第4話
下校時刻まで悶々としてしまった。
詩乃も達哉も翔も、様子がおかしいわたしを心配して声をかけてくれて。そのたび、適当な言葉でごまかした。
明日までには決めないといけないのに。早く、早く、早くしないといけないのに。
一人で帰らせてもらうことにして、わたしはカバンを背負う。
気がつけばわたしは一人きりだった。教室にはもう誰も残っていない。一番最後になっていた。
窓の外・・・・・・雨が降って来た。
折りたたみ傘は持っているけれど、やっぱりユウウツになってしまう。きっと、わたしの気持ちが暗いからだ。
一人ぼっちの帰り道、何か決めることができたらいい。
玄関で傘を広げる。
家までの道のりは、一人だとずいぶん遠い・・・・・・。
ざあざあと音を立てて雨が降る。傘に容赦なく突き刺さる。夏の夕立のような雨だから、きっとすぐに止むとは思うけれど、靴下が濡れてしまうのがちょっとだけ嫌だ。もうぐしょぐしょになっちゃった……。
折りたたみ傘は小さめで、カバンが飛び出してしまいそうになる。スケッチブックが濡れたらたまらないから、死守だ死守。
雨の中を、キャーキャーと騒ぎながら二人の子供が駆け抜けて行って、その後ろをお母さんらしき人が追いかけていくのが目に映った。
なんでだろう、幼稚園くらいのとき、雨がすごく好きだった。雨が降ると楽しくなっちゃって、お兄ちゃんと一緒に走っていた。傘を投げ捨てて雨を浴びたり、レインコート一つで台風の中家を飛び出したり、いろいろ。
歩いて、歩いて、歩いて、どんどん歩いて。
意外と考え事をするヒマはなく、思い出は頭の中をすり抜けていくだけで、歩いて歩いて。
そうしているうちに、雨が止んだ。
ぱあっと晴れ間が広がって、さっきまでの土砂降りが嘘のように雲がなくなっていく。
もちろん、まだ空は暗い。でも、もう雨が降る心配はなさそうだね。
傘を閉じ、もう一度前を向いたら。
雨と傘のせいで見えていなかったのか、一メートルも離れていないくらいの近距離に、男の子が立っていた。
「夏野のお嬢さんだ」
その子はわたしと目が合うなり、笑みを浮かべた。
わたしからしたら唐突な登場だし、少しのけぞってしまう。
きれいな目だなぁ、と直感的に思ったけれど、なんでそう思ったのかはわたしにもわからない。
夏野・・・・・・わたし、だよね。お嬢さん?言い方に少し違和感を覚える。
「こんにちは」
「・・・・・・こんにちは?」
思わず疑問形になってしまった。
雨が止んだばかりだからか、男の子はレインコートを身にまとっている。
前髪が見えないくらい深くフードをかぶっていて、足元はよく幼稚園の子が履いているのを見るような形の赤色の長靴。あの雨の日の童謡からイメージするような丸っこい靴。
男の子はおもむろに口を開いて、にこっとしながらこんなことを聞いてきた。
「お嬢さん、お嬢さん。赤は好きですか?」
「赤?」
「赤色です。あの、燃えている火のような色です」
大切そうに「赤」と言う。
そんな質問、されたことがなかったから、答えにつまる。
落ち着いた穏やかな瞳で、こちらを見すえてくるの。わたしはそれにちょっと気圧されながらも、おずおずと返事をした。
「好きってほどでもないけど・・・・・・」
「おれは、赤だーいすき」
湿った空気をぶった切るような、明るくてのびやかなその言葉。
今までは口調も表情も、仕草も大人びていたのに、急に子どもらしい声になった。
その落差がどうしてか、心地いい。
「赤は炎の色だから。情熱的でパワフルで、自分の足でちゃんと立てる。自立、ってやつだね」
男の子はスラスラと話し続ける。
驚いてしまって、よくわからないまま、わたしは気づけばその話に耳を傾けていたのだ。
「いつだって人の前に立ってる。リーダーシップがあるんだ。現実だって見つめられる。おれとは程遠いー」
雲が動き、男の子が立っている場所が光に照らされた。
舞台上でスポットライトが当たったかのように見えた。
「だから、心配なんだ。赤から連想されるのは炎だけじゃない。血だって思い浮かべてしまう。爆発しがちだもんな、赤は」
その話は、どこかわたしのクラスメイトたちに似ている気がした。
爆発、というにはささいかもしれないけれど。ケンカだって、わたしたちにとったら大問題でしょ?
「それは時に、悪意にもなる。独善的な政治になっちゃう。リアリストなところもあって、そこが赤の美点だけど、ストレートゆえに相手を傷つけるんだ」
「・・・・・・どういう意味なの?」
「さあ。基盤を固めようとしてる時ほど、不安定ながらに足場を求めるからイライラしやすいよ」
よく見たら、その男の子の目は少し不思議だった。キラキラしてる。さっき目に魅力を感じたのはこのせいかな。
「お心当たりがおありかな?」
反射的にうなずいた。
「大丈夫。お嬢さん、安心しな。赤は、ちょっと必死になってるだけ」
男の子とは初めて会ったのに、名前も何も知らないのに、なぜかその言葉に納得してしまう。
赤は必死になっている。その意味は読み取れなくて、それでもわかる気になってしまうから変だ。
「あー、今日はいい日だ」
大きく伸びをする男の子。
「雨が好きなんだ」
急に何の話、と一瞬だけ頭がついていかなかった。
そっか、さっきまで雨が降ってたもんね。でも・・・・・・。
「なんで?」
わたしはもう、どうして雨が好きだったのか思い出せないのに。
「だって、雨が止んだら虹が架かるから」
ばいばーい、と男の子は水たまりをバシャバシャと突っ切りながらいなくなった。
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