第5話 さんしょくだいふくけーき

 霙が多く降り、地面が白く染まっていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では雨仁がステンドグラス越しに外の様子をジッと見ていた。


「今日は霙か。この調子だと客足は遠退きそうに思えるけどな」

「普通のお店だとそうだろうね。ただウチの場合はそれでも来てくれる人達ばかりだから本当に助かってるんだ」

「そして来て下さった方々のために精いっぱいのおもてなしをする。それが私達のやるべき事ですから」

「温かい物をお出ししたりですよね?」

「そういう事。今は学生組が冬休みだから日中に一緒に勉強会をしながら何かを食べたり飲んだりしに来てくれるし、もう仕事が始まってる成人組も仕事帰りにちょこっと寄っていってくれたりするからね。まあそれは二人もわかってる事だろうけどね」

「昨日もそんな感じだったからな。三が日もそうだったけど、こんなに普段から客が来るんだと思って正直驚いてた」


 雨仁の言葉を聞いて雨月は微笑みながら頷く。


「まだ私達が天雨さんからお店を受け継いだ当初は町内会長さんなどの前々からお店に来て下さっていた方ぐらいしかお客様がいらっしゃいませんでしたが、今では老若男女様々な方がいらして下さいます。本当にありがたい事ですね」

「そうですよね。中には同じように辛い気持ちを抱えた人を紹介してくれる人もいたりしますし、それはそれでお客さんが増えてありがたいですけど、それだけ普段からみんなが何かしらの理由で辛い気持ちを抱えてる事になりますし、正直喜んで良いのか複雑なところではありますね」


 夕雨が苦笑いを浮かべながら言うと、それを聞いて雨花はハッとした。


「あ、そうですよね……私達としてはお客様が増えて下さるのは嬉しいですけど、ここの性質上、辛い気持ちを抱えている方じゃないと基本的にはご新規のお客様は増えないんですもんね」

「まあそうじゃなくても他の客の紹介があればここに来られるようだけどな。悪意さえ抱えてなければ」

「そうですね。因みに、悪意を持っていて辛い気持ちを抱えていた場合は、その悪意と辛い気持ちの内、大きな方が優先されるので悪意を持っていても辛ささえ勝っていればここに導かれるようになっています。それは青河さんが良い例ですね」

「そういえば、最初は妹さんの入院費の工面のためにどこかへ強盗に入ろうとしたところ、ここへ導かれたのでしたね」

「はい。因みに、悪意には対義語である善意という言葉があり、基本的に善意は他人の事を思う親切な心という意味が、その逆で悪意は他人に害を無そうとする悪い心という意味がありますが、法律上の善意と悪意は道徳的な善意と悪意とは意味が変わってくるんですよ」

「意味が変わる?」


 雨仁が不思議そうにしていると、雨月は微笑んだままでそれに答えた。


「はい。簡単に言えば、法律用語においては善意と悪意は単にある事柄を知っているか知らないか、信じているか信じていないかという事を区別するだけの単語であり、知っている事または信じていなかった事を悪意と言い、知らない事または信じていた事を善意と言います」

「うーん……ちょっと難しい感じの話ですね」

「法律というのは難しい印象がありますからね。因みに、この場合の善意については条文次第で知らなかった事とするか信じていた事とするかは変わってくるそうです」

「条文?」

「簡単に言えば、法律や条約などを箇条書きにした物です。そして似たような言葉に条項という物がありますが、これは箇条書きにした物の一つ一つの項目を指す言葉ですね」

「なるほど……」

「普段の生活では中々関わらない物ばかりではありますが、日常生活の中でも何が起きるかはわからないので頭の片隅にでも置いておきたい物ではありますね」


 雨月の言葉を聞いて三人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、黒い傘を持ったスーツ姿の男性が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ……はい、わかりました」


 男性は傘を傘立てに置いてからカウンター席に座り、少し忌々しそうな顔をしながら大きくため息をついた。


「はあ……くそ、青河の奴あんなに幸せそうな顔をしやがって……! それならいっそのこと……!」

「青河……もしかして龍夜さんのお知り合いですか?」

「そうですけど……店員さんもアイツの事を知っているんですか?」

「はい。一昨年の冬にいらしてから度々妹さんと一緒に来てくれてますよ。今日は恋人である私の友達と一緒の用事があるそうですけど」

「……ああ、たぶんさっき見たのはそれだな。アイツめ……あの時よりも幸せそうな顔をしていて本当に腹が立つ……!」

「あの時というと……もしや青河さんがリストラをされた会社の方ですか?」


 男性は静かに頷いた。


「俺は阿久井あくい善雄よしおといいます。青河は俺の後輩だった奴で辛い中でも妹のためと言って色々頑張るので上司や同僚からの信頼も厚かったです」

「それならばどうしてリストラを?」

「業績の悪化に伴って末端から優先的に辞めさせられただけですよ。正直、俺は青河のその眩しいまでの明るさが気に食わなかったのでリストラされてせいせいしてました。けれど、俺も結果的にリストラに遭って、それを妻や娘に誤魔化すために毎日をスーツ姿で歩く日々を送っているんです。でも、そんな時に前よりも明るい顔をして幸せそうにしているアイツの姿を見たらただ憎らしくなって……」

「危害を加えたくなるくらいにその気持ちが増大している、と。けれど、ここに来たっていう事はそれ以上に辛い気持ちが勝ってるって事になるのか」

「辛い気持ち……?」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えている方が雨によって導かれる場所なんです。だから、貴方もその憎らしくて幸せを奪ってしまいたいという悪意よりも辛い気持ちの方が強かったからここに来られたという事になります。その逆であれば来られないようですし」


 善雄はそれを聞いて胡散臭そうにしていたが、少し期待するような目をしながら雨月に話しかけた。


「それじゃあ俺の事も救ってくれるって事ですか? あの青河みたいに」

「私達は直接的に救うわけではありませんよ。あくまでも私達はお客様のお話を聞いてそれに対しての意見を述べたりお客様に適した縁を結ぶお手伝いをするだけです。つまり、救われるかどうかはお客様次第という事になります」

「救われるかは俺次第……」

「はい。とりあえず気持ちを落ち着けるために何か召し上がりませんか?」

「……そうですね」


 善雄はメニューをパラパラ捲ると、あるページでその手を止めた。


「さんしょくだいふくけーき?」

「はい。元からメニューに載っているさんしょくだいふくをデコレーションしてケーキみたいにした物です」

「そちらになさいますか?」

「あ、はい……それとりょくちゃでお願いします」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。そして人並外れたスピードとコンビネーションを披露しながら作業をしていくと、その光景に善雄は目を丸くした。


「な、なんだこのスピードは……!?」

「これが夕雨さんと雨月さんの絆の力、らしい」

「お互いの考えがわかるからでもあるそうですが、お互いに信頼し合っているからこそ出来る事だそうです」

「お互いに信頼し合っているから……」

「まあアンタがあの龍夜って人を嫌うのは別に構わないと思う。けど、あの人はあの人なりの幸せをようやく手に入れたんだ。それを奪う権利は誰にもない。手放す権利は本人達にしかないけどな」

「そ、それは……」


 善雄が軽く俯く中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして十数分後、善雄の目の前には手のひらに載る程の様々なデコレーションをされた大福が載せられた皿と湯呑み茶碗に注がれた緑茶が置かれた。


「さんしょくだいふくけーき、そしてりょくちゃ。お待たせ致しました」

「これがさんしょくだいふくけーき……なんか想像していたよりもカラフルな感じで可愛らしい感じなんですね」

「女の子ウケは良さそうですよね。SNSとかに上げたくなるような感じですし」

「ふふ、そうですね。では、ごゆっくりどうぞ」

「はい。それじゃあ……いただきます」


 善雄は手を合わせながら言うと、添えられたフォークを手に取り、ショートケーキ風にデコレーションされた物を一口サイズに切り取ってそのまま口に運んだ。


「……美味い。しっかりと甘いけれどくどさがあるような感じじゃなく程よく甘いから食べていて気持ち悪くなるような気がしない……」

「その白いのがショートケーキ風、緑色なのが抹茶ケーキのイメージ、そして茶色なのがチョコレートケーキ風ですね。因みに上にトッピングをしてあるのは彩りのためです」

「そしてその白いだいふくけーきにはバニラエッセンスが使われているのですが、それは青河さん達のお家で食べられていたくりすますけーきから発想を頂きました」

「それじゃあ俺は間接的にアイツの思い出の一つを味わっている事になるのか……」


 善雄はフォークを静かに置くと、目から涙をポロポロと溢し始めた。


「……俺だってわかってるんですよ。本当はアイツの今の幸せを祝福してやるべきで自分の現実から逃げてる場合じゃないって。けど、少しでも下に見ていたアイツが幸せになって、今度は俺が辛い気持ちを抱えるなんてやっぱり許せなくて……!」

「他人の幸せを祈る事よりも他人の不幸を祈る方が楽ですからね。ですが、大切な事がわかっている阿久井さんならきっとまた幸せを手に入れる事が出来ますよ。なので、まずはご家族に本当の事をお話しして、再出発をしましょう。そうしなければ、先程雨仁さんが仰っていたように自分から幸せを手放す権利を行使してしまう事になりますから」

「はい、はい……!」


 涙ながらに言う善雄の姿に対して夕雨達は何も言わずにただ静かに見つめていた。そして霙が少し弱まる中、『かふぇ・れいん』では泣き終えてスッキリした顔をした善雄がさんしょくだいふくけーきを美味しそうに頬張り、夕雨達は時折話しかけながらその様子を安心したように見ていた。

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