第6話 まんかいまんじゅう

 雨が強く降り、溶けきっていない霙と混ざって地面がぐちゃぐちゃになっていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では雨仁と雨花が夕雨から作業の工程について教えられていた。


「それで後はこれを焼けば完成だよ。最初は難しいかなと思うかもしれないけど、慣れてくれば簡単になってくるから、まずは何度もやってみる事だね」

「反復練習が大事、という事か。雨花は大丈夫そうか?」

「はい。夕雨さんが丁寧に教えて下さったので私もバッチリです」

「それなら良かった。まあ焼き終わるまで時間はかかるし、後はゆっくり待ってようか。今はお客さんもいないしね」

「わかりました」


 雨花が返事をすると、三人の様子を静かに見ていた雨月はニコリと笑いながら夕雨に話しかけた。


「では、私はお飲み物の準備をしますね」

「はい、お願いします。それにしても、ここ数日雨とか霙が降ってますけど、事情を知らない人からしたら憂鬱な一月になってそうですね。前の私がそうだったように雨ってジメジメしてたり服や身体が濡れちゃったりしてあまりいい気分はしないですから」

「たしかに……お洗濯物が乾かないのは困りますし、そういう方もいらっしゃると思います」

「俺達からすれば雨が増えると商売の機会が増えるから売り上げ的には嬉しいけどな。ただ、傘を忘れて帰ってる最中にここに導かれる奴も中にはいるかもしれないからその辺りの対応も考えた方が良いのかもな」

「一応、タオルなどの用意はしていますが、たしかにもう少しその辺りを考えるのはありかもしれませんね。せっかくなので、雨仁さんと雨花さんのお二人で何か案を考えて頂けませんか?」


 その言葉に雨花は驚く。


「私達で、ですか?」

「あ、たしかに良いかも。すっかり雨に慣れちゃってる私達だけじゃ気づけてない事もあるだろうし、その辺りも踏まえて色々考えてもらえると嬉しいな」

「そうですね。雨仁さん、雨花さん、お願いしても良いですか?」


 雨月の問いかけに対して雨仁と雨花は顔を見合わせた後、揃って頷いた。


「……はい! 是非やらせて下さい!」

「世話になってるのにあまり役に立ててないからちょうど良い機会だな。これを機に色々任せてもらえるようにしてみるか」

「はい。いずれはお二人にもお客様に提供するものを作って頂きますのでその時はよろしくお願いしますね」

「はい。あ、そういえば……前から少し疑問に思っていたんですが、どうして天雨さんはお二人にこのお店を譲られたんですか? 天雨さんもまだまだお元気ですし、三人でお店をやられても問題は無かったと思うんですが……」

「私達もそう思ったのですが、天雨さんが仰るには自分もいつまでも一緒にはいられないし、私達がどのようにお店を続けていってくれるか見守るにはそばにいるよりも一歩引いたところから見る方が都合がよいからだそうです」

「たしかに今の方が見える物が多いだろうし、天雨さんとしてはやりやすかったんだろうね。まあ二人がもっと成長して二人だけでもお店を回せるようになったと思ったら私達もメインからサブやサポートに回るから、その時が来たら頑張ってね」

「それまではこれまで私達が経験してきた事や天雨さんから教わった様々な事を共有していきますから安心してくださいね」


 雨月の言葉に対して二人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、赤い傘を持ったスーツ姿の女性が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「はい……こんなにお洒落なカフェが普通にあるなんて、やっぱり都会は違うなぁ……」

「たしかにカフェは結構色々なところにあるイメージがありますね。もっとも、ウチみたいなカフェは中々ないと思いますけど」

「え?」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方が雨によって導かれる場所なのです。失礼ですが、お客様も何かお悩みを抱えているのではないですか?」


 女性は驚いた様子だったが、すぐに暗い表情で頷くと、傘を傘立てに置いてからカウンター席に座った。


「……私は八代やしろ佳織里かおりといいます。実家は華道教室をしているのですが、それを継ぐのが嫌で外に勤め先を見つけて今は仕事を頑張ってるんですが……先日、華道家の父が倒れたと母から連絡が入ったんです」

「お父様が……」

「幸い、命に別状は無いようで、母が言うには病室でも新しい作品の構想を練るくらいには元気だそうです。けど、私はやっぱり会いに行けないんです。家を出る前に父と大喧嘩をした上にもうこんな家には帰らないと言ったのに今更になって帰ったり父に会おうとしたりするのは気持ち的に難しいっていうか……」

「少し意地になってる感じなんですね。でも、お父さんが心配なのは変わらないし、それを考えてる内に辛くなってきた、と」

「はい……」


 佳織里は静かに頷いた後、メニューをパラパラと捲った。そしてあるページでその手を止めると、そこに書かれていた名前を声に出して読んだ。


「まんかいまんじゅう……」

「はい。その日によって違った花の焼き印を押したお饅頭で、その花に沿った餡を中に包んだ物です。そちらになさいますか?」

「……はい。父が近所の和菓子屋さんのお饅頭が本当に好きで、小さい頃におやつとして私も分けてもらっていたらお饅頭自体が好きになっていたので。後は……まっちゃをお願いします」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業を始めた。そしてその光景に佳織里が驚く中、雨仁は静かに口を開いた。


「……子供が何を言ってるんだと思うかもしれないが、意地を張るのを止めて父親に会いに行った方が良いと俺は思う。会えなくなってから後悔しても遅いんだからな」

「それはそうだけど……って、もしかして君は家族か誰かを亡くしてるの?」

「両親も死んでるし、その後に一人で世話をしてくれてた祖父さんもこの前死んだばかりだ」

「そう……だったんだ」

「私も雨仁さんの言う通りだと思います。人によるとは思いますが、家族というのはその人にとって一番身近な他人であり、一番その人の事を考えてくれる人だと思いますから、喧嘩したままで亡くなってしまったら後悔してもしきれないはずです」

「……そう、だよね……」


 佳織里がそう言いながら俯く中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして数分後、佳織里の目の前には桜や薔薇の焼き印が押された数個の饅頭と中が広い茶碗に点てられた抹茶が置かれた。


「まんかいまんじゅう、そしてまっちゃ。お待たせ致しました。因みに、まっちゃは薄茶に致しました」

「わぁ、良い香り……それにお饅頭も焼き印がこんがりとついている上に表面が純白で綺麗……」

「形もどれも綺麗ですし、見ているだけでも楽しくなってしまいますね」

「ふふ、そうですね。では、ごゆっくりどうぞ」

「あ、はい。それじゃあ……いただきます」


 佳織里は手を合わせながら言うと、桜の焼き印が押された饅頭を手に取り、そのまま口へと運んだ。


「……美味しい。ほんのり桜の香りもしますし、中に入ってるあんこも甘さが程よくて本当に美味しい。これ、中には小さく切られたお餅も入ってますよね?」

「はい。賽の目切りにしたお餅を入れていますし、塩漬けになった桜の花弁を刻んだものも混ぜてます」

「薔薇の焼き印が押されたお饅頭も薔薇の香りをつけていますし、まさにまんかいまんじゅうの名前に相応しいと思いますよ」

「このお皿の上だけで色々な花が咲いてるような物ですしね。それに、このお抹茶も香りが良い上に味に深みがありますし、このカフェに導かれる事が出来て本当に良かったと思います」

「喜んで頂けて良かったです。さて、八代さんのお悩みですが、雨仁さんと雨花さんが仰っていた事がまさに合っていると思いますよ。後悔をする前に一度お父様とお会いになって、喧嘩になった事を謝罪した上で仲直りをした方が八代さんの今後のためでもありますしね」


 佳織里は静かに頷いた。


「……そうですね。変に意地になっていてもしょうがないなと思いましたし、後を継ぐ気はまだ無いですけど、自分の趣味の一つとして華道もまたやってみようと思います。その方が仕事を続けていく上で気分転換の一つにもなりますし、これまで教えられてきた技術を活かす事にも繋がりますから」

「はい。応援していますよ、八代さん」


 佳織里は嬉しそうな笑みを浮かべながら大きく頷いた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では佳織里が雨仁達と話しながら饅頭や抹茶を味わい、夕雨と雨月はそれを見ながら安心したように微笑んでいた。

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