第60話 てぃらみすのえる
霙が空から降り、足元が不安定になっていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内には青河兄妹と大空の姿があった。
「はあ……ここは本当に落ち着くな」
「うん、美味しいものも食べられる上に含蓄のあるお話も聞けるから。それに、お兄ちゃん的には去年のクリスマス近くにここに導かれたからこそ今があるんだもんね」
「そうだな……雨月さん、改めてあの時はすみませんでした。色々切羽詰まっていたとはいえ、強盗未遂を見逃してもらった上に想い出のクリスマスケーキまで作ってもらって……」
「構いませんよ。結果的に龍華さんもお元気になりましたし、龍夜さんも新しいお仕事も見つかって大空さんという大切な人も増えましたから。行動自体は褒められた事ではありませんが、それも妹を想う兄の気持ち故の事ですし、終わりよければすべてよしという言葉もありますしね」
「雨月さんがこういうおおらかな人で本当によかったですよ。龍夜さん、困った時にはちゃんと私達にも相談してくださいね? 去年は頼れる人が少なかったかもしれませんけど、今年からは私や夕雨達もいますから」
大空の言葉に龍夜は頷く。
「もちろんです。龍華にもしっかりと怒られましたし、大切な人や友達が増えた以上、悲しませたり怒らせたりする気はありませんから。そういえば、クリスマスといえばサンタクロースやクリスマスケーキが初めに思い浮かびますけど、たしかクリスマスらしい食べ物って他にもありますよね?」
「そうですね。ターキーとかブッシュ・ド・ノエルも有名ですけど、ここはクリスマスプディングを個人的には推したいです」
「クリスマスプディング……?」
「なんだっけ、それ?」
龍華と大空が揃って首を傾げると、夕雨は笑みを浮かべながら答えた。
「イギリスの伝統的なクリスマスケーキだよ。プラムを使う事が多いから、プラム・プディングって呼ばれる事もあるんだ」
「プラム……ああ、なんかスモモみたいな奴だっけ?」
「そう。というか、プラムは総称でスモモやプルーンがその中の種類みたいな感じだね。クリスマスプディングはさっきも言ったようにクリスマスケーキの一つだからプディングっていう名前がついてても一般的にプリンって呼ばれてるカスタードプリンとは違ってるけど、ドライフルーツを使った濃厚で芳醇な味わいが特徴って言われてるんだ」
「それだけ聞くとだいぶ美味しそうかも。実際はどうなんですか?」
夕雨は苦笑いを浮かべる。
「うーん……正直人を選ぶ感じではあるかもね。食感はドライフルーツが舌に絡む感じって言われてるし、ただ甘い感じの食べ物ってわけではないから」
「そうなんですね」
「それに、迷信ではあるんですが、クリスマスプディングには十三種類の材料が使われていないといけないって言われていて、伝統的な行程もあるので作るの自体が少し手間が要りますし」
「うわ、たしかに結構面倒かも。それじゃあ夕雨もそんなに作った事はないって事?」
「そうだね。まあでも、作る分には構わないよ。いつもみたいにすぐに出すみたいな事は出来ないけど、前もって言ってくれたら作っておけるし」
「うーん、興味はあるしな……龍華、大空さん、二人はどうしたい?」
龍夜の問いかけに龍華と大空は顔を見合わせてから頷いた。
「せっかくだから食べてみたいかな」
「そうだね。ちょっと怖いもの見たさではあるけど……夕雨、来年のクリスマスに頼んでも良いかな?」
「うん、任せて。雨月さんと一緒にしっかり作っちゃうから」
「そうですね。美味しいものが出来るように頑張りましょうね、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人が頷き合っていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、黒い傘を持った一人の少年が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「は、はい……あれ、青河?」
「あ、
「龍華、友達か?」
「うん、同じクラスの男子で十二月田
「そ、そうなのか……まさか青河のお兄さんにも会うなんてな……」
聖士は少し緊張したような面持ちで傘を傘立てに置くと、龍華達と一つ離した席に座った。
「ここ、青河の行きつけなのか?」
「うん。元々はお兄ちゃんの紹介なんだけど、ここに来たって事は十二月田君も何か悩みを抱えてるの?」
「悩み……」
「そう。ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人が雨によって導かれるところなんだ。だから、十二月田君も何か悩みを抱えてるんじゃない?」
「……まあ、ありますね。他の人に話すような事じゃないとは思ってたんですけど、これも何かの縁ですし聞いてもらって良いですか?」
「ええ、構いませんよ」
「それで、その悩みって?」
聖士は表情を暗くしながら口を開いた。
「……俺、ついさっき失恋してきたんだ」
「え、そうなの? 同じクラス?」
「……別のクラス。少し前から話す機会が多くなって、たまに一緒に出掛ける事もあって惹かれていったんだ。それで、さっきまで一緒に出掛けてて、今日こそ告白するんだって意気込んで告白したまでは良いんだけど、ソイツには彼氏がいたどころか他にも良い気にさせてた男子がいた事がわかったんだ……」
「うわ、それは酷いな……」
「ソイツからしたら俺や他の奴らはただの金づるで少し声をかけただけで浮かれてた俺達は本当に滑稽だったみたいだ」
「それで恋に破れて歩いてたらここに着いた、と。夕雨、そんな失恋少年を慰められるような物ってない?」
大空の問いかけに夕雨は微笑みながら答える。
「クリスマスらしいものな上に元気が出るものならあるよ。十二月田君、食欲はある?」
「え……あ、はい。多くは食べられませんけど、何か出してもらえるなら食べられると思います」
「了解。大空達も食べる?」
「うん、お願いしようかな」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、作業を始めた。そしてその姿に聖士が驚いていると、聖士の様子に龍華はクスリと笑った。
「やっぱり驚くよね」
「それは、まあ……」
「夕雨さんと雨月さんはちょっと特別なところがあるけど、お互いに信頼し合ってるからここまでの連携が出来るみたいなんだ。私も付き合ったり結婚したりするならそういう人が良いなぁ……」
「……青河は好きな相手とかいないのか?」
「今のところはまったく。お兄ちゃんがこれまで私の事を支えてくれたり優先したりしてくれた分、今度は私が支えていきたいしね。でも、お兄ちゃんにも大空さんっていう大切な人に恵まれたわけだし、私もそういう人を探してみても良いのかなぁ……」
龍華の言葉に龍夜が一瞬焦ったような顔をし、それに対して大空が龍夜の肩に手を置きながら首を横に振る中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして十数分後、四人の目の前には上からココアパウダーが振られたロールケーキとホカホカ湯気を上げるコーヒーが注がれたカップが置かれた。
「てぃらみすのえる、そしてほっとこーひー。お待たせ致しました」
「てぃらみすのえる?」
「ティラミスとブッシュ・ド・ノエルを組み合わせた物だよ。少し前に何か良いものないかなと思ってインターネットで調べてたら見つけたんだ。それで私なりに変えてみたのがこれだよ」
「へえ……そんなのもあるんだね」
「ふふ……では、どうぞごゆっくり」
「はい。それじゃあ……」
『いただきます』
四人は声を揃えて言うと、添えられたフォークを手に取り、てぃらみすのえるを一口サイズに切り取ると、それを口に運んだ。
「……美味しい! ちょっとほろ苦い感じだけど、しっかりと甘いからコーヒーとも合って本当に美味しいです!」
「ティラミスってちょっと大人の味なイメージあるけど、このくらいの苦さなら小さな子供でも美味しく食べられそうだな」
「なんだかクリスマスシーズンだけじゃなく食べたくなる感じだね。十二月田君はどう?」
「美味しいです。甘いものって普段はあまり食べないんですけど、これならたしかにクリスマスシーズンだけじゃなく食べたくなるかもしれません」
「喜んで頂けて良かったです。さて、十二月田さんのお悩みですが……そういう方もいるのだと受け止めてこの恋についてはしっかりと諦めるのが一番だと思います」
「そうですよね……はあ、なんかこういう事があると女子全員を信じられなくなりそうだな」
聖士が俯いていると、龍華は聖士を見ながらニコリと笑った。
「それじゃあ恋人前提で私で慣れてみる?」
「え?」
「は!? ちょ、龍華!?」
「私と十二月田君は同じクラスだし、改めて女の子に慣れるなら事情を知ってる人の方が良いでしょ?」
「そ、それはそうだけどさ……!」
「十二月田君はどう? このまま女の子を誰も信じられなくなって辛い気持ちになるのは嫌でしょ?」
龍華の言葉に対して聖士は自分をジッと見てくる龍夜をチラリと見てから頷いた。
「……そうだな。お兄さんをスゴく心配させてるようだけど、俺はその提案に乗りたい。このままなんてやっぱり嫌だし、幸せなところを見せつけてアイツやその彼氏をギャフンと言わせてやる……!」
「その意気だよ、十二月田君。という事でお兄ちゃん、心配はいらないからね。一度異性関係で痛い目に遭ってる人なわけだし、変な事はしてこないと思うから」
「それはそうだけど……うぅ、妹がスゴく優しい子に育ったのは良いけど、兄としてはちょっと複雑だ……」
「まあまあ。とりあえず私達も十二月田君と連絡先を交換しておいて、どういう風な事をしたか聞いてみたら良いんじゃないですか? 龍夜さんだって十二月田君の事は気の毒に思ってるわけですし」
「それは……はあ、まあ兄離れも必要なわけだし、遂にこの時が来たって考えるしかないか。けど十二月田君、いざ龍華と付き合うとなっても成人するまではプラトニックな関係で頼むぞ。わかったな?」
「は、はい……!」
凄むような声で言う龍夜の言葉に聖士が緊張したような面持ちで答え、その様子を見た龍華と大空がやれやれといった様子でため息をつく中、夕雨と雨月はクスクスと笑った。そして霙が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では席を隣同士にした龍夜が聖士に対して警戒心を抱きながら話しかけ、龍華と大空がてぃらみすのえるの感想を言い合い、夕雨と雨月は水仕事をしながらその様子を見て微笑んでいた。
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