第17話
「モーツァルトの『幻想曲ニ短調』」
『レクイエム』と同じ作曲家だ。
モーツァルト、名前と顔だけは知っている。音楽室に肖像画がある。ベートーヴェンやらショパンやら、作曲家にうといわたしはよくわからないけれど、すごい人に違いない。
「難しい曲だし、おれ、まだ下手だけど」
翔はそう前置きして、ピアノに指を置いた。
藍さんも翔も、モーツァルトが好きなのかな・・・・・・。
演奏が始まる。ピアノが繊細な音を紡ぐ。
その美しい音色を聴きながら、わたしはピアノの上に置かれた魔法石を見つめていた。
心の中で語り掛けることはできないの?
わたしは今、藍さんと・・・・・・話したい。
藍さん。聞こえてる?
半分冗談のように藍さんを呼んだのに。
「また来たか」
目の前には、藍さん。
西川もぎょっとする。ただ、翔はこちらを見ていないからか、それとも「見えていない」からか、気づいていないみたいだ。
姿は視界に入っていないかもしれないからともかく、知らない声がこんなにはっきり聞こえたら、翔だって顔を上げるはず。
わたしと西川にだけ、見えている・・・・・・?聞こえている。
藍さんは前と同じ服装だ。ひらひら、ひらり、スカートが揺れている。
その瞳はやっぱり物憂げで、だけどしかとわたしたちを見据えていて、どきりとする。
「こいつから私を取り上げようとしているようだが、それは無理だ。それに、私だってこいつを気に入っている」
視線がピアノに夢中な翔の方に向く。大切そうな視線。
わたしは淡々と話す藍さんの声を聞いていた。
でも、藍さんは・・・・・・というか、赤さんも、どうしてこんなことをするの?
赤さんはすぐに普通になるからと言っていた。虹さまのため、自分のため、と。
虹さま・・・・・・藍さんも、あの傘を見てそう口にしたよね。
教えてほしくて、また藍さんに心の声が通じないものかと、唱えてみる。
藍さんは、何をしているの?
「なぜ私がお前に話さないといけないんだ」
見るからに藍さんは機嫌が悪い。さっきまでのあたたかな表情はどこへやらだ。わたしを敵対視しているのは感じてたけど……なんか悲しいな。
そんなわたしを見て、藍さんはいまいましげに口を開いてくれた。
「話せば気が済むというなら、話してやってもいいが。
私たち魔法石は、本来なら強い力を持っている。・・・・・・虹さまの力を分けていただいているからな。ただ、時に力が暴走してしまうんだ。本当にわずかな期間だけ。力をすべて使ってしまわないと、虹さまに負担がかかってしまうんだよ」
虹さまは、一体……。
「虹の化身と言うのが一番ふさわしいかもしれないな。あのひとのことは、私も全部知っているわけではない。
しかし……」
藍さんは心底愛おしそうに笑った。
「私は魔法石として生きてきて、虹さまより美しい色のひとを見たことがない」
色。虹。
待って。もしかして虹さまって・・・・・・あの、男の子?
虹色の髪にきらめく瞳、そして傘。
あの子は、虹さまは、魔法石たちを助けてあげてほしいと思っているから、わたしに助言をしたって、そう考えられない?
自分のために無理に力を使い切る気でいる魔法石を、止めてもらうために。暴走を少しでも抑えるために。
虹さま、が何者なのかはまったくわからない。だけど、赤さんも藍さんも、虹さまに負担をかけたくない一心で力を使おうとしていたのなら。
藍さん。わたし、虹さまに会ったかもしれないの。藍さんのことを助けてあげてって、言ってたよ。
「虹さまは優しいからだ。優しいから、自分のことをいとわない。
私たちは、虹さまの持て余した力をカバーするための存在だ。虹さまは色を司る。力が強すぎる。分散しないとあのひとはダメになってしまう。役割を果たすべきだ」
赤さんのこと、未完成の封印札で封印したんだ。藍さんもそれで封印させてほしい。
「孤独に死せと言うのか?」
違うよ。力が自然消滅したときには、解放する。
「そうしたら虹さまもお辛くないかもしれないが……。私から自由を奪うことに変わりはないだろう」
そうだけど、そうかも、しれないけど・・・・・・。
わたしが頼んでいることは、長期にわたる拘束になるかもしれない。
そんなのは誰だって嫌に決まってる。
翔のピアノだけが鳴り響く。
西川は、わたしと藍さんの対話をただただ聞いてくれていた。わたしの言葉が藍さんを説得できると信じてくれている……そう思っていいよね。
だから、藍さんに。
・・・・・・これだけ、伝えよう。
「『閉じ込められても、オレが話し相手になってやるよ』・・・・・・赤さんからの、伝言です」
ささやくように、ピアノの音にかき消されるほどの小さな声で、わたしは赤さんの藍さんへの言葉を伝えた。
藍さんには、届いた。
翔に聞こえるかもとか、そんなことより、藍さんに直接届けたかった。
「はあ・・・・・・」
ずいぶんと優しいため息。
「赤か。あいつにはかなわないな。どうせ、適当に良さげなことを言っておけば私もおとなしく封印されるとでも思っているんだろう。浅はかなあいつのことだ」
そう言いながらも、藍さんは笑っている。
「ただ、あいつがそう言うなら、お前が嘘をついているわけではないんだろうな」
それって。
曲が終わる。
「赤に一度会わせろ。そして証言の裏を取らせろ」
証言の裏を取るって・・・・・・刑事ドラマみたい。
「虹さまと赤の言葉が本当にそれなら、私が従わないわけにはいかないじゃないか」
「夏野ちゃん、西川、終わったよ」
藍さんがちょうど言い終えた時、翔が椅子から立ち上がる。
「帰る?」
「早方」
西川が翔の瞳をじっと見て、最後の頼み事をした。
黙って聞いていた西川の言葉。
わたしはそれを見て、これだ、と封印札を描いた。もちろん未完成の。
「これをその石に貼ってもらうことって、できるか」
そうだ、一度だけ貸してもらって、封印札さえ貼ってもらえばいいんだ。そうしたら、翔の手元で封印できる。翔から取り上げず。
翔は首をかしげたけれど、しぶしぶといった様子でついに「ん」と答えてくれた。
「それくらいなら別にいいよ」
「明日、貼らせて」
赤さんは翔の家にお引っ越しだな。
そうしたら、ふたりの願いが叶えられる。
虹さまも・・・・・・。喜んでくれるはずだ。そうだ、今度会ったら……ありがとう、教えてくれて、助けてくれて、手を差し伸べてくれて。って感謝しなきゃ。
「帰ろっか、二人とも」
「で、夏野ちゃん、おれの石が欲しいって話はどうなったの?」
「それはもう大丈夫!翔が持っていた方が、魔法石だって・・・・・・」
「魔法石?」
「ほら、早く帰るぞ!」
思わず口をすべらせたわたしを、西川が笑いながらちょっとにらんだ。
何のことやらわかっていない翔だけが不思議そうにしている。
「それと翔、わたしもう一つ石持ってるんだけど、それを預かってもらうことってできるかな。できたらそっちの石と一緒の場所に」
「マジでなんなの、さっきから」
教えてもらえなくて不服そうな翔。だけど、魔法石を持っていていいことに安心したみたいで、それ以上何か聞いたり不審そうにしたりはしなかった。
天使のペンをそっとポケットにしまい、スケッチブックを抱きしめて、わたしは音楽室を出た。
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