オレオ・ゲシュタルト
言葉とは美しき命そのものである。紡ぎ、紡がれ、儚く散る様こそ可憐な花弁のごとくに。
華代白樺派はアンチプロレタリアート派が文言監視の目を強める中、言の葉こそ美しくあるべきであると指示代名詞の全面禁止をさらに強行的に打ち出した。
人々は「ああ、あれあれ」、「そう、それな」などと口にすることもできずに、個なる総和は全とは異なるゲシュタルト崩壊を恐れる日々を過ごしていた。フードコートも同じこと甚だしく。
「クラッシュオレオフラッペチーノお待たせいたしましたぁ」
めぐが相好を崩してホイップクリーム山盛りのカップを三つ、四人掛けのテーブルへ置いた。トレイをセットする勢いが強すぎたか、盛りのいい生クリームがくたっと崩れる。
「何これ?」
「月見月さん、ダメ!」
灯子の短い叱責に月見月は思わず口に手を当てた。今の時代、どこに華代白樺派が隠れているかわかったものじゃない。もうすでにフードコートでも言論の自由など崩壊しているのだ。
「こほん。何、崩しオレオのフラペチーノって」
月見月はひとつ息を吐いて姿勢を崩して楽な気持ちで言い直した。
「フラペチーノじゃなくてフラッペチーノ」
せっかく奢ってやるってのに、緊張感が崩れた月見月をひと睨みしてやるめぐ。
「フラペチーノだと他のコーヒー屋さんの商品名になるからフラッペチーノ。絶対美味しいから飲んでみ」
「フラペチーノを崩してフラッペチーノで商標被りを崩す。企業倫理も崩れ去ってるわけよ」
早速太めのストローでホイップクリームの山を崩しにかかった灯子が補足した。
「どーでもいいじゃん。いただきまーす」
ざくざくと崩したオレオの食感が斬新な美味しさだと業界でも評判のフラッペチーノ。めぐは一口で気に入ってしまい、貴重な財産を切り崩してでもこいつらに味わってもらわなくては、と奮発したのだ。
「でさ、うちの高校の化学のセンセ、特殊詐欺に引っかかったって。いつからオレオレ詐欺を特殊詐欺って言うようになったの?」
めぐの学校でも噂でもちきりの事件だ。彼女はクリームと崩しオレオを混ぜながら切り出した。
「オレオレ詐欺に引っかかる先生って時点で不安だわ」
と、崩しオレオを吸い込む月見月。
「『オレ、オレオレ、オレオ』って言われたの?」
灯子は表情をぴくりとも崩さずに言ってのけた。
「何の自己紹介詐欺よ、それ」
めぐのつっこみに指示代名詞を見つけた灯子は左右の人差し指で小さくバツ印を作って見せた。慌ててフラッペチーノを口に含んでオレオを崩して言い直す。
「オレ、オレオのオレオレ詐欺って何よ」
よろしい、と静かに頷く灯子。
「やだこれ美味しい!」
次に灯子に注意されるのは月見月だった。厳格な言語ルールを崩してうっかり指示代名詞を口にしてしまう。
「崩しオレオフラペチーノ美味しいです」
「フラペチーノじゃなくてフラッペチーノ。そもそもペチーノって何かわかってる?」
「ペチーノはパチーノのペ段活用でしょ。フラッパチーノ」
「月見月、あんたフラッペチーノ論理崩壊してるわよ」
「フラペチーノもフラパチーノもフラッペチーノも意味が通じればいいのさ」
きゃんきゃんとかしましくイチャつく月見月とめぐに、じっと耐えていた我慢の呼吸をついに崩して灯子も言葉のじゃれ合いに参加する。
「オレノオレオヲオレ」
ベリーショートの黒髪で声も低めの灯子が言うと、男の子口調が妙にフィットするから月見月もめぐも困ってしまう。
「論理崩壊の崩と崩しオレオの崩しっておなじ崩って漢字よね」
負けじと論理崩壊を招くめぐ。
「フラペチーノとフラッペチーノはいいとしてフラパチーノとフラッパチーノのチーノっぷりは違うよね」
意地でもフラペチーノ推しな月見月。
均衡していた言語バランスはフラッペチーノの崩されたオレオのごとくに崩壊した。制御の崩れた論理は、一気に加速するのみ。
「崩壊の崩も崩しの崩も月月って月が二つあって月見月の名前に似てるよね。でも崩壊の崩も崩しの崩も部首は月じゃないんでしょ?」
「フラペチーノ派としてはフラッパチーノやフラパッチーノは認められないけど、フラペチーノを飲むアル・パチーノは世界三大チーノのひとつなのさ」
「オノレ、オレオヲオレル? オレ、オレオヲオノデオレル。オレ、オレオレ、オレオヲオレってオレオオレオレ詐欺が来たらオレどうしたらいい?」
突然、彼女たちの隣のテーブルでかけうどんを啜っていたサラリーマンが突っ伏した。すっかり薄くなった頭を抱えて、くたびれた背広の背中を丸め、歯ぎしりするようにうどんを噛みしめる。
華代白樺派の時代、言の葉は美しくあれと謂れた。ゲシュタルト崩壊を起こしたら、すなわち惨たらしい敗北なのだ。
「勝ったわね」
めぐは勝ち誇り、クラッシュオレオフラッペチーノを優雅に吸う。
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