第11話 大ちゃん

 O駅とS駅のちょうど中間。S警察署を過ぎて線路下をくぐった辺りに、昼から飲める店『大ちゃん』がある。カウンター五席とテーブル席が二つ。奥に四畳半程の小上がりがあるだけの、細長い作りの小さな店だ。

 午後三時。

 カウンターにはスーツ姿の中年男が一人。瓶ビールを手酌で飲みながら、スマホをいじっている。

 店主はカウンターの中で仕込み中。

 店の片隅の高い位置にあるテレビからは午後のワイドショー。最新のグルメスポットをお笑い芸人がハイテンションで紹介している。


 芳恵は奥の座敷にいた。

 向かいには小柄な老人が背中を丸めて、音をたてながらホッピーを飲んでいる。薄くなった男の頭髪にはフケが浮いていた。

 この男は今井という。

 痩せこけた貧相な体つきをしているが、度のきつい眼鏡の奥では狡猾そうな目が光っていた。


「——で、沙都子さんは、どうでした?」


 ここに来てから芳恵がこの質問をするのは二度目だった。

 だが今井はまたも無言。

 クチャクチャと音を立ててタコぶつを噛む。ズルズルと、ホッピーを飲む。

 芳恵はそっと顔をしかめた。


(……相変わらず、気持ち悪い人だなあ)


 だがホテル帰り。評判の体臭がしないだけましだ。

 今井はこの町の風俗店経営者の間では有名な男だった。

 いつ風呂に入ったかわからないような悪臭を放つ身体で女を呼ぶが、コトの前には決してシャワーを浴びない。

 女にも浴びさせない。

 『タマゴ』とあだ名がついていた。

 仰向けになった女の足を広げさせて、割れ目の中にコンビニで買った半熟卵を入れては、ジュルジュルと音をたてて、すするのが好きらしい。

 それまでまったく無反応だった今井の下半身が、その時だけ微かに反応するという。

 今井は卵をすすりながら、やっときたチャンスを逃すまいと必死になって自分をしごくのだそうだ。

 今井の悪臭に耐えられず、『ひどい客だった』と早帰りしてくる女は多かった。『もう二度と付きたくない。NGにしてくれ』と。

 しかし何も言わずに規定の時間を過ごして、文句一つ言わない女もいる。

 年とは関係がない。若くても今井に辛抱出来る女はいる。

『金の重みが身にしみてる女は、どんな客にも黙って耐えられる』と、芳恵は雪乃からきいたことがあった。


「沙都子さんは、どうでした?」


 しびれを切らして、芳恵はまた訊いた。

 今朝、今井から電話が来た時、芳恵は今井に沙都子をつけた。

(どんな子なのか知りたいから、終わったら『大ちゃん』に来て)

 と、今井に持ちかけた。

 店の女たちは気づいていないが、今井は雪乃の代から内通者として使われている。


 今井は空になったソトを注文した。

 酒は強くないようだ。

 店主がホッピーのビンを置きカウンターに戻ると、今井はやっと口を開いた。


「いい女だったよ」


 新しくきた瓶をゆっくりジョッキに注ぎながら、今井は続ける。


「きれいな体だった」


 そして、ズッズズッとホッピーを飲むと、「子供産んでない女ってぇのは、いいもんだな」と、意外にも感に耐えないといった声を出した。

 だけどと、今井は目だけを上げて芳恵を見る。


「ママ、あの子はダメだ。とっととクビにした方がいい。いい女だが、マグロじゃあ、しょうがねえ」


 今井はまた音をたてながら、ホッピーをすすった。


「……沙都子さんは、素人の奥さんなんですから、仕方ないでしょ」


 芳恵は内心鼻で笑った。


(ばかばかしい。この人いったい何年、風俗遊びしてんのよ!)


『花水木』のような熟女店は『旦那とのセックスレスで熟れた体を持て余した奥様が、お小遣い稼ぎに働いている』というのが建前だ。

 もちろん実際は、結婚している女など、ほとんどいない。

 皆それぞれの事情を抱え、金欲しさでこの仕事に飛び込んでくるのだが、それをいったら身も蓋もない。客は人妻との不倫気分を味わいにくるのだから。

 そのへんは風俗歴の長いテクニックに長けた女ほど、よく心得ている。素人くささを演じ、男に夢を見させることが出来る女は稼げる。

 男も上手に騙してもらうために、安くない金を払っているのだ。

 だから沙都子が『ただ横になっているだけのマグロだった』と今井が文句を言うのは、筋違いだと芳恵は思った。


「何をしても、じっと目えぇ開いて、天井見てんだよ。こっちが何やっても、乳首はたたねぇ、濡れもしねぇ。おまけに、惚れた男を探してるみたいだしよぉ、すっかり白けちまった」


 


 芳恵は『大ちゃん』を出ると、天神様に寄ってお参りをした。

 三ヶ月前に沙都子の面接をした後もここに来て『沙都子ちゃんが売れっ子になりますように』と、手を合わせた。

 あの日、芳恵が風俗の経験はあるのかと沙都子に訊いた時、

『ネットで知り合った男とホテルに行き、金をもらった』

 と、沙都子は答えた。

 芳恵は今だにガラケイで、LINEもやらないしネットにも疎い。ネットを使って男と会ったと沙都子から聞かされても、正直ピンとこなかった。

 そういう形態の店で働いていたのだと、早合点してしまったのだ。

 出会い系サイトなるものが存在するなど、今井に教えられるまで知らなかった。


(沙都子さんは本当に、風俗店で働いたことのない素人の奥さんだったんだ……)


 大人しく、育ちのよさそうな沙都子の様子に、こんな人でも体を売らなければならないなんて、よほどせっぱつまった事情があるのだろうと、芳恵は同情した。

 あれは手前勝手な解釈だったようだ。

 面接の時にもっとよく沙都子の話をきけばよかったと、芳恵は天神さまに手を合わせながら反省した。

 今井の話では、沙都子はそのネットで知り合った男が忘れられないようだ。

 男は沙都子に『O駅近くの風俗店で遊んでいる』と話したらしく、沙都子はこの町で働いていれば、いつかその男にまた会えると思い『花水木』に面接に来たという。

 沙都子は、お金を稼ぐ気などない女だった。

 好きになった男に会いたいだけだったのだ。

 どんな男を相手にしても感じたフリ、イッたフリをするのが仕事なのに、それすらしない沙都子は、いよいよもって店にはいられない。

 沙都子を責める気にはなれないが、今井に対してと同じような接客をしていたのなら、お客様たちに申し訳ないことをしてしまった。

 芳恵は肩を落として天神様を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る