嘘つき男、お断り。⑬終








「!? 姫様! 何故こんなところにいらっしゃるのです!?」


「っはは! 手元が疎かだぜ、宰相さん?」


「っ! くそっ」


 姫様に気を取られ、動きを止めた一瞬を見逃さなかった彼の短剣の切先が俺の頬を掠め、そこから血が滴る。その光景に姫様は小さく悲鳴を上げた。



「っ⋯⋯姫様には指一本触れさせませんから、ご安心ください⋯⋯!」



 怯える姫様を安心させる為に、頬から流れる血を拭い、にこりと笑顔を見せる。



「っ! レオ⋯⋯⋯⋯!!」



 しかし、彼はそんな俺たちにも構うこと無く、攻撃の手を緩める事は無かった。



 ——奴の剣筋はデタラメで予測不可能だ。だが、たとえどんなに絶望的な状況でも、姫様だけはこの命に代えても守って見せる!


「オラァ! 威勢のわりに防戦一方じゃねーか! こんなもんかよ、宰相さんよぉ!」


「⋯⋯⋯⋯っ!」



 俺の決死の覚悟とは裏腹に、力任せに四方から襲いかかる剣に苦戦を強いられ、防ぐだけで精一杯であった。俺も彼も、此処まで来たら今更引く事は出来ない。どちらかが倒れるまでこの激しい攻防は続くだろう。


 しかし、姫様はそんな俺達を見て、大きく息を吸い込み、声を張り上げる。



「ストーーーップ、ですわ!! お二人とも落ち着いてください!」


 

 姫様は、普段出さない大声を出した事と此処まで走ってきた事も相まって、涙目になり苦しそうに肩で息をしていた。




「⋯⋯⋯⋯姫さん、ご機嫌麗しゅう」


 そんな姫様の姿を見て漸く攻撃が止み、彼はさもたった今彼女の存在に気付いたかのように口を開いた。

 今の彼の言動には、先程まで恋人のように振る舞っていた時の面影は微塵も感じられ無かった。



 彼の注意が姫様に向いたところで、俺はじりじりと後退り、彼の視線から姫様を庇うように前へと立つ。




「オルティス様! 貴方は何故こんな事を⋯⋯?」



「ははっ! 心底意味が分からないって顔だな。⋯⋯姫さんに近付いた理由がコレの為って言ったらどうする?」


 彼はそう言って、胸ポケットから大切そうに先程の青い宝石を取り出してみせた。


「⋯⋯それは?」


「これは⋯⋯ “人魚の涙 ”。とある商家の、今は亡きダンナの形見だ」



 人魚の涙と呼ばれた宝石は、その名の通り、どこまでも透き通る青で、見る者を惑わせる不思議な魅力のある大粒のブルーダイヤモンドであった。ドロップ型にカットされた形が、まさに涙というに相応しいものであった。



「⋯⋯形見、ですか? 何故そんなに大切な物が此処に?」


 姫様は心底不思議そうに彼に尋ねた。



「この宝石の持ち主であったダンナの死後、その息子が事業を継いだが、そいつには全くと言って良いほど商売の才能が無くてな。何とか盛り返そうとするうちに借金に借金を重ね、ついには借金のカタにこいつを取られちまったってわけだ。それが巡り巡ってウォーカー公爵の元に⋯⋯そしてこの国に来たってわけさ。俺は生前、ダンナに世話になったからな。息子に泣きつかれてずっと探してたんだよ」



「⋯⋯⋯⋯」



「だから、あんたらには悪いがコレは貰っていく」



 彼の話に、姫様は何やら真剣に考え込んでいる様子であった。

 そして、暫くの後、姫様は不意に顔を上げ勢い良く口を開いた。


「そういう事でしたら、わかりましたわ!」



「ええっ!? そんなあっさりと⋯⋯よろしいのですか、姫様!」



「ええ、この宝石も持ち主の元に帰る事を望んでいるでしょう。それに、我が国にあっても持て余すだけで、宝の持ち腐れというものです」



 姫様の返答に衝撃を受けたのは彼も同じだったようで、目を丸くして彼女を見ていた。

 そして、そののちに先程までの獣のように鋭い眼光はなりを潜め、俯き加減で力なく笑った。


「ははっ⋯⋯姫さんは本当に、お人好しだな⋯⋯⋯⋯⋯⋯」



「お人好しなのは⋯⋯本当にお優しいのはオルティス様ですわ。他人のために危険を冒してまでこんな事が出来るなんて⋯⋯」



「俺は、こういう生き方しか知らないからな」


 姫様の言葉に、彼は何てこと無いようにさらりと言って退けた。



「オルティス様⋯⋯」


 そんな彼の姿を見て、姫様は悲しげな表情を見せる。




 ——姫様の意思なら従うほかない。些か癪だが此処は彼に協力しよう。



「⋯⋯⋯⋯いくら城の警備が手薄と言っても、そろそろ騒ぎを聞きつけた兵達が駆けつけてくるでしょう。逃げるのなら、お早く」


 そう言って、俺は敵意が無い事を証明する為に構えていた剣を鞘に仕舞った。

 それを見て、彼も短剣を鞘に収める。



「⋯⋯ああ、そうだな。名残惜しいがこれてお別れだ」


 その言葉の後、彼は再び窓枠に足を掛けた。



「!? この高さから飛び降りるつもりか? お前、正気か!?」


 思わず素に戻り、焦る俺を横目に彼はニヤリと笑ってみせた。しかし、彼が飛び降りる事は無く、窓枠から足を下ろしてそこに腰掛ける。


 ——やはりそこから飛び降りるのはハッタリだったか。つくづく彼は俺を揶揄うのを楽しんでいるようだ。




「ああ、そうだ。レオナルド。」


 不意に名前を呼ばれて驚きつつも、彼の顔を見やる。



「俺も姫さんの事、本気になっちまったみたいだ。取り敢えず今日のところは引くが、俺に奪われないようにせいぜい頑張れよ、心配性の騎士様。⋯⋯いや、王子様?」



「!? な、何を⋯⋯⋯⋯!」


 不意打ちの彼の言葉に思わず顔に熱が集中した。



 彼は俺の反応を一頻り楽しんだ後、姫様に視線を移し、自分の耳を指差した。

 そして、初めて会った時に見た快活な笑顔でにかりと笑った。



「ってことでまた会いに来るぜ、シャーロット。あんたに近づいた目的は嘘でも、あの時の言葉は本気だからな」


「オ、オルティス様!?」



「ロジャー。俺は、ロジャーって呼ばれてる。じゃあな、シャーロット!」



 その言葉を最後に彼の体はぐらりと傾いた。頭から落ちようとする彼のその手を取ろうとするも僅かに届かず、俺の手は虚しくも空を切った。


「くそっ!!」



 しかし、直ぐに駆けつけて階下を見るも誰もおらず、彼が落ちた形跡すら残っていなかった。





「逃げた、のか⋯⋯⋯⋯?」



「⋯⋯ええ。あの方ならきっとご無事ですわ」



 そこで先程までの騒ぎを聞きつけた警備兵が漸く到着した。

 そして、姫様の無事を確認した後、目撃者である俺たちに状況の聞き取りをしようとする彼らには聞こえないような小さな声で姫様はぽそりと言った。


「レオナルド⋯⋯このことは皆には秘密にしましょう」


「⋯⋯⋯⋯はい、シャーロット様」





 ロジャーが消えた直ぐ後に、彼らの使っていたテントや宿を隈なく調べたが、まるで最初から何も無かったかのように跡形も無く消え去っていた。

 ロジャーだけで無く、彼と共に来ていた商会の人間も一緒に消えたところを見るに、商会メンバー全員が義賊だと考えるのが妥当だろう。





 春告祭3日目の夜、ロナルド・オルティス改め、ロジャーとその一行は嵐のように去っていった。陛下や他の皆には彼にどうしても外せない急用が出来たらしいと説明し、事なきを得た。



 しかし、一番の問題は姫様がロジャーから貰ったイヤリングを見つめ、毎晩悩ましげにため息を吐いている事だ。俺はそんな彼女の姿を見て密かにやきもきしていた。


 そして遂に我慢の限界を迎えた俺は、そんな姫様を前にして、思わず声を張り上げた。



「姫様! ロジャーのような盗賊にも関わらず、商人を騙って我が国へと侵入してきた野蛮な男は姫様とは全くもって釣り合いません!」



「レオ!?」


 突然の事に驚きを隠せない姫様に構う事無く、俺は尚も話し続けた。

 そして、一等大きく息を吸い込んで言った。



「つまり⋯⋯姫様! 嘘つき男はお断りです!!!」








 そして、また別の日にも、宝物庫が荒らされた事を知ったジェイコブの絶叫が城中に響き渡る事になるのだが、それはまた別のお話。






 

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