第5話 覚醒、その1

レオハルトは白の中にいた。

レオハルトが目を開けると白い天井が視界に広がる。

「…………」

レオハルトは察した。

自分が搬送されて、治療を受けていると。

その証拠にレオハルトのそばにはいくつもの医療機器があった。

ピッ。

ピッ。

ピッ。

医療機器が一定のリズムと音を刻む。

「……今は……何時だ?……ここは……」

レオハルトは自分が病院にいる可能性を考えたが、すぐにそうではない事を悟った。病院の寝室や集中治療室ならば、ここまで殺風景な場所である事はあり得ないと。

それと監視カメラ。

どうやら、遠くから監視する必要のある人物が自分を見ている事をレオハルトは推測していた。

不意に扉が開かれる。そこから現れた人物にレオハルトは見覚えがあった。

「……ギュンター。ここはどこだ?」

「……軍の研究所だ。ようやっと目覚めたか」

「ようやっと?」

「……君は二ヶ月間。原因不明の昏睡状態にあった。その治療のためにヴィクトリア中央大学病院からここまで搬送されていた。……調子はどうだ?」

「…………父さんは?どうなってる……いや、やはり言わなくていい。…………父さんは……亡くなったんだな」

「…………ああ。残念だが」

「そうか。なら葬儀は」

「既に終わってる。……軍の関係者や生前、カールと親しかった人物が多く来ていた。……悲惨な……葬儀だったよ。……君のおばあちゃんが声を上げて泣いていた……君のお母さんも……」

「……………………そうか」

レオハルトは泣かなかった。涙を流す余裕すら失っていた。

「…………僕の体に異変があるのか?」

「……ああ。君の体からメタアクター反応が出た。陽性だ。どういう能力かは分からない。だが、普段過ごす時には注意してほしい」

「……マリーおばあちゃんやお母さんに会いたい。とりあえず自分が無事だって……」

「……まだ安静にしていろ。僕の方から無事だって伝えておく」

「持つべきは逆境の友だな。ありがとう」

「いいよ。親友を助けたかっただけだから」

「……ああ。あとマリアにも伝えてほしい」

「わかった」

了解の返事と共にギュンターは殺風景な空間から退室した。

長方形に開いた空間にむかってギュンターは一歩ずつ進んでゆく。

その後ろ姿がどこか悲しげであった。








レオハルトの外出が許可されたのは研究所の特別実験室で目覚めて三日後のことであった。身体能力の計測や血液検査。行なえる検査はほとんど全て行なった。いくつかの診断に興味深い結果が現れていた。

筋肉量の増加。代謝の促進。血中成分の変化。そして体内細胞の異質な反応。持久力と瞬発力の異常な向上。

レオハルトの体に大きな変化が起きていた。見た目の上では人間の体だが、体つきが強靭になっていた。

ギュンターがレオハルトの監視措置を決定した後、レオハルトはようやく家の帰る事が出来た。レオハルトの表情は平然をなんとか装う事が出来た。

レオハルトは車で家まで送ってもらった。

そして、車が家に着いた時には、既に家族が待ってくれていた。

「……ただいま。おばあちゃん」

マリーはレオハルトを抱きしめ、涙を流した。

「……ほんとうに……本当に良かった……息子の元に孫も逝ってしまうと思ったよ……ぐず……うう……」

「おばあちゃん……」

「ほんとうに……生きててくれてよかった……」

「……」

母アイリスもレオハルト抱きしめる。姉テレサや妹のエミリアもレオハルトが生きていた事に涙ぐんでいる。

「馬鹿……心配かけさせるんじゃないよ……」

「ごめん。母さん……兄さんは……?」

「……いま仕事で軍に行っている。忙しいからこんなものしか残してやれないって残念がってたけど……」

「……そうか」

レオハルトは母から渡された手紙をその場で読んだ。兄マクシミリアンは父に似て冷厳な一面のある人物だが、律儀で生真面目であった。この時の手紙ですら恐ろしく丁寧な字で気遣う言葉が綴られている。相変わらず言葉遣いが手厳しいが。

我が弟レオハルトへ。

この手紙を読んでいるということは、どうやらこの家に返ってくる事が出来たという事なのだろう。手紙は私の趣味ではないが、我が親愛なる愚弟が戸惑う事のないように書き残せることを可能な限り記しておこうと思う。

父は死んだ。父はある『魔装使いで構成された犯罪組織』を追っていた。そいつらの首領を捉えるために父はあるスパイと協力関係にあった。

ヴァネッサ。ヴァネッサ・アンダーウッド。

娘同然に可愛がっていたその小娘はある日、父に叛旗を翻した。ヴァネッサの過去を調べ、彼女の裏切りをそそのかした人物を俺は調べている。お前は大人しく長年の夢であった『褒めて伸ばす名物教師』の夢でも追いかけていろ。殺されるよりかはマシだ。俺が父に代わって魔装使い関連の犯罪を追いかける。だからお前は安心して自分の夢を追いかけていろ。くれぐれも。父の仇を討とうとは考えるな。お前のような『どうしようもないくらいのお人好し』に憎悪は世界一似合わないぞ。さっさと一人前の教師になるといい。

追記 父の財産はお前に相続されるそうだ。教師としての勉強に存分に使うと良い。

愛すべき我が愚弟へ、マクシミリアンより。

レオハルトはその手紙を母に返して、ある場所を聞いた。

「……父さんの墓に生きたい。場所はどこだ?」

「……」

「母さん?」

「……ブラウニーズ地区のグラスホッパー墓地。そこに……」

「ありがとう……ちょっと行ってくるよ」

「……ご飯を食べてからにしなさい」

「もう食べてきた」

レオハルトはピシャリと一言を発する。

「そう……」

今までにない反応にアイリスは戸惑った様子を見せつつも冷静さを装った。レオハルトは余裕がないのか、苛立った表情のまま、父の眠る墓地へと向かった。とぼとぼと歩みを進めるその後ろ姿を家族はただ見ている事しか出来なかった。








暗く曇った午後の空。昼だというのに薄暗い日である事も相俟って、その墓地の雰囲気は一層陰鬱としたものとなっていた。木々は五月らしい若い葉をつけてはいたが、趣よりも陰気な雰囲気を一層引き立てるだけであった。

「…………このバカ親父が……バカはどっちだ……さんざん人にはバカ呼ばわりするくせに……」

レオハルトは墓石の一つにもたれ掛かるようにして泣いていた。

ひとしきり泣いてレオハルトはぼうっと墓と空を見る。

雲だ。

灰色の雲が空を覆っていた。

レオハルトはそばにあったちっちゃな墓石を見た。

ヴァネッサという名前があった。

墓にはこう刻まれていた。

孤独に苛まれ、騙され、最後に真実に至った少女、ここに眠る。

「…………」

「ここにいたか。レオハルト」

レオハルトに横。少し離れたところに二人の男が立っていた。

一人は兄だ。兄のマクシミリアン。筋骨たくましいのは相変わらずだ。

もう一人は、タカオ・アラカワだ。レオハルトの親友だ。アズマ人である事も相俟って、マクシミリアンより小さく見える。

「……兄貴。それと……タカオ?」

「ああ、……大変だったな。レオ」

「……親友とは言え、泣き方は変えた方が良いぞ。弟」

「…………参考にするよ」

「……らしくないな。もっと突っかかってこい」

「そんな余裕はない」

そこまで行ったところでタカオは二人の間に割って入った。

「……レオは起きたばかりで心の整理がついてないのですから、もう少し、彼に時間を与えたらどうでしょう?」

「……ここが戦場だったらどうする」

「ここは――」

「兄さん」

不意にレオハルトが小さな墓石を指差す。

「この銘……兄さんが?」

「……いや彼だ。タカオが暗い顔でこの言葉を刻めって言ってきた」

「……タカオ?」

「……能力で知った」

「……能力か……グリーフフォースだったな?」

「……どうした?まさかお前も目覚めたとか言わないよな?」

「……GFではないが、別の能力に目覚めてるかもしれない」

「……あの事件の影響か?」

「ああ、……粒子加速炉……爆発したこと……おぼろけながら覚えている。……ヴァネッサが止めようとして邪魔が入った時、親父は俺を閉め出して自爆した事を……」

「……無理をするな」

「ヴァネッサが止めただと!?そんな事はない!アイツは親父を!」

「違う。ヴァネッサは……親父に裏切られたと思ったんだ。どういう理由かは知らなかったが……でも、そうじゃないと察してくれた時に……二人の魔装使いが……」

「そんな事はない!」

「いや、こいつの言う通りだ」

タカオがそう言ってマクシミリアンの方を向く。

「能力で『再現』を少しした。ミサには敵わないが、最近の出来事を少しなら俺でも出来る。確かにヴァネッサは誰かに吹き込まれていたようだ。ヴァネッサは」

「……本来は、グリーフとかいうインチキまがいの現象を信じるつもりはないがな……今は別だ」

「?」

「このヴィクトリア・シティに大量発生している……メタアクターが」

「メタ……ああ、軍の研究所で聞いたよ。いわゆる……超能力者……」

「そうだ。個体によって違う能力を発現する人間……正直、俺はオカルト雑誌でしか見た事なかったよ……」

「……ということは……俺もタカオみたいに能力が……」

「……厳密には違うものだ。グリーフは外部から体内にエネルギーを宿す事で力を使う……メタアクター能力は細胞を違う状態に変異させて用いる能力だ」

「……僕が寝ていた間に……」

「だが、これはこれで目的が叶ったのだろう?マクシミリアン?」

「!?」

レオハルトは唖然とした様子で兄の方を見た。

「…………おい。弟には黙ってろと……」

「兄貴!!それってどういう!?」

「……アレは世紀の発明だ。アレさえあればアスガルドは偉大な国家になれるんだ」

「……まさか……」

「そうだ……ヤツらは宇宙のためと称して、年端のいかない少女を燃料に変えてやがるんだ……だから……あれは切り札なんだよ。ろくでもない生まれ育ちの連中に渡すくらいなら爆破して作り直した方が……社会のためだ」

「…………今、……なんて言った?」

「だから、ヤツらは少女を燃料に」

「兄貴……ろくでもない生まれ育ちって言ったろ……」

「…………事実を言っただけだ。生まれ育ちのろくでもない連中なぞ犯罪者になるだけだ」

「言葉を取り消せ」

「レオ……ヴァネッサが親父を殺したのに――」

「取り消せ。ヴァネッサは……人並みに親に愛されたかっただけだ」

「愛されたかった?それだけのために犯罪が許されるとでも」

「親父を傷つけようとした事や犯罪の片棒を担いだことは許されない。だが、独りで生きていけるほど人は強くない。彼女の気持ちは人間の法に則って考慮されるべきだ」

「……弟の夢は応援する。だが、俺は人間の運命は決まりきっていると考えているよ。悪いヤツは悪いヤツにしかならないんだ。だから『白の側』が強くなるしかない。それが現実だ」

「……」

「……」

「ふたりともそれまでにしろ。特にレオハルト」

「……」

「それより、マクシミリアン大尉。『例の一団の件』で進展があるかもしれません。一度戻りましょう」

「そうだな……レオ、話は後だ」

「……」

二人は足早にその場を後にした。

レオは握りこぶしを作った後、亡き父の墓前に語りかけた。

「……親父……これで良かったのか?社会のために弱い立場の人間を犠牲にして……僕は嫌だね……僕は真実を追うよ。教師の夢は……それまでお休みだ……」

レオハルトは駆けた。

レオハルトは不思議と体が軽い感覚を覚えていた。夢以上に大きな使命のために真実を知る必要があると彼は考えていた。これ以上、祖母や母や姉や妹のように失ったもののために苦しむ人を増やしたくないとレオハルトは決起した。レオハルトは駆けた。

風よりかは遅かったが、力強い足取りであった。

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