第26話 こーひーぱい

 細かい雨が降り、地面や道行く人々の傘を静かに濡らしていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では夕雨達の他に新志あたらし海衣かい古賀こが空詩そらしの姿があり、二人は臙脂えんじ色のユニフォーム姿で茶色のエプロンをつけていた。


「まさかまたこの格好で手伝いをする事になるなんてな……もしかして、ずっと取っていてくれたんですか?」

「うん。といっても、前にここをやっていた天雨さんがいつかバイトを雇えた時にって事で用意してた物の一着だったんだけどね。ただ、せっかく手伝ってもらうわけだし、そのユニフォームとエプロンは記念に二人にあげようかな」

「良いんですか?」

「はい。以前、天雨さんがここにいらして色々な物を点検した際にこのまま残していても捨てる事になるから私達で好きなようにしても良いと仰っていたので遠慮なくどうぞ。雨仁さんが成長なさった時に着て頂く分はまだありますしね」

「ありがとうございます。なんか特別感あって良いな」

「そうですね、海衣さん。それで、今回は同じようにホワイトデーに恋の事で悩んでいる人が来たんですよね?」


 空詩の問いかけに雨月は笑みを浮かべながら頷く。


「はい。お相手への好意を改めて自覚されたのですが、お返しをどうすれば良いかという部分までは解決出来ていないので、本日その方を連れてまたいらしていく事になっています」

「だいぶドキドキするだろうなぁ……まだ付き合ってもない異性のために何かをするのも勇気を出してカフェに誘うのも。俺だって去年は空詩のためにキャラメル・マキアートをここで作ったわけだからその気持ちは本当にわかるよ」

「夕雨さん達から聞いてたけど本当にそうだったんだな。それで、そのお返しは結局どうするんだ? ここに呼んでこっちが作った物を食べさせて、会計を肩代わりして終わりっていうのはちょっと味気ないと思うけど」


 雨仁の言葉を聞き、夕雨は頷く。


「そうだね。だから、形としては海衣君と同じにはなるね。ただ、その下拵えを私達がやっておいて、貴斗君が来たらそこからは私達が教えながら作ってもらう。そういう手はずだよ」

「そうなんですね。それにしても、ホワイトデーのお返しかぁ……今年もキャラメル・マキアートとマカロンを作ってもらいましたけど、一般的にはホワイトデーのお返しってやっぱり悩む物なのかな?」

「悩む悩む。俺だって本当に去年と同じ感じで良いのかなと思ったよ。でも、やっぱり意味は大切にしたかったから」

「ふふ、気持ちはわかるよ。因みに、ちょっとした豆知識程度に聞いてほしいんだけど、スイーツ以外にも意味を持つ贈り物があるんだ」

「スイーツ以外にも……何があるんですか?」


 空詩が不思議そうに聞くと、夕雨は笑みを浮かべながら話し始めた。


「例えば、指輪ならそれが婚約指輪じゃなくても結婚や永遠っていう意味になるし、ネックレスやブレスレットならあなたの事を独り占めしたいっていう意味、ハンカチならあなたと別れたいになるから色々注意が必要かな」

「ハンカチなんか特にまずいな……」

「まあお菓子の方が意味合いとしてはおとなしめだけど、悪い意味のもあるから気を付けてね。あと、花も贈る事自体に意味があるわけじゃないけど、花言葉を贈るっていう形もあるからそれでも良いかもね」

「なるほど……やっぱりここに来ると色々勉強になるなぁ」

「あと、もう一つユーモアに富んだ物があるんだけど……雨月さん、そろそろですか?」

「はい。予想していたよりも早いご来店のようですよ」


 その言葉と同時にドアベルが鳴ると、ドアを開けながら貴斗がセーラー服菅田の長い黒髪の少女を連れて中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。白野さん、お誘いは出来たようですね」

「はい。姫川さん、ここが学校で話したカフェです」

「ここが……たしかにお洒落な雰囲気だけど、どこか落ち着く感じがして本当に良いところなんだなと思いますね」

「ありがとうございます。さて、手筈通りには行きませんでしたが、早速始めましょうか」

「はい。やろう、みんな!」

『はい!』


 貴斗と空詩達が答えると、夕雨達は作業に取り掛かり始めた。そしてその様子を見ながら姫川と呼ばれた少女がカウンター席に座ると、そこに雨仁と雨花が近づいた。


「姫川さん……というのでしたよね。白野さんとはどのようなご関係なんですか?」

「白野君はクラスメートで隣の席の男の子です。私が転校してきた時から何かと気にかけてくれてますし、私の名前が彼の名字とは対になっているのでそういう縁だったのかなと思っているんです」

「対……それじゃあ名前に黒がつくのか」

「はい、私は黒菜くろなというので。それにしても、ホワイトデーにこんなに雰囲気の良いところにお誘いをして頂けるなんて……まるでデートのようですし、本当に嬉しいです」

「そう思うって事は……」


 雨仁の言葉に黒菜が頬を軽く染めながら頷く中、夕雨達はそれぞれの作業を続けた。そしてそれから数十分後、黒菜の目の前にはこんがりとした焼き目がついたパイが載せられた皿と紅茶が注がれたカップが置かれた。


「こーひーぱい、そしてきゃらめるてぃー。お待たせいたしました」

「パイ……うふふ、なるほど。面白い事をお考えになりますね」

「ホワイトデーは3月14日、その数字は円周率と同じだからパイの日とも言われてるんだよ」

「円周率……あ、そういえばギリシャ文字だとπぱいっていうんだっけな」

「それがさっき言おうとした事なんですね」

「そういう事。それじゃあごゆっくりどうぞ」

「はい。それでは、いただきます」


 黒菜は手を合わせながら言うと、添えられたフォークを使って上品に切り取り、静かに口へと運んだ。


「……とても美味しいです。コーヒーパイというからには少しビターな風味だと思っていましたが、どちらかといえばカフェオレのようなクリームが中に入っているんですね」

「白野さんから姫川さんがこーひーを好んで召し上がると聞いていましたが、本日はホワイトデーですからね」

「白い牛乳を入れてカフェオレっぽい味わいのクリームにしたんだ」

「そうだったのですね。きゃらめるてぃーも本当に美味しいですし、白野君には本当に感謝しかありません」

「でも、それだけじゃないよ。パイは何度も生地を折り返して層を重ねて作る事から円満や永遠の愛を連想させて年月をかけて愛を育もうというメッセージもこめられてる。それが誰からのメッセージか、それはわかるよね」


 その言葉を聞き、黒菜が貴斗に視線を向けると、貴斗はガチガチに緊張した様子を見せた。けれど、海衣と空詩が肩に手を置きながら頷くと、意を決したような表情を浮かべた。


「姫川さん、俺は君からバレンタインデーにチョコを貰えて本当に嬉しかった。俺さ、姫川さんが転校してきて同じクラスの隣同士の席になって色々な面で関わっていく内に姫川さんの事が好きになっていったんだ。だからこそ、ホワイトデーのお返しにはすごく悩んだし、それが理由で色々迷ったりした結果、ここにも導かれる事にもなった。けど、もう迷わない。姫川さん、俺と付き合ってください……!」


 黒菜は頭を下げる貴斗を見つめた後、嬉しそうに笑みを浮かべた。


「こちらこそよろしくお願いいたします、貴斗君」

「姫川さん……」

「黒菜、と呼んでください。それに、私は癖付いていますが、貴斗君は敬語は使わなくても大丈夫です。私達はもう恋人同士なんですから」

「あ……ああ、わかった! 告白を受け入れてくれてありがとう。そして改めてこれからよろしく、黒菜」

「はい」


 黒菜が微笑みながら言うと、貴斗は嬉しそうに笑い、夕雨達も安心したような笑みを浮かべた。


「これで一件落着、かな。二人ともお幸せにね」

「はい。皆さんのおかげです、本当にありがとうございました」

「いえいえ。贈り物などに意味を持たせるのもまた良いものですが、一番重要なのは贈り物をしたいという気持ちですからね。それがなければ、どんなに高価であったりしっかりとした意味合いがあったりしても意味はありませんから」

「気持ちが重要……これは俺達もちゃんと意識していかないといけない事だな」

「そうですね。ちゃんと贈りたいという気持ちをこめて贈り物をする事。ここでまた大切な事を学べました」


 空詩と海衣が頷き合っていると、夕雨は嬉しそうに頷いた。


「それならよかった。さて、これで解決したし、空詩ちゃん達も座って座って。私と雨月さんで三人への労いのために同じセットを作っちゃうから」

「そうですね。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、再び作業に取り掛かった。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では二組のカップルが仲睦まじそうに話をしており、夕雨達はその様子を静かに見守っていた。

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