはゴードンの居場所をついに突き止める。
バーだ。
親友を失い、ゴードンは途方に暮れていた。
「…………お前ってヤツは……とうとう俺まで置いてけぼりにしちまったか……」
アスガルド海軍の特殊部隊にいた事もあるこの男は、カールよりも歳が上だったのにも関わらず、有事が起これば最前線で戦果を出し続けた。
『アスガルド第一方面軍の巨人』
彼はいつの頃からかそう呼ばれる人物であった。
彼は今立ち直れずにいた。
バーの片隅。カウンター席で酔いつぶれていたのをレオハルトは見つけた。
「おじさん。ゴードンおじさん」
「…………レオ坊……か」
真っ赤な顔と酒臭い息をゴードンは向けた。
「……教えてほしい事があるんです」
「…………なんだ」
「ヴァネッサの事です。彼女と父はいったい誰と戦っていたんですか?」
「……あいつの事は忘れろ……あの小娘の事もだ……」
「いいえ、何としてでも聞かせてもらいます」
「……忘れろ。知らない方が知らない事もある」
「あなたは知っているはずです。あなたは父の相棒でした。彼が何を思ってヴァネッサと組んでいたのかを。それをあなたが知らないはずはない」
「…………」
「僕は知りたい。ヴァネッサはあの時泣いていた。父に武器を突きつけながら、……褒められたいって……認めてもらいたいって……」
「大したメンヘラ女だ」
「それは違う」
「どう違うんだ」
「……ヴァネッサは父と行動を共にしていたって聞いている。……家族とあなた以外に冷徹な父な父がどうして行動を?」
「利用価値があったんだろう?大人っていうのは演技をするものさ」
「……父はそんな手段はとらない。いつだってシンプルで効率的な手段に講じる……例えば……拷問とか」
「…………」
「あなたは父の相棒だったかもしれませんが、それ以上に父と僕は親子です。僕は父が無防備な心の状態を何度も見ているんです。……父は冷たい人間だ……ただし『家族以外』には」
「……」
「僕は分かるんです。背中を合わせて戦った人間には父は不器用ながら気遣うって……」
「…………そうだ。だから、その『不器用さ』をつけ込まれた」
「知ってるんですね……何があったかを」
「……それは」
そこまで話そうとしたとき、イレギュラーな問題に二人は見舞われた。招かれざる来訪者。バーに拳銃を持った男が二人。強盗だ。強盗が二人乱入する。
「金だ!金を出せ!」
「動くな!撃つぞ!」
目出し帽に薄手の黒シャツ男。
パーカーを着たお面の男。
二人とも拳銃で武装していた。
旧式の粒子拳銃と骨董品の火薬式拳銃。
それでも脅威であった。戦う訓練も切り札もないレオハルトにとっては。
「やめるんだ!」
レオハルトは両手をあげながら、二人の前に歩み出る。
不意に目出し帽の男が拳銃を向けた。火薬式拳銃。
男はそれの引き金を引いた。
「レオ坊!!!!」
目出し帽の銃が火を吹き、レオハルトの胸に穴があくように誰もが思えた。
その時だった。
レオハルトは刹那の時間の中で『覚醒』した。
世界が遅くなった。
世界が狭くなった。
世界が小さくなった。
世界が軽やかになった。
レオハルトの世界が光と共に一変した。
レオハルトの視界と意識は完全に常識の世界から逸脱した。
レオハルトの目線が客観に近づき。弾丸の軌道をスローの世界から目撃した。
青い閃光がレオハルトの体を蛇のようにうねる。
いくつも。いくつも。
「やめろ!」
レオハルトは極限まで高められた意識の中で怒っていた。
人を傷つけ金だけのために平穏を奪う。繰り返される不条理にレオハルトは怒っていた。父が死に、見知らぬ女の子が泣きながら死ぬ世界をレオハルトは憎んだ。その正しき憎悪と共にレオハルトは風となった。
「いい加減にしろ!」
レオハルトはスローになった世界の中で強盗の一人を殴った。
強盗の体が宙に浮く。
宙に浮く。
浮く。
そこでようやく、レオハルトは自分の状況に気づいた。
「え…………?」
強盗の体はバーの窓ガラスを突き破り道の反対側の店のシャッターに激突した。強盗は生きてはいたが、誰かを襲う気力を完全に喪失していた。
「…………え、え?……あ、ははは……どうもごゆっくり」
もう一方の強盗は左右をチラチラと見た後陽気に笑いながら逃げ帰っていこうとした。
「どこに行く?」
「へ?」
殴打。
レオハルトの上半身から放たれた右ストレートはもう一方の強盗の意識も刈り取った。いつのまにか強盗のそばにレオハルトは立っていた。
「……これ……は?」
「お、……おいレオ坊……おまえのそれ……まさか……」
「おじさん。すみませんが警察を」
「あ、……ああ……」
レオハルトは自分の『能力』に戸惑った様子を見せないように振る舞っていた。入り口で気絶したパーカー男と目出し帽をぐるぐる巻きにしてバーの柱に固定した。たった十数秒で。
「……この能力……僕はやはり……」
「メタアクターになったみたいだな……レオ……」
「おじさん。やはり知っているのですね」
「……普通じゃない連中と戦うからな……普通じゃない能力があれば便利ってことさ……あのエントロ機関とやらもその一環だ」
「……このメタアクト……速くなるのか……」
「そうだ。それがお前のなかで眠っていた特殊能力。お前の中で育まれた能力だ。俺ら軍はその能力を使ってある連中に立ち向かおうとした」
「……教科書や歴史書に乗っていた『抜き取るもの』か……?」
「そうだな。もっと言えばそれに賛同する連中も含めてだ……」
「この力は……一体なんです?どうして僕が……」
「この街じゃ、粒子加速炉の爆発によって能力者の素質のあるものが多く『覚醒』している。お前もその一人だったようだ。……だがな。この能力は元々あるものなんだ。何百年……下手すれば千何年も前からな。生物の摂理を歪める存在に立ち向かうために育まれた原初の防衛機構……それがメタアクトだ」
「……父さんはそのために……」
「そうだ……もっと言えばお前の父は……ヴァネッサを元に戻そうとした……」
「ヴァネッサを……?」
「……また、時が来たら教えてやる……その前に……お前には戦う術を教えてやる……そのために来たのだろう……」
「……そうでもある」
「決まりだ……じゃあついてこい。酒はしばらくなしだ」
「わかりました」
レオハルトとゴードン少佐は小雨の振る夜の街へと歩き出した。警察が二人と入れ違うように内部に突入する。強盗の二人組を捕らえるためだろう。警官の一人が傘をさしたゴードンに向かって敬礼をした。
ゴードンとレオハルトは振り向く事なく夜の街を闊歩する。
レオハルトはゴードンの顔を見た。ゴードンは無表情であった。
二人はただ歩いた。
歩いて歩いて、ある場所を目指した。
古いビルの一角。事務所のような小さな場所であった。
「ここは何です?」
「俺たちのアジトだ。名前は『SIA』だ」
「エス……何です?」
「『SIA』だ。特殊諜報局。ようこそ、我らの住処へ」
ゴードンはレオハルトをそこへ招き入れた。
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