第28話 いももち
強い雨が降り、冷たい風が吹き付けるある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では夕雨が上機嫌な様子でジャガイモなどの皮を剥いていた。
「ふんふん♪」
「夕雨さん、楽しそうですね。お芋の皮を剥くのってそんなに楽しい物でしたっけ?」
「正確にはこの後出来る物を食べるのが楽しみって感じかな。今剥いてるジャガイモもだいぶ品質が良いものだし、これは本当に美味しく出来るよ」
「ジャガイモで出来る物か……まあ色々あるけど、ポテトチップスとかポテトサラダくらいしかパッとは思いつかないな」
「一般的にはそうですね。ですが、お味噌汁に入れるご家庭もあるようにジャガイモを使った料理というのは幅広いようです」
「へえ……それで、夕雨さんは何を作るつもりなんだ?」
夕雨は楽しそうにジャガイモの皮を剥きながら答える。
「北海道とかの郷土料理のいももちだよ。この前、本で読んで作りたくなったんだ」
「いももち……お芋のお餅という事ですか?」
「そう考えても間違いではないでしょうね。夕雨さんが仰ったようにいももちは北海道の郷土料理で、他にも岐阜県や高知県、和歌山県などにもいももちは存在するようですが、その地域によって使われるお芋の種類や作り方は異なるそうです」
「結構幅広くいももちって食べられてるんだな」
雨仁の言葉を聞き雨月は頷く。
「そうですね。その発祥なのですが、まだ稲作の生産技術が発展していなかった時代にお餅を作る際に餅米の代わりとして当時豊富に生産されていたジャガイモを使った事が始まりなのだそうです。そしてジャガイモ以外にもカボチャを使う事もあるので、それもかぼちゃもちとして伝わっているそうですよ」
「それだったらにんじんを使ったらにんじんもちになるのか?」
「あ、実際ににんじんもちも作ってる人はいるし、たまねぎもちもあるみたいだよ」
「お野菜のお餅は本当にたくさんあるんですね……」
雨花が驚く中で雨月は微笑みながら頷く。
「明治の開拓時代、いももちは開拓者達の貴重な栄養源となっていたそうですし、調理も手軽なので庶民的な料理として広まっていったようです。そして戦時中や戦後の食糧難時にも食べられ、今では北海道の定番おやつの一つとして愛されているのだそうです」
「だから、それをメニューに加えようと思うんだ。北海道や岐阜県から来た人がお客さんとして来る事もあるだろうし、その時に郷土料理を食べられたら嬉しいはずだから」
「ますます一般的なカフェから離れそうだな。まあその一般的なカフェっていうのに行った事自体が全然ないけど」
「ふふ、機会を設けて四人で行ってみるのも良いかもしれませんね」
「あ、たしかに。それじゃあ今度行きましょうか」
「はい。それではそれを楽しみにしながら本日も頑張っていきましょう」
その言葉に三人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、赤い傘を持った女性が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「あ、はい」
女性は傘を傘立てに置くと、カウンター席に座り、小さくため息をついた。
「はあ、本当にどうしたらいいんだろ」
「何かお悩みですか?」
「……はい。皆さんに聞いて頂く程の事じゃないんですけど、聞いてもらってもいいですか?」
「はい、もちろん」
夕雨が答えると、女性は安心したように微笑む。
「それじゃあお話ししますね。私は持田
「ほう、お兄さんですか」
「はい……兄は小さい頃はとてもがんばり屋でしたし、顔も整っていたので周囲からの人気も高かったです。けれど、大学生になった頃から段々怠け者になっていって、どうにか就職はしてくれたんですが、女癖が悪くなった事で色々な女性と関係を持っているみたいなんです。そのせいで、たまに私が一緒にいるとただの妹なのに別の女と一緒にいるなんて言われる事も少なくなくて……」
「どうしようもない兄貴だな。自分の容姿に胡座をかいて、いざとなればヒモになれば良いとでも思ってそうだ」
「前に冗談めかして言ってた事もあったの。けど、本当にそうしようとしたら私も流石に……」
妹子はため息をついていたが、夕雨の後ろに下拵え中のじゃがいもや里芋があるのが見えるとポツリと呟いた。
「あれは芋……ですか?」
「はい。メニューに新しくいももちを加えたいなと思ってたのでそのために準備をしていたんです」
「そうだったんですね。私は岐阜県出身なのでいももちをたまに作って食べるんですが、外でも食べられるところがあれば本当に嬉しいと思ってました」
「それなら、お代は良いので持田さんの感想を聞かせてもらってもいいですか?」
「え?」
「実は色々な種類で作る事にしていたので量も多くなっちゃいそうなんです。それに、食べなれている人からの感想があればそれも参考に出来ますし」
夕雨の言葉に妹子は驚いていたが、やがて笑みを浮かべながら頷いた。
「わかりました。私でよければお手伝いします」
「ありがとうございます。よし……それじゃあやりましょうか、雨月さん」
「はい、夕雨さん」
二人は頷き合うと、作業を始めた。そしてその手際のよさと連携に妹子は驚きから声を漏らした。
「えっ……こ、こんなに早く動いてるのにまったくぶつかってない……!」
「これがお二人の連携ですから」
「それにしても、持田さんの兄貴の件は本当に困ったもんだな。持田さん、別に持田さんがその兄貴を扶養してるわけじゃないんだろ? だったら、縁を切るまではいかないまでも多少見限るみたいな事をしても良いんじゃないか?」
「み、見限るって……」
「まあ言葉は少し乱暴ですけどね。けれど、たとえご家族の事だったとしても持田さんやご両親がいつまでも心配していては身も心も持ちません。なので、今のままで居続けるつもりなら少しだけ距離を置くと言ってみて、それでもダメならお試しで本当に距離を置いてみてはどうでしょうか?」
「距離を置く、か……」
夕雨と雨月が作業を続ける中で妹子は決心したような顔で呟く。そして十数分後、妹子の前にはいももちが数個載せられた皿が緑茶が注がれた湯呑み茶碗と一緒に幾つか置かれた。
「いももち、そしてりょくちゃ。お待たせいたしました」
「美味しそう……私、里芋とうるち米を使った物しか知らなかったですけど、こんなに種類があるんですね」
「お芋の数だけいももちもあるんだと思います」
「そうですね。では、どうぞごゆっくり」
「はい。それじゃあ……いただきます」
妹子は手を合わせながら言うと、添えられた箸を取り、いももちの内の一つを一口サイズに切り取ってそのまま口に運んだ。
「……あぁ、やっぱり美味しい。このいももちを食べると故郷に帰ってきたなっていう感じがするんです」
「ふるさとの味って奴ですからね。持田さんが言っていたように岐阜県は里芋とうるち米、北海道はジャガイモ、和歌山県や高知県、鹿児島県は餅米で普通の餅をついてからそれにさつまいもを混ぜて作るみたいです」
「実際にお出しする際は事前にどの地域の物が良いか伺うのが良いかもしれませんね。さて、持田さんのお悩みですが、先程お話しされていた通りで良いと思います。ただ気遣ったり何か言葉をかけたりするだけではなく、時には厳しい態度を取ったり様子を見守ったりするのも優しさですから」
「……そうですよね。兄には小さい頃から助けられてきましたし、いつか前みたいになってくれると思ってましたけど、時には突き放すようなやり方もしないと兄は甘えてくるだけですからね」
「そうだな。本当に切羽詰まって、自分のこれまでの行いを悔い改めるようなら手を差し伸べれば良いと思う」
「私も同感です。獅子は我が子を
「うん、そうだね。とりあえず両親にも相談してみるよ。皆さん、本当にありがとうございます。少しだけですけど、頑張れる気がしてきました」
妹子は笑みを浮かべる。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では妹子がいももちを食べ比べながら幸せそうな顔をしており、夕雨達はその姿を静かに見ていた。
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