第6話

「えっ?」

 なんで・・・・・・?マジック?

 突如現れた火柱にぽかんとする。何が起こっているのか、頭がちゃんと判断してくれない。

「どう?まだつまんないだろ?」

「まだ、って・・・・・・」

 わたしが言葉を失っていると、赤さんは「もっと楽しい感じにしてやるよ」とアルコールランプを一つ、手に取った。

 その瞬間、火柱が立つ!

 赤さんが持っているアルコールランプを始まりに、次から次へと炎が沸き立った。天井まで届くような勢いの真っ赤な火柱。赤さんの姿も炎に囲まれ、見えなくなる。

「きゃあっ!」

 アルコールランプを投げつけられ、わたしはとっさによけたけれど・・・・・・真横で炎が上がり、足がすくんでしまう。

 ガラスが割れる音が響き渡る。左足をじりじりと動かすと、硬い何かを踏んだ感じがした。割れたガラスの破片。

 ちゃり、とガラスの擦れる音がして、現実味が増していく。

 理科室の扉に背中を預けた。

「カギ、閉まってるから。出られねーよ?」

 そんな、どうしたら・・・・・・!

 ……あ、天使のペンで描いたら、合うカギが作れるかも!

 わたしは急いでペンを走らせる。

 簡素なカギがぽんっと浮き上がった。スケッチブックには絵は残らない。浮き出てきたカギは、ちゃんと鍵穴にぴったり。

 ・・・・・・よし、このカギで!

 ガチャ、と音がして、ドアノブが回せるようになった。

 だけど。

「ウソ、でしょ・・・・・・」

 理科室前の廊下は、炎に包まれていた。

 ごうごうと燃え盛る炎は壁を伝い、天井を覆い尽くさんばかりの勢いだ。

「この校舎は火の砦になった。さーて、校舎に何人いたんだろうな?」

「なんでこんなことするの!?」

「理由?」

 赤さんが声を上げて笑う。

「虹さまのため。自分が消えないため」

「消える?」

「西川塁は、本当に何も教えてないのか。それなのに天使のペンを使わせて、詐欺もいいところだぜ」

「キャーーーーー!」

 その時、誰かの悲鳴が聞こえた。

「・・・・・・行かなきゃ!」

「おい、お前はもうここから出られないんだって!一歩でも踏み出してみろ!焼かれて死ぬだけだ!」

 なぜか赤さんは、焦ったような声でわたしを止めようとする。

「でも・・・・・・っ!わたしは、天使のペンを任されたんだから!助けないと!」

 赤さんのたじろぐ息の音を聞きながら、わたしは考える。

 火を消すもの・・・・・・。

 水が必要。バケツ。バケツだ。

 思い描いた通りの色で描けるなら、もしかすると、水を描けば・・・・・・!

 水の入ったバケツを描いて、近くの炎にかける。炎はうまく消えないけれど、なくなった分の水はまたバケツにたまった。

 永遠に水が出てくる。思った通り!

「よし、行こう」

 セーラー服の胸ポケットに天使のペンを押し込む。両手でバケツを持ち、水をかけて進んで行く。でも、なかなか消えない。ほんの少し消えたような気がするだけで完全に消えることはない。

 少しずつは進めてる・・・・・・地道にやるしかないか。

「待てよ!」

 両脇に炎。バケツの水を勢いよくふっかけて、赤さんの方には振り返らず、三階を走り抜けた。


 階段を一気に駆け下りる!

 幸い階段では炎が激しくなくて、バケツで水をかけながら、うまいこと避けて下りられた。

コンコンッ

「えっ、西川?」

 一階と外をつなぐドアを、西川が必死で叩いている。

 そうか、鍵が。

 鍵を開けると、西川はくつを脱ぎ捨て、飛び込むようにして校舎に入ってきた。

「燃えてる・・・・・・?」

 開口一番、あぜんとする。

 もしかして・・・・・・外からじゃわからなかった?

 こんなに校舎が燃えているのに、外には煙も火も及ばないなんておかしい。

「いつから燃えてるんだ!?校舎に入るまでまったく気付かなかった」

「ウソ!五分くらい前から火が上がってたよ。赤さんがアルコールランプから火柱出して・・・・・・」

 さらに目を丸くして、炎を気にして一歩のけぞりながらも西川はつぶやく。

「ファンタジーかよ」

「ファンタジーだよ。今さらじゃん」

 色彩鑑識と魔法石ってのがファンタジーだからね?

「百歩譲って校舎の外から見えねーのはわかるけど・・・・・・ドアが開くまで、特別棟に足を踏み入れるまで、考えもしなかった。燃えているとかさ」

 そんなことって・・・・・・。

「あるの?」

「ないだろ」

 火を消しながら、西川にうなずく。

「どう考えてもおかしい。そもそも、ドアが開いた瞬間、熱風も何も来なかった。暑さがちっとも感じられないってのも変じゃねーか?」

 た、確かに。

 暑さ。暑さか。この場合は熱さ、かもしれない。

 それは盲点。

「じゃあ、この炎は・・・・・・。魔法石って、そんなこともできるの?」

「魔法石の力は未知数。それができたって、不思議じゃねぇよ」

「・・・・・・幻覚?」

 それなら、怖くない?

 でもそのせつな、思い出す。

「違うかも、西川。だって、さっき、悲鳴が!」

 西川は眉をひそめる。

「悲鳴・・・・・・?どうして。どこから」

「三階にいた時、下から聞こえた!たぶん一階だと思って下りてきたんだよ。誰かが悲鳴を上げたってことは、やっぱり炎は、本物なんじゃない?」

「いや、夏野に見えているってことは、その悲鳴の主にも見える可能性だってあるだろ」

 うーむ・・・・・・。

「ところで西川、なんでここに・・・・・・」

「外を探してたら、夏野が走ってるのが見えた。心配で」

 西川はなんてことないことのように言い切った。

「とりあえず一つずつ部屋を見て行こう」

 わたしは階段を下りてすぐの場所にある、第一理科室に飛び込もうとして・・・・・・。

 待って。第一理科室って、十姫さんがいるんじゃない?

 案の定、中には十姫さんがいた。

「十姫さん!」

「あれ?夏野さん。保護メガネは?」

 大急ぎで近づいたのに、十姫さんは首をかしげるばかり。

 西川もわたしの後に続き、そんな十姫さんの様子に何かを確信したようなそぶりを見せた。

「あっ・・・・・・さっき、叫んでなかった?」

「わ、やっぱり聞こえちゃってた?ごめんね、いきなり目の前にハチが飛んできて、びっくりしちゃって・・・・・・もう出て行ったんだけど」

 十姫さんは恥ずかしそうにそう笑って、保護メガネの箱を持ち上げた。

「夏野さんはどうしたの?っていうか、ルイくんもいるし」

「・・・・・・えっと」

 言っていいのかダメなのか、わからなくて西川に指示を仰ぐ。

 これで十姫さんには炎が見えていないのが確定した。ついでに、わたしがなぜかバケツを持っていることに突っ込まない優しさを感じる。

 それはいいとして、西川がさらっと話した。

「特に何もないから、十姫は先に帰れよ。実は保護メガネが見つからなくてさ、夏野と探してるんだ。それだけ先に持って行っておいて」

 十姫さんは不思議そうに、いぶかしげに西川を見る。

 そして、「あの筆箱、持って来ようか?本当に大丈夫?」と心配げに尋ねた。

 十姫さんの言葉の意味がわからずに、わたしが固まっていると、西川はすぐにきびすを返す。

「任せろって。夏野、行くぞ。ほら、早く」

 わたしはもうバケツの水をかけなかった。

 水をかけても消えないって、当然だ。だって幻覚なんだから。さっきまでのわたしの行動はただの気休めだったみたい。

 ただ、それでも不安で、バケツを掲げると・・・・・・西川がひょいっと、炎の中に飛び込む!

「ちょっ、西川!?何してんの!?」

「幻覚か確かめたんだよ。全然平気。熱くもなんともない」

 西川はずんずん先へ進んで行く。

「どうする?赤の魔法石は三階なんだよな。戻るか。もう炎なんて怖くない」

「じゃ、じゃあ、そうしようかな」

 そこで十姫さんが保護メガネの箱を抱え、ててっと第一理科室を出て行ったのが見えた。

「・・・・・・あ」

 唐突に西川が黙る。

「赤さんの気配?」

 わたしはなんとなくそう感じていた。

 西川にはわかるんだ、魔法石の気配が。

 「赤さんって・・・・・・」と西川は少し笑った。そして。

「技術室。技術室に、赤がいる」

 やっぱりそう口にする。

 一階の突き当たりは技術室。赤さんはそこまで移動したんだ。

「魔法石は最初から一階にあったみたいだ。人格だけ動き回れるから、きっと三階にいたんだろ。魔法石は人が運ばない限り動けない」

 それなら、技術室からもう赤さんは逃げられない・・・・・・。

 人格じゃなくて魔法石そのものを捕まえればいいんだから。

 西川がたっと走り出す。速い!

「は、速いね、西川」

 後ろから声をかけると、もう技術室の前にいる西川はすぐに答えた。

「小学生の時はずっと野球やって鍛えられたからな。体力系なら任せとけよ」

 そういえば、野球が好きって話をしていた。頼もしい!

 技術室に入る。カギは開いていた。

「・・・・・・もう来たよ」

 赤さんがいるのだ。

 木材が並ぶ技術室。ふわっと木のにおいがする。

 また赤さんは炎を出した。火がすごい勢いで燃え上がって、わたしと西川を遠ざける。

 だけど。

 幻覚だってわかってしまえば、こんな炎、全然怖くない!

 わたしは炎の中に滑り込む。

「お前・・・・・・」

 赤さんがわたしをにらみつけた。

 大丈夫。大丈夫だ。これは幻覚。本当の炎なんかじゃない。きっと平気。余裕だ。

 それなのに、わかっているのに、わたしの足は震えていたのだ。

 ニセモノでも、怖い・・・・・・の?わたしは。

 だけど、その炎にはなんの熱も感じられない。再び力強く地面を蹴った。

「いいのかよ。そーやって飛び込んでさ。焼け死んでも知らねーぞ」

「ウソつかないで!幻覚なのはわかってるんだから!」

「さて、どーだろ」

 そう言った赤さんはいたずらをする子どものような笑みを浮かべて、近くにある木を手に取った。

そして・・・・・・。

パチンッ

 破裂音に近しい何かが部屋の中で響いた、次の瞬間。赤さんが持っている木がぼわっと燃えた!

 めらめらと火が大きくなり、赤さんはそれを人差し指でくるくる回す。

 あれは幻覚?

 おかしくない?

 まるで本当に燃えているかのような・・・・・・気がして、ならない。

 伸ばされた手。動けないわたし。天使のペンを振り上げる。

 赤さんの顔が一瞬ゆがんで、目をぎゅっと閉じて、こっちに……。

「夏野!」

 置きっぱなしにされていた木の板が、炎を。

 上げ、て。

 その板が燃え上がる一瞬のうちに、西川がわたしと板の間に割って入った・・・・・・。

「西川!」

「・・・・・・っ!」

 西川の右手に火の粉がかかる。顔をゆがめた。本当の炎?

 今度こそ、わたしはもう一度バケツを描く・・・・・・!

 ウソだ、ウソだって言って、こんな炎は幻だって言って!

 西川が燃える板を払い落とした。わたしは西川の右手と板に水をかける。それでも、もう遅かった。西川の右手は赤くはれていた。

「ご、ごめんっ」

 謝るわたしを見てため息をついたのは赤さんだった。

「もうオレに関わらないって約束したら、もうやめる。決めろよ」

「・・・・・・嫌だ!」

 わたしは怒ってるんだから。

 バケツを投げ捨て、スケッチブックから飛び出すくらい大きく雪だるまを描いた!

 ぽんぽんっと雪だるまがいくつも現れる。それはすぐに解けて、空気をひやりとさせた。

「氷で戦う!」

 雪や氷を描くより、雪だるまを描いた方が早いんだ!

 西川の右手を冷やしつつ、わたしはさらに雪だるまを描く。

 赤さんもさらに炎を生み出して、あちらこちらの木が燃えた。そのたびわたしの雪だるまが解けて水になり、炎を消す!

「すげぇ・・・・・・」

 ふっと西川がつぶやいて、わたしはよりペンを早く走らせた。

 でも、赤さんがどんどん歩み寄ってくる。

 わたしが間に雪だるまを出しても、すぐに解かしてこちらに向かってくる。

 ・・・・・・あれ・・・・・・。

 赤さんが悲しそうなのは、どうして。

 ついに赤さんは指先に炎を宿らせて、わたしの方へまっすぐそれを近づける。

 わたしは深呼吸して、赤さんの目を見すえた。

「頼むから、もうあきらめてくれよ・・・・・・」

 赤さんは苦々しげにつぶやいた。

「ちょっと炎を見せておどかせば、すぐにあきらめると思っただけなんだよ。お前が逃げてくれたら、マジで火をつけたりなんかしなかった」

 はあ、とうなだれる。

 西川もわたしも、静かに赤さんの次の言動を待っていた。この機を逃したらもうダメかもしれないって、なぜか強く思った。

「その手のやけどだって、させるつもりじゃなかったのにさ・・・・・・オレがどんどん悪役になってくの、一番怖がってたのはオレだ」

 幻覚の炎がすっと消えていく。

 本当の炎によって燃えた物だけが、痛々しく残った。

「オレを封印するんだろ?見逃してくれ。今は学校中が赤におおわれてるけど、一か月もしたら終わるから。すぐにいなくなるから。封印なんて、されたくない」

 わたしは何も言えない。

 赤さんの切望を無視したくなかった。でも、演技かもしれないし、本当のことを言っているのかもわからない。信じたくても、信じられない。

 そもそも、魔法石は封印しないといけないんだ。今すでにあんな事態になっているのに、一ヶ月も放置していたらどうなるか……。

「赤。俺たちは確かにお前を封印する。だが、一生封印するなんてそんなわけないだろ」

 西川がはっきりと口にした。

「俺たち色彩鑑識と魔文具職人は、今も熱心に研究しているんだ。必ずいつか解放する。絶対。赤たちだって、人を傷つけたいわけじゃないんだよな。だったら封印させてくれ」

 言葉を信じられないのは向こうも同じだ。

 様子をうかがって、お互い硬直状態になる。

「確証ないだろ。オレはひとりになりたくない。閉じ込められてもしずっと出られなかったらって、考えるだけでゾッとする」

「出られるよ。絶対に」

「証明してくれ」

 気がつけば赤さんは泣きそうな顔をしていた。

 わたしも必死に考える。どうしたらいい?西川が本当のことを言っているのは、もちろん信じる。それを赤さんにも信じてもらいたい。

「西川・・・・・・封印札を、描くね」

「おい!」

 赤さんが怒鳴る。わたしはやめない。

 西川が見本を描いてくれたその横に、同じように線を引いていく。

 そして描きあがったとき、わたしはそれを赤さんにしっかりと見せた。

「・・・・・・え?夏野、これ」

「未完成の封印札」

 わたしはわざと、一本だけ線を引かなかった。

 星をつくらなかった。

「未完成なら、完全に封印することはできないと思う」

「まあ、そうだな。外から声が届くらしい」

 そこで西川はハッとした。

「いつでも出られるわけじゃない。でも今、西川が言ったみたいに、外と関わりが持てるなら、ひとりじゃないんじゃない?」

 わたしはまだ封印札の模様を四角で囲っていない。まだ封印札は成り立っていない。

 赤さんに納得してもらえてから、封印札を生み出したいんだ。

「わたしが引き取ってもいいかな、魔法石。うちに置かせてほしい。うちはお兄ちゃんがいて四人家族だから賑やかでいいよ。お兄ちゃんね、美大なの。たくさんうちにも絵があるから、見てて飽きないはず」

 わたしとも話せるよ。

 都合よくこんなことを言うわたしに、赤さんはあきれているのかと思ったら。

「・・・・・・教卓の引き出しの中にある道具箱。その中に入ってる」

 それは・・・・・・。

「赤の魔法石が」

 わたしは息を吐いて、その場に座り込んだ。

 西川が右手を押さえながらも歩いて行き、引き出しの中の道具箱を取り出す。

 それを開けたら、真っ赤に輝くきれいな宝石があった。

 あれが魔法石。すごく、すごくきれい。

 わたしは座ったまま四角で模様を囲んだ。スケッチブックからぺらりと封印札が浮き出てくる。それをしかとつかむ。

「ありがとう、赤さん」

 目を合わせようとしない赤さんの方を見てほほえみかける。

 ぺたり。魔法石に封印札を貼った。

 赤さんの姿が光に包まれて消えていく。

 焼けた物たちも元通りになる。封印したら元に戻るんだ。

 わたしが描いたバケツもなくなった。時間が決まってるんだろう。描いた雪だるまが解けたわけだから、水もふっと消える。

 魔法石を両手で包みこんだ。

「魔法石・・・・・・封印できたんだね」

「ああ」

 西川は魔法石をじっと見て、パアッと瞳を輝かせ、今まで見たことがないくらい生き生きした笑顔を見せる。

 西川ってば、いつもそんなふうに笑ってたらいいのに。

 言ったらどうなるかはわかってるから、わたしはとりあえず黙っておいた。

「これで本当に大丈夫・・・・・・だよね?」

「周りへの影響はなくなった」

『・・・・・・オレ、今、どうなってる?』

 恐る恐ると言った様子で、魔法石から声が聞こえる。赤さんだ。耳に届いた・・・・・・ううん、頭に届いた。

「封印する前の魔法石と変わってないよ。よかった、ちゃんと喋れる」

『ん・・・・・・』

 安心したような赤さんの声。

 ほっとして力が抜ける。

 これで、とげとげしい雰囲気はなくなるよね。特別棟が炎に包まれることなんて、幻覚でも起こらなくなる。

「夏野。本当にありがとな」

 西川が急にお礼を言ってくるから驚いた。

「もしも夏野がさじを投げてたら、こうはならなかった。夏野の覚悟のおかげだ。できたら、もう一つの魔法石も・・・・・・」

「もちろん!任せて、西川」

 わたしはブイサインを西川に突きつけた。

「この学校の力になってみせるよ。魔法石たちも、救うんだ」

 今日はなんて、いい天気。

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