第8話 評判の男

 店を任されるにあたり、先代のママ雪乃から強く言われたことがある。

 ——指名の取れない者は、どんな理由があっても辞めてもらう。

 雪乃からの言いつけ通り、沙都子には辞めて貰わなければならない。

 

 芳恵は肩を落とした。

『沙都子は売れる』との、自分の見立てが外れたからだけではない。

 あの大人しく頼りなさそうな沙都子が、風俗の仕事をしなければならないことに同情していた。

 どんな事情があるかはわからないが早くお金を作って、店を辞めることができればいいと、密かに願っていた。


 ところが、沙都子が入店して二ヶ月。つけた客は三十人以上。

 それなのに一人も指名で戻せない。

 タイミングが悪く、休みの時に問い合わせがあったという記録もない。

 ネットに地雷と叩かれる美神みかみですら、ここまでひどい成績ではない。


(あんなにキレイな人なのに、要領が悪いのかな?)


 芳恵が風俗の経験があれば何かアドバイスが出来るかもしれないが、こればかりは何も言ってあげられない。

 しかし、それではいつまでたっても電話番の時と同じだ。ママとしての仕事から逃げているのではないか……。


 一人で悶々としていたら、電話がなった。


 ディスプレーに表示された名前を見て、芳恵の顔が明るくなる。

 すぐに受話器を取った。

 受話器を握りながらペコリと頭を下げる。


「もしもし、長谷川さまですか。いつもありがとうございます」


 それは常連客の一人で、女たちからの評判が最もよい男からの電話だった。


 

 芳恵は客に付いたことがないので、長谷川がどんな男なのか声しか知らない。

 だが女たちから聞いた話を総合すると『年は50前後、身長180位で筋肉質、シュッとした顔で身なりがよい。おつりは受け取らず必ず女にチップとして渡す』のだそうだ。

 遊び方がきれいと評判の客は他にもいるし、なぜ熟女店に来るのかと不思議がられる若いイケメン客もいる。

 だがこの長谷川が特別人気なのには理由があるようだ。

 以前芳恵は待機室で、長谷川の噂を耳にしたことがあった。


『長谷川さんって、女の扱いを心得ているよね』と美神みかみが言うと、人気嬢の野々花ののかがニヤリとした。

『あの人、巧いよね』

 稼ぎには雲泥の差があるが、美神と野々花は仲がいい。

 何がうまいのかと、テレビ周りの拭き掃除をしながら芳恵が聞き耳を立てていると、二人は長谷川の指使いや、舌使いの話をコソコソし始めた。話はペニスの形状にも及ぶ。

『私が今までついた客の中でも、三本の指に入るよ』

『野々花ちゃんが言うんだから、相当だね』

『たまにああいう男にあたっちゃうから、この仕事やめられないよね』

 と二人の女は声を立てて笑いあった。

 待機室を出ながら芳恵は、面白くなかった。

(雪乃さんは、お客様の噂話を禁じていたのに!)

 自分が美神たちから軽く見られていると感じた。注意一つできない自分が情けなくもある。


 女を楽しませる術に長けているらしい長谷川にはもう一つ、『雪乃ママの元客』という顔がある。

 長谷川が雪乃のソープ時代の客だと芳恵に教えたのは美神だった。

『長谷川さんは、雪乃ママにそうとう通いつめてたんだよ』

 なるほど、同じく雪乃の馴染み客だった松田は写真スタジオを構えて雪乃に協力している。長谷川は雪乃の店の女を呼び、売上に貢献しているといったところか。

 芳恵がそう納得していたら、美神が声を低くしてきた。

『ママは長谷川さんをスパイに使ってるらしいよ』

 ——店の女のサービスをチェックするために長谷川にスパイさせている。

 美神はそう思い込んでいた。

 だがこれは美神の誤解だ。もちろん誰にも漏らさないが、芳恵はスパイとして使われている男の事を雪乃から聞いていた。



 何かと話題に事欠かないその長谷川から電話がきた。

 芳恵は自然と顔がほころぶ。

 月に数度店を利用してくれる長谷川は『今日はどの子が空いてますか?』といつも訊いてくれた。

 お茶をひきそうな女や、とつぜん指名客からキャンセルが入って、待機室でイラついている女を引き受けてくれるのだ。

 長谷川は常に芳恵が勧めるままの女と遊んでいく、有難いお客様だった。


「長谷川さま、いつもありがとうございます。本日は沙都子さんで、いかがでしょうか」


 長谷川は先月、沙都子についている。

 今日再び沙都子についてもらえれば、沙都子の初指名として記録することが出来る。

 芳恵は受話器を握りながら頭を下げた。

 だが、電話の主は黙っている。


「……もしもし? 長谷川さま?」


 芳恵は不安になってきた。


(間違えたかな?)


 電話の相手は長谷川ではなかったのかと、芳恵が動揺し始めた時——。


「他に空いている人はいますか?」


 聞き覚えのある耳に心地よい低音が聞こえてきた。

 芳恵はホッと、気をゆるませる。


「美神さんが昨日、お茶だったんです。それに今日もまだ予約が入っていなくって……」と、芳恵は襖の向こうの待機室を気にしながら小さく言った。


「では、美神さんでお願いします」


 即答だった。


 芳恵は受話器を握ったまま深く頭を下げる。

 やっと美神に客がつけられたと声を弾ませる。

 

「助かります! いつもありがとうございます!」


 そして電話を切って、気がついた。


(ダメじゃん! 沙都子ちゃんについてもらうつもりだったのに!)


 それにしてもと、芳恵は首をかしげる。

 あの長谷川が断るとは……。

 沙都子はどうしてこうも客受けが悪いのだろう。

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