おままごと探偵、最初の事件

待望の殺人事件

 ミリア達の住んでいる屋敷とは別館、一階のとある客室の床にゆずなは仰向けに横たわっていた。


 思わずミリアが小さく息を呑んで駆け寄る。真っ先に手首の脈をとると確かな鼓動に安堵した。

 ミリアの行動を里世は笑えなかった。演技だとわかっていても、今のゆずなにはそれくらい生気がない。


 表面上はどんなに無表情に見えても、本来全ての感情を表に出さないことは難しいはずだ。しかし足元で目を見開いているゆずなは確かに『無表情』だった。人が死んだらこうなってしまうという説得力がそこにはあった。


 後から部屋に入ってきた亘がミリアの横を通り過ぎると、深緑色の絨毯の上で横たわっているゆずなの頭部付近に座り込む。


(やっぱり腐ってもゆずなは演劇部の部長なのよね)と里世はぼんやりしていたが、目の前の亘の行動に我に返った。


 亘は正座の体勢になるとゆずなの頭をそっと持ち上げ、自分の太腿に横に乗せた。

 まるでそうするのが自然かのように流れるような仕草だったが、亘がゆずなに膝枕をする必要は──あるはずがない。


 亘に尋ねれば「いえ、ゆずなさんをそのまま床に寝かせておくのは忍びないので」とかなんとか返ってくるに違いない。

 かと言って自分から「ゆずなは死体なんだからそこら辺に転がしておきなさいよ」と言葉にするのはあまりにも品がないし、ぴりっとした空気で始まった(少なくともミリアはそう思っているであろう)探偵ごっこに水を差してしまうかもしれないと考え、里世は思い留まった。


 里世からの無言の抗議の視線を感じたのか、亘は軽く咳払いをするとミリアに話しかけた。


「ミリア探偵にはこの洋室で犯人がゆずなさんをどのように殺害したのかを推理してもらいたいのです」


「ええ、やってみるわ。……あと、ゆずちゃん、少し怖くなっちゃうから目を閉じてくれる?」


 ミリアの言葉にゆずなは瞼を閉じた。ほっとしたミリアは脈をとっていたゆずなの右手を下ろす。


「えっと、身体を触って調べていいのよね? ゆずちゃん、触りますよ~」


 ゆずなの服装は肩の部分がフリルになった丈が膝上の水色のワンピース。裸足なことも含めて、死体役として身体の異常や変化がわかりやすい服装をしてくれたのだろう。

 ミリアはゆずなの頭を丁寧に調べると首から下に移る。右手から左手、右足から左足と角度を変えてまじまじと目を通していた。


「ちょっとひっくり返すからね」


 さすがにワンピースの裾をめくりあげるようなことは無かったが、予想以上にミリアはゆずなの身体を隅々まで調べた。


 気を取り直して、里世もミリアの肩越しに自分なりにゆずなの身体に目を配る。里世はついでにゆずなの足の裏をくすぐってやろうかとも思ったが、ミリアが集中していたので止めておいた。


「……ミリア、死体を一通り見て今の段階で何か気がついたことはある?」


「ええ。まず被害者には大きな外傷もなく、周囲には血痕や争った形跡はない。表情も穏やかで苦しんだ様子もないし、眠るように静かに殺されたのだと思うわ」


 里世は素直に感心した。ゆずなの演技に触発されたのだろうか、今のところミリアは探偵としての役割を的確に果たしているように思える。


「やるじゃないの。そう、刺殺や撲殺、窒息死ではないとみていいわね」


 ミリアも無言で頷く。となると殺害方法は絞られてきた。

 しかしこのやりとりはなかなか様になっているのではないだろうか。里世も少しずつ気分が昂揚し始めていた。


 ミリアに習ってもう一度ゆずなの身体を確認する。

 すると左手の人差し指に絆創膏が巻いてあることに気がついたが、ミリアが言及するのを待つことにした。


「ゆずちゃんの死因が事件の肝ね。う〜ん、さすがに一筋縄ではいかなそうだわ。でもゆずちゃんの仇をとる気持ちでやらないと」


「仇ねぇ……」


 亘に膝枕をされたゆずなの顔は心なしか最初に見た時よりも幸せそうに見える。


(天寿を全うしたようにしか見えないから、仇はとらなくていいんじゃないかしら)と里世は心の中で毒づいた。



 更に二人がかりでゆずなの死体を調べても、はっきりと死因がわかる確証は出てこなかった。

 となるとわかりにくいことに意味を見出す必要がある。『どのように殺したのか』がこの事件のポイントなのだから。


(ミリアもそこはわかっているみたいだし、とりあえず助手としては意見を待ちましょうかね)


 顎に手を当てながらベッドに座ってミリアは考えに耽っている。その間に里世は部屋を見て回ることにした。


 客室の広さは十二畳ほどだろうか。真っ先に目に入るのは大きなベッドだった。

 ミリアの座っている壁際のベッドの足側、入り口のドアの左脇にはウォールナットの長机とセットのチェストがある。机の上には万年筆とハサミが無造作に置かれていた。黒のオフィスチェアは工学的なデザインで長時間座っていても疲れない代物だ。


 部屋の入り口から一番奥、ベッドボードの向こうには掃き出し窓があるが、今は薄紫色のカーテンがかかっていた。


 ベッドと対面の壁際には横長の白いキャビネットが二つ合わせて配置されていて、ご丁寧にも様々な凶器の候補が用意されている。

 左から工具箱と釣り道具が並んでいて、畳んだブラウスの上にはわかりやすく糸と縫い針が置かれていた。


 さらに目につくのはその上にある大きな水槽だ。水槽内には水草や砂利が敷かれ、実際に魚が住める環境が整っているように見えるが水は入っていない。

 おそらく本物を用意できなかったのであろうか、デフォルメされた立派なアロワナのようなぬいぐるみがちょこんと置かれている。ミリアが喜びそうな愛らしさだった。


 その下には不自然に片方だけの靴下が落ちている。確か靴下に砂や硬貨を詰めた鈍器をブラックジャックと言うのだっけ?

 そう、人を殺せる道具ならここにいくらでもあるのだ。


 だから条件を限定させなければいけない。ミリアが一通り調べたゆずなの死体から、未だ見つかっていない致命傷を明らかにする必要がある。


 亘がたとえ私達の理解の及ばない未知の凶器を考えついたとしても、その凶器で人を殺害した形跡は未知ではないはずだと里世は考えた。


 どこか斜に構えていた里世も気がつけばすっかり推理に夢中になっている。

 それだけに背後から聞こえてきたミリアの、探偵としてのとっておきの一言に里世は我が耳を疑った。


「──謎は全て解けたわ!」


 振り向いた里世の目に映ったのは、立ち上がって腰に手を当てて胸を張るミリアの姿だった。

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