第25話 すのーくっきー
大粒の雨が降り、まだ肌寒い気温の中を人々が足早に歩いていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では夕雨がステンドグラス越しに外を眺めていた。
「今日も結構な雨ですね。明日はホワイトデーだし、晴れてほしいという人は多そうです」
「何かしらの催し事がある日となれば晴れてほしいという気持ちになるのは仕方ないですからね。ただ、明日も雨は降るようなので、雨ならではの過ごし方にはなってしまいますね」
「けれど、相合傘や雨宿りは出来ますし、それをきっかけに仲を深める方々はいそうですね」
「考え方一つではたしかにあるしな。まあ俺は俺で明日はちょっと面倒だけどな」
雨仁がため息をつくと、夕雨はクスクス笑った。
「雨仁君、転校してきたからまだそんなに経ってないのにいっぱいチョコを持って帰ってきたからね。一般的にホワイトデーは三倍返しなんて言うけど、お返し自体は一倍返しで残りの二倍は美味しかったよありがとうっていう気持ちで賄っても大丈夫だからね」
「本当に三倍で返せなんて言われても困るからな。まったく……なんでそんな言い方が広まってるんだか」
「それはその言葉が定着した当時の財政状況が関係しているようですよ」
「財政状況……ですか?」
雨花が首を傾げると雨月は微笑みながら頷いた。
「その当時はバブル期と言われていた1980年代であり、1980年年代の後半から1990年代にかけて銀行や企業の膨大な資金が土地や株の購入に回った事でまるで泡のように地価が上昇した事からバブル経済と言われていたわけですが、それによって一般の方々が頂いていたお給与も現在よりも格段に多かったそうです」
「そういう経済面の余裕から三倍で返せなんて言う言葉が定着したのか」
「収入が多かった事に比例して消費も多かったようですからね。しかし、近年では豪勢なお返しよりも気軽に渡せるような物も好まれるそうですよ」
「あ、ニュースで聞いた事あります。オンライン授業やテレワークの普及で学校や職場でのバレンタイン文化が衰退傾向にあるからとかおうち時間が増えた事で自分用を買う人が増えたから、後は今の時代に義理チョコ文化が合っていない事でそれも下火になっているからですよね」
「そのようです。学校によってはチョコの持ち込みを禁止しているようなので隠して持ってきている生徒さんも少なくないと思いますが、恋愛面に限らず日頃の気持ちをこめて贈り物をし、それに対してしっかりと感謝をした上でお返しをするというのもまた人と人の繋がりですので、衰退傾向にあったとしても無くなるという事にはならないでほしいですね」
雨月の言葉に三人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、黒い傘を持った学生服姿の少年が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「は、はい……入ってみたくて入ってはみたけど、なんだかすごいお洒落なカフェだし、自分の場違い感がすごいな……」
「そんな事無いよ。君と同じくらいの子達も常連さんとして来てくれてるし、そんなに気を張る必要の無いところだから」
「そうですね。もっとも、本当に気を張っている出来事が他にあるのかもしれませんが」
雨月の言葉を聞いて表情を暗くすると、少年は傘を傘立てに置いてからカウンター席に座った。
「……よくわかりましたね」
「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人達が雨によって導かれてくるカフェだからね。ここだと君みたいな子も珍しくないんだよ」
「そうなんですね……俺は
「つまり、バレンタインデーにチョコを貰えたわけか。別にそれは喜んで良いと思うけど、相手がそんなに嬉しくない奴なのか?」
「いや、相手も悪いわけじゃない。むしろ、気になっていた相手だったから本当に嬉しかったんだ。でも、こうしてホワイトデーが近づくにつれて段々焦りを感じ始めたんだ。お返しをどうしたら良いのかって」
「お返しがお悩み……そういえば、ホワイトデーのお返しも色々意味があるのでしたね」
雨花の言葉に夕雨は頷く。
「うん、バレンタインデーのお菓子みたいに色々あるよ。マカロンだと貴方は特別な存在でマドレーヌは特別な関係を築きたい、バウムクーヘンなら幸せがずっと続くようにっていう意味があるよ」
「そういうのも調べてますし、贈るならそういうのが良いなと思ってます。けど、いざ贈ろうと思っても結局尻込みしてしまって、その内に本当に自分はその人の事が好きで、バレンタインデーのお返しをあげたいのかと思うようになってしまったんです」
「……面倒な考え方をしてるな。けど、本人からすればだいぶ困ることではあるか」
「そうですね……」
雨花が心配そうな視線を向ける中、貴斗はメニューをパラパラと捲り始めた。そしてとある名前を見つけると、それを口にした。
「すのーくっきー……」
「はい。その名前の通り、雪のように白い一品です。そちらになさいますか?」
「あ、はい。飲み物は……ほっとこーひーでお願いします」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。その光景に貴斗が驚いていると、雨花は貴斗に話しかけた。
「私にはまだ恋という物はわかりませんし、具体的な助言は出来ません。ですが、なんとなくわかる事があるんです」
「なんとなくわかる事?」
「心の奥がポカポカとする事です。その人の事を考えるととても暖かい気持ちになり、多幸感でいっぱいになる。白野さんもその人の事を考えているとそうなりませんか?」
「……なる。色々な表情を見たいとも思うし、色々なところに行きたいとも思うよ」
「それならそれは好きという気持ちなのだと思いますよ。大丈夫です、貴方の好きは間違っていませんから」
雨花が微笑みながら言う中、夕雨と雨月は作業を続けた。そしてそれから数十分後、貴斗の目の前には表面に粉砂糖が振られたメレンゲクッキーが盛られた皿とコーヒーが注がれたカップが置かれた。
「すのーくっきー、そしてほっとこーひー。お待たせいたしました」
「本当に雪みたいな白さだ……」
「ふふっ、見た目は合格点みたいだね。それじゃあごゆっくりどうぞ」
「はい。それじゃあ……いただきます」
貴斗は手を合わせながら言うと、すのーくっきーを一枚手に取り、そのまま口に運んだ。
「……う、美味い! 食感も軽くて粉砂糖が程よい甘さにしてくれてるからコーヒーにもしっかりと合っていて本当に美味い!」
「メレンゲクッキー自体は優しい甘さと軽い食感が特徴なお菓子だけど、食感を大事にしながら見た目も考えてみたらこういう形になったんだよね」
「小腹が空いた時などに良いかもしれませんよね。さて、白野さんのお悩みですが、雨花さんの言う通りではあります。ただ、お返しの件についてはまだ解決は出来ていませんよね」
「そうですね……好きな気持ちは再確認出来ましたけど、結局何を返せば良いのか……」
貴斗が俯く中、夕雨は笑みを浮かべた。
「ねえ、その子を連れて明日もここに来てもらえるかな?」
「え? それは構いませんけど……何かアイデアがあるんですか?」
「うん。前も似たような事があったし、こういうのも慣れっこだしね。となれば……」
「そうですね。あのお二人にもお手伝いをお願いしましょうか。同じような経験をした方々ですし、よりわかりやすい助言をして頂けると思います」
「ですね。よし、そうとなれば早速作成会議といきましょうか」
夕雨の楽しそうな声が店内に響いた。そして雨が少し弱まる中で『かふぇ・れいん』では夕雨が携帯電話で連絡をするのを聞きながら雨月達がホワイトデーについての話し合いを進めていた。
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