第4話 宿泊客:ヨウ子④ 死者と会える「面会室」のこと
秋はサクサクと話した。
人からお金をだましとろうなんて、考えているようには見えなかった。
まるで、おいしいお菓子の作り方でも伝授しているみたいだった。
「当ホテルの三階の突き当たりに、便宜上、面会室と呼んでいる、青いドアの部屋がございます。そこが死者の訪れる部屋です。
お客様は、ある日、その面会室へ呼ばれます。呼ばれるタイミングはわかりません。わたくしどもがお呼びするわけでもありません。ただ、そのときがきたら、自ずと呼ばれたと分かります。
面会室は、ふだんは閉じられておりますが、呼ばれたときは扉が開き、中へ入れるようになっております。
中へ入ると、向い合わせのソファーが一組と、テーブルがひとつ、それに右手の壁に黄色いドアと、奥に赤いドアがございます。
死者は黄色いドアからやって来ます。
お越しになった方とお客様は、面会室でお話しいただき、お話が終わりましたら、お客様は、入ってきた青いドアから面会室を出ます。それで面会は終了です」
秋は、穏やかな微笑みをたたえたまま言った。
「わたくしどもが仲介しているわけではないので、面会室にいつ呼ばれるか、どんな方がお越しになるのかは、見当がつかないんですよ。だいたい、お客様が思い描いていた方がお越しになるようですが、まったく思いがけない方がいらっしゃることも、ときどきございますね」
ヨウ子は訊いた。
「それ、本当なんですか」
「はい」
あっさり言う。そのあっさりさに、かえって混乱する。
「でも、そんな……本当なんですか」
「はい」
同じ回答。
「それ、すごくお金がかかるとか?」
秋は首を振った。
「いいえ。面会室で亡くなった方とお会いする件に関しては、わたくしどもは、基本ノータッチです。前のオーナーはお金をとっていましたが、そのような介入は、本来行うべきものではありません。
介入ということばも、適切ではないかもしれませんね。それはわたくしどものスタンスの話なのです。
面会室での出来事は、お客様と、面会室のあいだで起きること。わたくしどもは、そこには関わりません。突き放しているのではなく、それが良いように思えたのです。わたくしどもは、面会室を訪れるお客様に、面会室へ呼ばれるまでのあいだ、サービスを提供する存在。つまり、お客様にお食事をお出しし、お客様のお泊まりになったお部屋を掃除する範囲を、わたくしどもは超えてはいけないのではないか、と」
どういう意味だろう。
ヨウ子の顔に浮かんだ疑問に、秋は答えた。
「死者に会いたい方は、簡単には言えないご事情や、悩みを抱えていらっしゃいます。不用意にそこへ立ち入るべきではないのではないか、と思えたのです。
つまり、青いドアから戻らずに、黄色いドアから出て行ったほうが、もしかしたら不幸の少ないかもしれないお客様もいるのかもしれない、と」
「黄色いドアから出て行けるんですか?」
そちらのほうが驚きだ。
だって、黄色いドアは、死者の来る扉だ。つまり、その黄色いドアの向こうは。
「はい。実際、そうなさるお客様もいらっしゃいます。訪れた方と共に、黄色いドアから出て行って、お戻りにならなかった方も。必ずしも、青いドアから戻らねばならないということはありません」
そう言うと、秋は二本、指をたてて言った。
「わたくしどもが介入する場合は、2つございます。
1つは、お客様のご希望とは反する事態になったとき。
青いドアから出たいのに、黄色いドアを無理やりくぐらされそうになったときなどが、これに当てはまりますね。
もう1つは、お客様のご希望に沿ってはいるけれど、明らかに止めた方が、不幸が少なくすむとき。
こちらは大変判断が難しいケースです。このケースにあてはまらない場合の方が、ご理解いただきやすいかもしれません。たとえばご年配のお客様で、すでに長い時間を生きられ、人生でやり残したことも無く、今はただ訪れた方と共に去って行きたい、と仰るとき。その場合、わたくしどもはお引き留めしません。
ですが、まだ人生の残り時間の多い方で、ちいさなお子さまを残して来た、というような場合は、たとえ黄色いドアから出て行きたいというお客様のご希望があっても、わたくしどもはお引き留めする場合がございます」
ヨウ子は思った。
サクサク話すのは、整理して説明できるくらい、何度も経験しているからじゃないか。慣れているからこそ、サクサク話せるのだ。
信じられない話だけれど、ヨウ子は信じられる気がした。
こんなマニュアル化された説明ができるくらい、死者の訪れる部屋が普通にあるんだということを。
しかもその部屋は、このホテルの三階にあるという。
「その面会室、だれでも、利用できるんですか」
その質問に、秋は「できます」と答えた。
「できる、という言い方も、適切ではないかもしれませんね。面会室には相性がございます。相性が合うかどうか、という話になるのです。ホテルにお越しになって、三日もしないうちに呼ばれる方もいらっしゃいますし、三ヶ月待ってもいっこうに呼ばれない方もいらっしゃいます。後者の方は、三年ねばっても無理でしょうね。かなり嫌がられておりますから」
「嫌がるって、誰が?」
「面会室です」
あっさり。
「部屋が嫌がると言う言い方は、明らかに適切ではないでしょう。しかし、そう申し上げるしかないのです。あの部屋はそういう部屋なのです。部屋というか、この場所そのものが」
ホテルの入口に着いた時の、得体のしれない毒の惑星におろされたような、あの感じがよみがえった。
死者と会えるホテル。
「お客様はどなたか、お会いになりたい方がいらっしゃるのでしょうか?」
秋が尋ねた。
さりげない口調だった。こういうとき、お手本にすべき完璧さで。
つまり、特大プライベート事項をさりげない質問にしたそのさりげなさ、その細心の注意、そのテクニックを、それ以上の注意とテクニックで、みじんも感じさせないようにした点。
「はい」
ヨウ子は答えた。
自分でも不思議だったけれど、確かにいた。いままで、その存在を忘れていることのほうが多かったのに、ここへ来て思い出した。会えるなら会いたい、と思った。
小学生のとき、仲の良かった男の子。一度だけ、隣の席になった。一緒に遊んだ。一緒に帰った。香りつき消しゴムをくれたあの子に。
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