第2話 売れない老嬢

『花水木』の事務所はO駅南口、天祖神社前の商店街を抜けたマンションの一室にある。

 三部屋あるうちの二部屋をぶち抜いた大部屋が女達の待機部屋。残り一部屋が事務室であり、芳恵の仕事部屋だ。


 その事務室で、芳恵は正座をしながらじっと電話を見つめていた。

 先週面接をした沙都子は今、店のホームページに載せる写真を撮影している。沙都子には撮影が終わったら電話をするように言ってあった。

 芳恵はその電話を今か今かと待っている。


「コンビニ行くけど、なんか買ってこようか?」


 芳恵の後ろで、筋ばった足に赤いマニキュアを塗っている美神みかみが声をかけてきた。


「マニキュアなんか塗って、すぐお仕事が入ったらどうするんですか?」

「このあと、予約入ってんの?」

「……今日はまだです」


 言いにくかった。芳恵はちらりと美神を見る。

 美神は骨張った背中を丸めて、無言でマニキュアを塗り続けていた。


 美神にはここ数日、仕事を与えられていない。いわゆるを引かせてしまっている。

 今日も他の女達は仕事に出ているのに、美神だけまだお呼びがかからない。

 待機部屋に一人でいるのに飽きたのか、芳恵の仕事部屋にやってきて、美神はマニキュアを塗り始めたのだ。


 美神は『花水木』最古参の嬢だった。

 先代のママ、雪乃が吉原のソープにいたときからの知り合いらしいから、五十はとっくに過ぎているはずだ。


(いい年してこんな仕事をしなくちゃならないなんて、みじめだなあ……)


 顔には出さないが、美神を見ていると体を売る仕事をしなくてよかったと、芳恵はつくづく思った。

 稼げないのに、風俗の仕事をし続けなければならない女は哀れだ。


 年齢は関係ない。

『花水木』で最年長の香奈かなは、店年齢は四十八歳と偽っているが、実年齢は五十七。孫が三人もいる。

 それでも太い客を何人も持ち、店のホームページに出勤日が上がるとまたたく間に予約が入る。

 香奈は夫と一緒に居酒屋をやっているとかで、店に出るのは週に一日か二日程度だが、出勤のたびに複数の客につき確実に稼いで帰っていく。

 香奈のような稼げる女からは、哀れさを感じることはなかった。


 それに比べて、美神は……。

 十八からピンサロで働きだし『男のモンをくわえる以外の仕事をしたことがない』とケラケラ笑う。

 辞めたい辞めたいと口では言いながら、今さら他の仕事につける気がしないとグチる。

 美神は、芳恵が最も関わりたくない種類の女だった。


 電話がなった。

 芳恵はすばやく受話器を取る。

 待っていた沙都子からの電話だった。


「沙都子ちゃん? 終わったの? 松田さんから何か言われた?」


「新人さん、今日撮影なんだ」と、美神が足を投げ出して芳恵を見てくる。


 芳恵は、沙都子に労いの言葉をかけた後、おつかれさまと電話を切った。

 顔がにやけてくる。

 意地悪を顔に浮かべた美神と目があった。


「松田さん、なんだって? 何か嫌味言ってきた?」


 芳恵より長くこの店にいる美神は、写真屋の松田の事をよく知っている。


「何も言ってこなかったみたいです。ご苦労さまって、言われただけですって」


 芳恵が言うと美神は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「私が、面接して入れた女の子で、松田さんが文句を付けなかった子は初めてです!」


 

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