第24話 びすけっとさんど

 静かに雨が降り、傘を差した人々が街を行き交うある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では柿川咲哉が静かに緑茶を啜っていた。


「はあ……落ち着くな。仕事の付き合いなどで色々な店の茶を飲んできたが、ここのはまた格別だ。この味ならばもう少し値段を上げても文句は出ないと思うよ」

「お褒め頂きありがとうございます。ですが、今後も値上げの予定は無いですよ」

「ですね。たしかに柿川さんの仰る通りかもしれませんけど、ここに来てくれた人達には値段的な意味でも安心してもらいたいですし、前店主の天雨さんに相談した上での値段をこのまま続けていきます。私達自身もこのカフェを続けるのは楽しいですけど、天雨さんから引き継いだからこそずっと続けていきたいですから」

「そうか……まだお会いした事はないが、その天雨さんにも話を聞いてみたいな。きっとその話もまた作品の良い題材になるだろうからね」

「まあ悪い人間ではないのはたしかだな。そういえば、今年は閏年うるうどしで2月は29日まであるけど、それってたしか4年に一度だったよな?」


 雨仁の疑問に対して雨月は微笑みながら答える。


「その通りです。この閏というのは平年よりも月日の多い年という意味を持ち、2月が閏年になると一日多い事や2月が28日なのは古代ローマにて使われていた暦において、現在の2月に当たる月が一年の終わりの月だったからだそうです」

「ロムルス歴という物だね。それは紀元前8世紀頃に使われていたそうだが、農業を行わなかった冬には月日が割り振られていなかった事で月は10しかなく、3月から12月はあったが1月と2月はあったそうだ」

「そうですね。そして古代ローマの王様であったヌマ・ポンピリウスが制定したヌマ歴ではそれまで使われていた10の月に現在の1月と2月に当たる月を追加し、現在の2月に当たる月は一年の最後の月となりました。因みに、古代ローマでは偶数は不吉とされていたためにヌマ歴はそれぞれの月は29日または31日になっていましたが、その現在の2月に当たる月だけは祓いや清めの月であった事で不吉な数字でも良いという事になり、その一月だけ28日になりました」

「ヌマ歴では一年が355日しかなく、そのままでは季節と日付がずれてしまう事からおよそ二年に一度うるう月という物を入れ、その調整の際には年末を23日または24日としてその翌日から27日間のうるう月を挿入する形をとったそうだ」

「ただ、政治的や経済的な混乱や戦争などによってうるう月が正しく挿入されなかった事もあってユリウス・カエサルの時代には暦が季節に比べて二ヶ月以上進んでしまっていました。それを知ったカエサルは平年を365日、四年に一度の閏年を366日とするユリウス歴を紀元前45年から使い始め、追加された月の内の一つを年の始めに、もう一つを二番目の月にしてヌマ歴において日数が29日の月をユリウス歴では30日または31日にし、現在で言うところの二月は宗教的な意味合いの強い祭礼が多くあった事による混乱を避けるために普段は28日にしたそうです」

「因みに、閏年は原則的に西暦年数が4で割り切れる年とされているようだが、例外的に八年に一度となるケースもあり、グレゴリオ歴では閏年は400年の中で97回と定められている事から400年に一度とする場合もあるそうだ。閏年を設けないと暦にズレが生じるのだが、閏年を設ける事で生じるズレもあるようだからね」


 雨月と咲哉が交互に説明をすると、それに対して雨花は驚いた様子を見せた。


「いつもは雨月さんが様々な知識を説明して下さいますが、作家さんである柿川さんがいらっしゃるとこのようになるのですね……」

「ふふ、お菓子や料理の事であれば夕雨さんと交互にお話が出来ますけどね。こういった事も中々楽しいものですよ」

「同感だ。普段は何かの折りに説明をすると知識をひけらかして悦に入っていると言われる事もあるが、同じように何かについて知っている相手と一緒に説明するというのも良いものだね。これもまたここに来る楽しみの一つになりそうだよ」

「ありがとうございます。私も様々なお話が出来るようにこれからも知識を深めていきますね」


 雨月の言葉に咲哉が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、深緑色の傘を持った一人の少女が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「は、はい……って、もしかしてそちらにいらっしゃるのは小説家の柿川咲哉先生ですか!?」

「ああ、そうだよ。私の名前を知ってくれているという事は読者の方かな?」

「は、はい! 私、読山よみやま本花もとかといいます! 先生の本を読み始めて私も小説家になりたいと思って文芸部に入ったり自分で作品を書いたりしているんです!」

「そうか……そう言ってもらえるのは嬉しいが、ここに来られたという事は君も何か悩みを抱えているという事かな?」

「悩み……それはありますけど、どうしてそれを?」


 傘を傘立てに置いた本花がカウンター席に座りながら驚く中、雨月はクスクス笑う。


「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方が雨によって導かれてくる場所なのです。柿川さんも以前は他の方のご紹介ではありましたが辛い気持ちを抱えてここに来て下さったんです」

「柿川先生にもそんな事が……」

「私も一人の人間だ。悩みの一つくらいはあるものだよ。それで、読山さんの悩みというのは何かな?」

「……プロではないとはいえ、このまま活動を続けても良いのかなと思ってるんです」

「ほう? 続ける分には別に良いのではないかな?」

「ネットで知り合った作家仲間もそう言ってくれます。でも、やっぱり辛いんです……自分にとって渾身の一作だと思って書いた物が全然読まれないのにもう世の中で飽和状態になってるような設定のものばかりが読まれて人気になっていくという状況が……!」


 本花の目に涙が浮かぶ中、咲哉は小さくため息をついてから雨月と夕雨を見た。


「雨月君、夕雨さん、私が払うからこの子を元気付けられるような物を出してもらっても良いだろうか」

「え……?」

「はい、もちろんです」

「私達も話を聞いていて元気になってほしいと思いましたからね。よし……それじゃあやりましょうか、雨月さん」

「はい、夕雨さん」


 二人は頷き合うと、作業に取りかかった。そしてその光景に本花が驚く中で咲哉は静かに口を開いた。


「私も実感しているけれど、世の中には流行り廃りという物があり、ブームが来ている間はそれに類似する物ならば大抵は読まれるものだ。まあ読まれたからといって必ずしもその後も読まれるわけではなく、誰かの作品と比較されたり少しテンプレートから外れたりするだけで何らかの批判を受ける場合なんてのもままある。私も先日とある企画で小説投稿サイトに投稿した際に本物だと気づかれず色々な事を言われたものだよ」

「柿川先生でもそうなのですね……」

「本物だと判明した瞬間に多くの手のひら返しを受けたがね。だが、読山さんが今言ったように小説家として多少名の知れた私でもそうなのだし、担当者からここをこうした方がいいという指摘をされる事だって普通にある。中には流行りの展開を入れてみても良いと言われる事だってあるとも。だから、先日の企画が終わってからはそういう意見にも耳を傾けるようにしたし、多少はそういう表現なども入れるようにした。時にはそれを非難される事もあるけれど、私は後悔していない。そういった物から得られるアイデアや発見などもあるのだからね」

「流行りから得られる物……」


 本花が呟く中、夕雨と雨月は作業を続けた。そしてそれから十数分後、本花と咲哉の目の前にはアイスが挟まれたビスケットとホカホカ湯気を上げる紅茶が注がれたカップが置かれた。


「びすけっとさんど、そしてこうちゃ。お待たせいたしました」

「柿川さんもどうぞ。お代はさっきのお話の授業料と相殺という事で」

「ふふ、そうか。ではありがたく頂くとしよう。読山さん、早速頂こうか」

「はい。それじゃあ……」

「「いただきます」」


 二人は声を揃えて言うと、びすけっとさんどを手に取り、そのままゆっくりと口に運んだ。


「……お、美味しい! 挟まれているアイスの味も濃厚で甘くて美味しいですけど、このビスケットも一緒に食べる事でよりそれが引き立つ気がします!」

「実に懐かしい味だな……当時は私や友人達も物珍しさで買ってみて、その不思議な味と食感の虜になった物だよ」

「ビスケットサンドは1980年にあるお菓子会社が発売した物で、バニラビーンズ入りの濃厚なバニラアイスをほんのり甘くてしっとりとしたビスケットで挟んだ物だったらしく、当時としては珍しかったもののもう40年程の歴史があるみたいです。ただ、バニラアイス以外もありかなと思って、チョコアイスや抹茶アイス、他にも色々なアイスを挟んでお出しする予定ですよ」

「選べる楽しさというのも大事ですからね。さて、読山さんのお悩みですが、これは柿川さんが仰っていた事が全てだと思います」


 雨月の言葉を聞き、本花は軽く俯く。


「……そうですよね。お話を聞いていて私もそうかなと思いました」

「創作物に限らず、あらゆる物に流行りというのはあって、その間は類似する物であれば様々な人が手に取り、また様々な類似品が出てきます。そういった物を好まない方というのも当然いますし、それは仕方ない事です。けれど、それが人気を得ているという事は、それだけの魅力があるという事でもありますし、それに触れる事で得られる物もあるという事になります」

「だから無理にとは言わないが、読山さんも自分でこれだと思った作品に流行りの何かを入れてみるのも良いかもしれない。それによって得られる物がその時は無かったとしても、今後も作家を続けていく上で経験や知識としてそれは蓄積されていくのだからね」

「……そうですね。私、これまで食わず嫌いしてきた物を色々取り入れてみようと思います。正直、嫉妬みたいなものもあったんです。だから、自分の今をしっかりと受け止めた上で色々な物に触れて、取捨選択をしながら新しい自分の色を見つけようと思います。全部流行りの物にしたって今度は自分を見失ってしまいますからね」

「ふふ、そうですね。読山さん、頑張って下さいね」

「直接的な支援というのは難しいが、またここで会う機会があればその時は私もまた話を聞いたり知恵を貸したりしよう」

「はい、ありがとうございます」


 本花は心から喜んだ様子で笑みを浮かべた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』の店内では雨月と咲哉による様々な知識の話が花を咲かせ、夕雨達は外で降る雨の音と共にそれを静かに聞いていた。

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