とことこ

凡imi

第1話

「夏休みなのに制服なんだな」


足立君が私の家を訪ねて来るのはそれがはじめてのことだった。


裏の神社から蝉の鳴き声が聞こえて、私は手の甲でそっと額の汗を押さえて拭った。

玄関の前に立つ足立君のスッと伸びた背筋を前にして、蝉の鳴き声に負けないくらいに体のあちこちで脈打つ音がドキドキと響いて、拭ったばかりの汗がじわりとわいてくるのが分かった。


「あ、そっか……俺の……」


一瞬目を大きくした足立君のその言葉に、私は笑顔で言葉を被せた。


「ごめん、着替えてくるから、ちょっとだけ縁側で待っててもらってもいい?」


玄関の引戸を開けながら、縁側の方を指差してそう言うと足立君は小さく頷いた。


お気に入りのワンピースに着替えて、お盆に冷たい麦茶のグラスをふたつ乗せて縁側に向かうと、縁側に腰かけた足立君はゆっくりとこちらに振り向いて笑った。


眼鏡の中で一重の目をずっと細くさせて笑う、足立君のその笑顔がやっぱりとてもすきだと思った。



私がこの力を得たのは小二の秋だった。


祖母を荼毘に付して帰宅すると、玄関に空へかえったはずの祖母が立っていた。


「麦ちゃん、ああやっぱり麦ちゃんなのね。この力を受け継ぐのは。ばあちゃんそんな気がしてた」


祖母は私の左手を取り、親指の内側の第一関節にあるホクロを、右の人差し指でそっと撫でた。

私の左手を取った、祖母の左手の親指にも同じようにホクロがあり、私はそれをまるで『目』のようだと思っていた。


「あのね麦ちゃん、ばあちゃんね、とっても明るくてあたたかい光を目指して歩いて来たの。大丈夫、こわくないわ。クロだって側に居てくれるし。こうして時々光に導かれてここにたどり着いた人の話を聞いてあげるだけ。話を聞いてもらえるだけで救われることもあるものよ」


祖母がかわいがっていた猫のクロは祖母が急変した一昨日から姿が見えなくなっていたのだけれど、祖母が悲しむと思ったので私はただ黙って頷いて、祖母の目を見て笑って見せた。


祖母は私の頭を優しく撫でて、祖母の手のひらの重みで押さえられた前髪が睫毛に当たって目をしぱしぱすると、祖母は私の前髪を指先でそっと左に流して、少し首を傾げて優しく笑った。


足元に小さな気配を感じて下を向くと、私の足に黒い仔猫がすり寄っていた。かがんで仔猫を抱き上げて立ち上がると、もう祖母の姿はなかった。



庭に植えているミニトマトの方を見ながら足立君はゆっくりと口を開いた。


「……あのさ、俺さ、神代のことすきだったんだ」


「ユリちゃん?」


「いや、神代ユリじゃない。神代麦、お前のことだよ」


足立君が言った『神代』それがユリちゃんではなく私のことだってことに、驚きすぎて頭の中で処理出来ない感じがした。


すきな人のすきな人は分かっちゃうって、ずっと見てれば知りたくなくても分かっちゃうものなんだって、いとこのユリちゃんは言っていた。

ユリちゃんは私と違って美人で、中学に入ってから、三人も彼氏が変わったから、たぶんきっと間違いないと思う。少女漫画やドラマでもよくあるパターンだって言ってたし、こういうの何だっけ、テンプレって言うんだったかな。


それなら私は見ているつもりでちゃんと見ていなかったのかもしれない。

小指くらいにちいさくなって、足立君の眼鏡のフチに腰掛けて、彼の見ている景色を一緒に見たいくらいにはすきだったと思うんだけれど。


「去年の夏祭りにさ、神代『巫女舞い』してたろ?」


巫女舞いというのは、ユリちゃんの父である叔父さんが神主をしている裏の神社で毎年行う夏祭りの奉納のことだ。代々神代家の血筋の女性達はみんなその役を担ってきている。

私は、いとこのユリちゃんと一緒に幼いころから巫女舞いの練習をしている。ユリちゃんと私は歳も背格好も同じで、幼い頃は双子と間違われることもあった。

一緒に習いはじめた同じ舞いのはずなのに、ユリちゃんが舞うそれは私より秀でているような気がしていて、その理由がユリちゃんの持つ元来の華というものからだと気づいてから、私はユリちゃんにあこがれると同時に、祭りで舞いを踊れるのは毎年ひとりだというのに、なぜこんなにも必死で練習しているのだろうと疑問にも思っていた。


小学五年生から一昨年までの三年間は、夏祭りの巫女舞いの役はユリちゃんがずっと担っていた。

去年はユリちゃんが風邪をひいて熱を出してしまったから、急遽私が舞うことになったのだ。巫女舞いでは髪飾りと面で顔が見えないから、私がユリちゃんの代わりに踊っていたことなど誰も気づいていないと思っていた。実際、今の今まであれが私だったと誰にも聞かれたことも無かったし、何とかユリちゃんの代わりをつとめられて良かったと思っていたのだ。


「どうして、私だって分かったの?誰にも気付かれてないと思ってた。やっぱりユリちゃんみたいに上手じゃなかった?」


「俺、神代達が巫女舞いの練習してるとこ、何度か見かけたことがあって、神代ユリと神代は違うんだ、踏み出す時の足の動きが」


足立君は庭の土を足で掻いて私にその違いを示した。


「神代ユリはこうで、神代はこう」


ユリちゃんはまっすぐ摺り足で、私は少し外側に弧を描くように摺り足で踏み出していると、そんな小さな違いを説明してくれた。


「俺がその時一緒に居た友達もまわりの誰も、神代が巫女舞いしてるのに気づいてなかった。だから神代は神代ユリと同じくらい上手だったんだと思う。だけど、俺だけが神代だって分かって、俺、すごくうれしくなって、神代のことすきなんだって分かったんだ」


私はごくごくと喉をならして麦茶を飲み干して、氷だけになったグラスを置いた。

それでもおさまらないほてりは、血液を顔にどっとめぐらせて来て、私はたぶんミニトマトより真っ赤になった顔を伏せた。それから、ごまかすみたいに人差し指と中指にとことこと縁側の縁を歩かせてみた。

ほんの少しだけ外側に弧を描かせて、足立君の方へとことこと。


「神代はさ、もっと自信持っていいよ」


歩く指先を五歩見つめて、赤くなった顔を上げて足立君を見た。


「あのね、足立君」


「ニャーオ」


「私もすき」そう言おうとした私の言葉を遮るようにクロが鳴いた。クロは光を目指して歩いてたどり着いた人達に、私が『余計なこと』を言おうとするといつも鳴く。


「お、溺れた子、足立君が助けた子は無事だったって」


「……そっか。うん、よかった」


私は左手を足立君の頬にのばした。眼鏡のフチが親指の『目』に触れた。


「よかった」


細い目を潤ませてもう一度そう言って足立君は消えた。


私は足立君に触れた左手を自分の頬に当てて、足立君が庭に残した足跡をしばらくぼんやりと見つめた。

麦茶のグラスの氷がカランと鳴って、クロが背伸びしてから私の膝に乗った。


「すき」と声に出さずにくちびるだけをそう動かしてみる。くちびると睫毛がふるえる。

バカだな、私。せめて「ありがとう」くらい言えばよかった。


私の力は受け取めるだけ。

足立君は祖母の言うように救われたんだろうか。分からない。

もう確かめようもない。


「麦ーー、居る?」


勝手口の方からユリちゃんの呼ぶ声がした。振り向くと、まだ制服のままのユリちゃんがスイカを抱えて立っていた。


「もう!居るなら返事くらいしてよ。これ、ママが食べてって」


ユリちゃんはスイカを置いて、隣に座った。


「ありがとう」


さっきまで足立君が座っていたその場所で、ユリちゃんもミニトマトを見つめた。


「……足立君てさ、麦のこと、すきだったと思う」


「え……?」


「分かるんだ、私」


そう言ってユリちゃんは縁側に置いてあるサンダルを履いて立ち上がって、ミニトマトをひとつ取ってハンカチで拭いて口に入れた。


私達はお互いに誰のことがすきか、話したことがなかった。それは、私は恥ずかしくて言い出せなかったからで、ユリちゃんには彼氏がいたから、当たり前のようにユリちゃんのすきな相手はその彼氏だと思っていたからだ。


「今年も、麦が巫女舞い踊ってよ。足立君、きっとよろこぶと思う」


振り返ったユリちゃんは、ボロボロと涙をこぼしながら笑っていた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃのつくり笑顔でも、ユリちゃんは美人だった。

私はやっぱりユリちゃんには敵わない、そう思った。

膝でくつろぐクロの背中を撫でると、クロは私を見上げてゴロゴロと喉を鳴らした。


中三の夏、溶けるみたいに初恋は終わった。





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