第8話 ぽっとぱい
しとしと雨が降り、地面を濡らし続けていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では夕雨が裁縫をしていた。
「……よし、出来た。雨月さん、見本が出来ましたよ」
「お疲れ様です、夕雨さん。それにしても、よい考えですね。来て下さったお客様に対して贈り物をするというのは」
「まだ見本を作ったばかりなのでそれを実際にやるとしたらもっと先の話になりますけどね。でも、いつも来てくれるお客さん達には何かしらの形で感謝をしたいと思ってましたし、実用的な物であれば日常的にも使えるから良いかなと思ったんです」
「ただ、普通に配るだけだと夕雨さんの負担が大きくなるだけだから、何か条件はつけたいな。よくあるパターンだとスタンプカードがあるけど……」
「スタンプカード……ああ、夕雨さんがお買い物の際にお店の方に出している物ですね」
雨花の言葉に対して雨月は微笑みながら頷く。
「そうですね。スタンプカードは買い物の際に提示する事で一定の金額に応じた個数のスタンプを押してもらえる物ですし、その個数に応じて様々な物を贈る事が出来れば良いかなと思います」
「私も同感です。ただ、そのためには専用のスタンプや他の景品が必要ですけど、スタンプの絵柄は何が良いですかね?」
「やはりここは雨に関する場所なので雫の絵柄はどうでしょうか? 景品も本当は主に雨の日に使える品物が良いかなと思いますけど、そうじゃなくても良いとは思いますし」
「実際、夕雨さんが縫ってたのはランチョンマットだからな。それに、雨の日に使う物ってなると、傘やレインコート、濡れた体を拭いたりするタオルがすぐに浮かぶけど、それをオリジナルの景品にするには手間も予算も多くかかるから、それならティータイム中に使えそうな物が良いかもしれないな」
「そうですね。因みに、スタンプカードを発行しているお店によってはスタンプカードの格を上げるという事も行っているようですが、それもおいおい考えていきたいですね」
「はい。ふふっ、なんだかこういう事考えると本当に楽しいですね」
夕雨の言葉に三人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、水色の傘を持った男性が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「あ、はい……」
男性は傘を傘立てに置くと、カウンター席に座り、小さくため息をついた。
「はあ、一体どうしたら良いんだ……」
「何かお悩みのようですね。よければお話し頂けませんか?」
「え? そんなあなた方の手を煩わせるような事でもないですから……」
「でも、ここに来られた辺り、だいぶ大きな悩みだと思いますよ?」
「というと?」
「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人達が雨によって導かれてくるカフェなんです。だから、同じように色々な人達の話も聞いてきましたし、何か助言は出来るかもしれませんよ?」
男性は信じられないといった顔をしていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……私は
「ほう、お店ですか。どのようなお店なんですか?」
「レストランです。外も中も拘る予定で、やる気に満ちていました。しかし、色々話を進めていく中で不安が込み上げてきたんです。本当にやっていけるのかとか何か失敗をしてクレームが来たらどうしようとかそんな事ばかりが頭の中に浮かんできて、どんどん怖くなってきたんです……」
「そうでしたか……」
「でも、その気持ちはわかりますよね。私達もここを受け継いでいざやるぞとなった時、まだ起きてもない事が頭の中に浮かんできて、それが本当に起きたらどうしようとは思いましたから」
夕雨の言葉に対して雨月が頷いていると、直志は少しだけ表情を明るくしたものの、すぐに再び表情を暗くしてメニューをパラパラ捲り始めた。そしてある名前を見つけた瞬間にその手は静かに止まった。
「ぽっとぱい……」
「はい。温かくてお腹も膨れそうな物を考えようという事で夕雨さんが加えたものです。そちらになさいますか?」
「あ、はい。後は……ほっとこーひーをお願いします」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、作業を始めた。そしてその作業風景に直志が驚いていると、同じく作業を見ていた雨仁が直志に声をかけた。
「アンタが色々不安なのは仕方ないと思う。何かを始めようとする前っていうのは経験もない上に何が起きるかわからないからこその心配っていうのがあるからな」
「あ、ああ……」
「けど、怖がってばかりいても仕方ないだろ。実際に起きる事よりも不安や心配みたいな想像の方が確実に多くなるんだからキリがないんだよ」
「キリがない……」
「雨仁さんの言う通りだと思います。それに、どうせ考えるなら楽しい事の方が良いですよ。どんな風にお客様を喜ばせようとかどんな風に営業していこうかとかのような」
「楽しい事を考える、か……」
直志が顎に手を当てる中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして数十分後、直志の目の前にはこんがりとした焼き色がついたポットパイとホカホカと湯気を上げるコーヒーが置かれた。
「ぽっとぱい、そしてほっとこーひー。お待たせ致しました」
「おお……とても美味しそうだ」
「ふふ。それではごゆっくりどうぞ」
「はい。それでは……いただきます」
直志は手を合わせながら言うと、添えられたスプーンを手に取り、表面を軽く割った。そして中から立ち上る香りに口元を綻ばせると、パイを中のスープに軽く浸してからそれを口へと運んだ。
「……美味しい。中に入っているのは……クラムチャウダーですね?」
「はい。日によって中のスープやシチューを変える予定で、今日はクラムチャウダーの日だったんです」
「そうだったんですね。はあ、パイの香ばしい香りとクラムチャウダーの温かさやまろやかさが心地よい……」
「喜んでいただけてよかったです。さて、札さんのお悩みですが、先程雨仁さん達とお話しされていた通りだと思います。不安な事は多いかと思いますが、ただ不安がってしまっていてもうまく行かない事は多いです。そしてそれは自信の喪失に繋がってしまいます。なので、まずは楽しい事を考えましょう。高揚した気持ちはきっと札さんの力になってくれるはずですから」
雨月の言葉を聞いた後、直志はぽっとぱいを見つめてから小さく息をついた。
「……そうですね。この先だって悪いこと以外の出来事は絶対にありますし、今ただ悩んで暗くなるよりもこれから訪れるはずの楽しい事や嬉しい事を考えた方が絶対に良いですよね。もちろん、最低限色々なトラブルについては考えますけど」
「事前に対策していたり予測していたりするのは悪い事じゃないですからね」
「そうですね。札さん、共に食事を作って提供する者同士、お互いに頑張っていきましょう」
「お店が出来た時には四人で食べに行きますね」
「はい、是非いらしてください。その時のために全力で頑張りますから!」
直志が笑みを浮かべながら言うと、四人は揃って頷いた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では直志がぽっとぱいとほっとこーひーを味わいながら夕雨と雨月に料理などについての質問をし、雨仁と雨花がそれを聞く中で夕雨と雨月は質問に答えながら笑みを浮かべていた。
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