第7話 近道

 足下を見ながらパン屋を出たぼくのつま先の前に、緑色のものが現れた。それはぼくの行く先をふさいでしまった。驚いたのでぼくは顔を上げた。そこには、薄緑色のワンピースを着た背の高いお姉さんが立っていた。さっきぼくがレジで話していた人とは違うけれども、同じくらいの年齢だろう。


 お姉さんはにやっとしてこう言った。

「少年よ、君はインターネットエクスプローラを探しているのかい?」

「は、はい……」

 知らない人からそんなことを聞かれるなんて思っていなかったから、のどからうまく声が出なかった。

「今のやり取りを見せてもらったよ。君ぐらいの年でIEを知っているなんて珍しいね。お姉さんはちょっと心当たりがあるんだけど、君の話を聞かせてくれないかい?」

 とてもびっくりな提案だった。とてもびっくりしたので、言われるまま、ぼくはそのお姉さんと一緒にフードコートに歩き始めた。


 とんでもない近道に出会ってしまったのかもしれない。お姉さんにコーラをごちそうしてもらい、席に着いた頃、ぼくはぼんやりとそう考えていた。

 ぼくがコーラを飲み、お姉さんがコーヒーを飲む間、ぼくはこれまでのことをがんばって説明した。とてもつたない説明だっただろうけれど、お姉さんは時々うなずき、肩まである髪を揺らしながら、そうかつまりそれはこういうことかな、と返してくれた。だからぼくが伝えたかったことは、お姉さんにだいたい正しく伝わっただろうとぼくは思う。


「今までの話をものすごくまとめてしまうならば、君はIEを使って何かが動く様子を目の前で見たくて、それを見られれば満足すると。こういうわけだね、少年?」

 いたずらっぽい目をしてお姉さんはぼくに問いかけた。ぼくはうなずいた。

「ようし! そういうことならお姉さんが一肌脱いでやろう。君のためにね」

「見せてくれるんですか?」

 ぼくは思わずテーブルから身を乗り出してしまった。

「うん、そうだよ。お姉さんにはちょっと当てがあるんだ。楽しみにしておきなさい、少年」


 お姉さんは、何でぼくのことを少年って呼ぶんだろう。

「君、何で自分のことを少年って呼ぶんだって思ったでしょう」

「よく分かりましたね」

「ふふふ、お姉さんは君よりもずっと長く生きているからね、いろいろなことが分かるんだよ」

「それで、何でなんですか?」

「それはね、ちょっとお姉さんぶりたいからだよ。ミステリアスなお姉さんって雰囲気が出るかなって思って。嫌い?」

「ミステリアスなお姉さんはぼくは嫌いではないです。でも今自分で言ってしまったので、ミステリアスさは減ったと思います」

「かわいくないねぇ、君。まぁいいけどね」

 どうしてかわいくないのか、ぼくにはよく分からなかった。だけどお姉さんは怒らなかった。


「それでIEのことなんだけどね、ここからちょっと行った所にある小さなお店には、今もIEが眠ってるはずなんだ。使われてはいないだろうけど、眠りから覚ましてやれば、君の見たいものが見られると思う」

 おお~~、とぼくは歓声を上げ、ひとりでぱちぱちと手を叩いた。お姉さんも嬉しそうな顔をした。

「それでね、そのお店のIEはしばらくぶりの起動になるから、ちゃんと準備が整うまでにけっこう時間がかかると思うんだ。今から行っても、動作確認まで終わらないかもしれない。だから今日はできるところまでやって、続きは明日ってことになるかな。お姉さんの予定は大丈夫だけど、君は大丈夫かな?」

 ええ大丈夫です、とぼくは元気に返事した。

「そりゃあ良かった。ところで夏休みの宿題は順調かい?」

 ウッ。

「順調じゃないみたいだね、ふふふ」

「お姉さんは何でもお見通しなんですね」

「君よりは長く生きてるからね」

 さっき知り合ったばかりだけど、どうもぼくはお姉さんには敵わないような気がした。


「さっきの話を聞いていると、お姉さんはそのお店のことをよく知っているみたいですね。お店の人と仲がいいんですね」

 ぼくがそう言うと、お姉さんはちょっと困ったような顔をした。

「うーん……まあ、お店のことはちょっと分かるかなってぐらいだよ」

「お姉さんはぼくのことはたくさん聞いてきましたね。ぼくにもお姉さんのことを教えてください。ぼくには知る権利があると思います」

 お姉さんは唇をぎゅっと横に伸ばした。

「君ねぇ……ま、いいでしょ、お姉さんの話は。世の中には、わざわざ知らなくてもいいことや、知らない方が幸せってこともあるんだから。それにお姉さんの話がそのどっちかだったとしても、いずれ君は知ることになるんだし。慌てなくてもいいんだよ」

 何だか、お姉さんにうまくごまかされたような気がする。けれどお姉さんに付いていけば、生きているIEを見られるのだ。それ以上知ることはぼくの計画にはなかったわけで、わざわざ深く知る理由はないとも言える。


「ま、そういうわけで、まずはお店に行っちゃおうか。十分後にバスが出るよ」

 行くと決まれば早く出発しよう。ぼくたちは席を立ってバス停に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る