第9話 善良な女

「その子、男だったりして」


 マナブが小さなスプーンでアイスをすくいながら、ニヤリとした。

 バカバカしいと、芳恵は黙ってマナブが持ってきたアイスを突っつく。

 アイスは固く、なかなかスプーンが刺さらない。


「以前、うちにいたんですよ」

「男の子、やとったの?」

「面接した時は、女の子にしか見えませんでした」


 マナブは『花水木』と同じマンションに事務所を構える『クラブ アクア』の従業員だ。

『クラブ アクア』の今日の出勤者は二人しかおらず、『花水木』の女を貸した。

 手が空いたマナブは、カップアイス持参で礼に来たところだ。


「その子がついた四人目のお客さんに言われてわかったんです。本人にきいたら、あっさり白状しましたよ」

「疑いもしなかったの?」

「ぜんぜん。可愛い子が入ったって、店長と喜んでたんです。胸だって立派なもんだったし。残念でしたけど、すぐ辞めてもらいました」

「どうして、そういう……なんていうか……専門のお店にいかなかったのかな……」


 都内には男の子が男性客相手に体を売る店など探せばあるだろうと、芳恵は不思議がった。


「その子、自分は女だからそういった店には行きたくないって、言ってました」


 マナブはアイスをぺろりと平らげると「ごちそうさま」とゴミをコンビニの袋に入れた。


「びっくりなことに、その子がついた他のお客さんは何も言ってこなかったんです」

「男だって、わからなかったってこと?」

「うまく整形してたんですかね? それとも男でもいいと思わせるぐらい、良い子だったのかもしれません」


 四十過ぎのマナブは、いわゆる超就職氷河期世代。呑気そうに構えているが、大学を出ても就職が決まらず、いくつもの仕事を転々とした末、この仕事に流れ着いたという。

 

「そのカンナちゃんが辞めた後で、指名してきた人までいるんですよ」


 マナブは言いながら、固いアイスと格闘している芳恵の手元を見ていた。

 ゴミを持って帰るつもりらしい。

 こっちで処分するからいいよと芳恵が言うと、マナブはペコリと頭を下げて腰を上げた。


「あまり気にしない方がいいですよ。指名取れない女の子なんていっぱいいるし、稼がせてあげたくても、こっちはどうしようもないんですから」

 

 マナブは芳恵をいたわるような笑顔を見せて、ゴミの入ったビニール袋を持って帰っていった。


 容姿も性格も悪くないのに指名の取れない沙都子(もちろん名前は出さないが)のことをマナブに相談してみたが、いいアドバイスはもらえなかった。



 午後になると、女達が次々事務所にやって来る。

 どの女も最初の仕事についてから事務所に入るので午前中の待機室は閑散としていた。

 つまり朝から待機室にいる女は、口開けの仕事が決まっていない女ということになる。


 仕事を終えた沙都子もやってきた。

 事務室の襖を静かに開けて、沙都子が「おはようございます」と顔を見せた時、芳恵は腹をくくった。


「沙都子ちゃん、ちょっと話があるんだけど、戸を閉めてこっちに来て」


 芳恵は小声で言い、沙都子に手招きをした。今日こそ沙都子と話し合わなければ……。

 芳恵は、ズシンと胃が痛くなってきた。


 芳恵の手招きに応じて、沙都子は部屋の中へと膝をすすめる。

 淡いベージュのシャツワンピースに紺色のカーディガン。沙都子はきちんと正座をして、まっすぐ芳恵を見つめてくる。

 芳恵は、沙都子の清潔に澄んだ瞳に感心した。


「……お仕事、慣れた?」

「おかげさまで、なんとか」


 沙都子の緊張が伝わってくる。

 ただの世間話をするために芳恵が引き止めたのではないと悟ったのか。

 芳恵は言いにくいことを切り出した。


「……あのね、指名のことなんだけど……」

「はい」

「……なかなか、取れてないみたいだから、どうしたのかなと思って……」


 このままではもうお客様につけることは出来ないと、芳恵が言いかけた瞬間。

 襖が大きく開き、結衣が入ってきた。


「ママ! ただいま戻りましたっ!」


 結衣は部屋に入ると、大きな体をベタっと座らせた。

 手にしたコンビニの袋を芳恵に差し出す。


「お土産です。Mマートの新しいフラッペですよ」


 結衣の登場で硬かった部屋の空気が一変した。

 沙都子がホッと肩の力を抜くのを芳恵は横目で見る。

 結衣はニコニコ顔で、別の袋を沙都子に向かい、ぶらつかせた。


「みんなにも、こしょう煎餅買ってきたから、食べようね」

「いつも、ごちそうさまです」と、沙都子は丁寧に頭を下げた。

 

 結衣からの手土産を受け取った芳恵は、礼を言いながらも渋い顔をする。


「結衣ちゃん、そんなに気を使わなくていいのよ」


 結衣は仕事につくたびに、必ず何かしら土産を買って戻ってくる。

 結衣があまり稼げていないことを知る芳恵は、老婆心ながら結衣のお金の使い方が心配だ。

 千円程度の買い物でも、毎度となるとかなりの出費になる。

 芳恵の気持ちも知らず、結衣は笑顔のまま。


「さっきのお客様、メッチャいい人だったんです。いいことあったんだから、みんなにお裾分けしないと、バチがあたっちゃう!」


 確かに結衣は性格のいい子だ。

 だが、風俗店の客は素直で誠実な女など求めていない。

 結婚相手を探しているわけでもないし、恋人にするわけでもないのだ。

 自分が買った時間内、上手にだましてくれる女が欲しいだけだ。


 ——善良な女は、客付きが悪い。

 これは十年風俗嬢を見てきた芳恵がこっそり思う経験則だ。

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