第7話 選ばれない女

 開店前は最も忙しい時間だ。

 客からの電話はもちろんのこと、女たちからの電話やメールにもすぐ対応しなければならない。


 子どもが熱を出したので、今日は休む。

 急に生理になったから当分出勤できない。

 指名が入っていたら、今日はその客だけで帰りたい。


 女たちはさまざまな理由で休んだり、受付時間を減らそうとする。

 予約が入っているのに突然休まれると、客に謝るのは芳恵よしえの仕事だ。

 他の女を勧めてうまくいけばいいが、不機嫌になる客もいる。


 女たちからあからさまな嘘をつかれ、苛立つこともある。

 だが——。


(好きでこの仕事をしている人なんて、いないんだ)


 どうしても嫌気がさすときもあるだろう、と芳恵は自分に言い聞かせた。


 芳恵が常連客の関口からの電話に出ていると、結衣ゆいが出勤してきた。


「ママ、おはようございます!」


 勢いよく事務室の襖を開けた結衣は、芳恵が電話中なのを見て笑顔で会釈し、襖を閉める。


 芳恵は関口との長電話を終えると、腰を上げて女たちの待機室に向かった。

 結衣がいると思ったが、彼女は台所の隅でゴミの仕分けをしていた。


「ゴミ出し、してきますね」

 結衣はゴミ袋の口を結ぶ。


 流しがきれいに片付いている。

 結衣がやったのだろう。

 本来は芳恵の仕事だが、今朝は沙都子のことで頭がいっぱいで、掃除に手が回らなかった。


「結衣ちゃん、あとは私がやるから、お仕事の準備して」


「マジですか?」


 結衣が驚いた顔で芳恵を見下ろす。

 彼女は身長百七十五センチ。

 昔バレーボールをしていたとかで、手足が長い。


「静香さんが生理で、お休みになっちゃったから代わりに行ってちょうだい」


「おっ! 静香さん、まだ上がってなかったんですか!」


 芳恵も同じ思いだったが、口には出さない。


「それ、本人の前で絶対に言っちゃダメよ」


「私でいいんですか? 静香さん、ちっちゃいじゃないですか。百二十センチくらいしかなさそう。私みたいな大女が行ったら、お客さん、びっくりしませんか?」


 芳恵は思わず吹き出した。


「そんなに小さくないわよ。百四十五あるって言ってたわよ」


「ほふく前進しながら部屋に入ろうかな」

 結衣は体を屈めた。

「初めまして、結衣です。本日は呼んでいただき、ありがとうございますぅ」

 鼻にかかった声を出しておどける。


「早く支度して。関口さん、もうホテルに入ってるんだから」


「了解!」


 結衣は気を付けの姿勢で敬礼すると、大股で待機室に入っていった。


「十二時に『アクア』の仕事もあるから、早く戻ってきてね」


「やったあ! 二本ゲットだ!」


 結衣はこぶしを天井に高く突き上げた。

 芳恵はクスリと笑い、事務室に戻った。


 結衣は気立てが良く、顔立ちも悪くない。

 だが、その高身長とサバサバした性格がネックなのか、なかなか指名が取れなかった。


花水木はなみずき』の客は年配者が多い。

 女から見下ろされるのを好まないのだ。


 関口も七十過ぎの年寄りだが、静香の代わりなら結衣でもいいだろう、と芳恵は考えた。

 下手に関口の好みそうな女をつけてしまい、静香の太客をその女が指名するようになれば、芳恵が恨まれる。


 事務室に戻り、芳恵はまたパソコンの前に座った。


 沙都子が裏引きしている証拠は、何ひとつ見つからない。

 沙都子がついた後も客たちは変わらず『花水木』を利用している。


 つまり、沙都子は——。


(客を店には戻せても、自分には戻せない嬢……)


 結衣同様、女から見て「良い」と思えても、男からは選ばれない女もいるのだ。


 芳恵は深くため息をついた。

 沙都子を「絶対売れっ子になる」と踏んだが、当てが外れてしまった。

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