第55話 まっちゃばーむくーへん
雨が強く降り、冷たい風と共に肌や服を濡らすある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では夕雨と雨月が食器を洗っていた。
「冬なのに最近雨が多いですね。やっぱり暖冬なんでしょうか……」
「そうかもしれませんね。体感的には冷えているように感じても実際は少しは暖かいのかもしれません」
「冬的には寒い方がそれらしいですけどね。そういえば、オーストラリアなんかは6月から8月が冬でそれでも暑いみたいですけど、日本でも冬が暖かいところってどこなんですかね?」
「一般的には沖縄で、他にも九州や関西の一部が年間平均気温が高いようですが、静岡も年間平均気温が16.9℃と比較的高いようですよ」
「静岡……熱海や浜松が有名ですけど、他には何が有名でしたっけ?」
夕雨が食器洗いの手を止めずに聞くと、雨月も食器洗いの手を止めずに答えた。
「天女の伝承が伝わる羽衣の松がある
「たしかに色々ありますね」
「他にも静岡は海道一の弓取りとしても知られている今川義元や江戸時代にタイへと渡って日本人町の頭領になった山田長政などの偉人もいましたし、チューリップなどが多く咲くはままつフラワーパークや熱海温泉などの観光名所もありますから冬に行ってみても良いのかもしれませんね」
「旅行かぁ……初めてノエルちゃんが来た日にスイスに行ってみようかって話した事がありましたけど、静岡も良いですね……」
「ふふ、中々旅行に行く機会はありませんが、時間を見つけて行ってみたいものですね」
「はい。ふふっ、楽しみだなぁ」
夕雨が楽しみそうに言い、その姿を見た雨月が微笑ましそうに見ていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、オレンジ色の傘を持った黒髪の少女が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「は、はい……! こんなおしゃれなカフェに入った事がないからすごく緊張する……!」
「ふふっ、そんなに緊張しなくても良いよ。まあ気持ちはわかるけどね」
「初めてであれば仕方ありませんからね」
夕雨と雨月が頷き合う中、少女は傘を傘立てに置いてからカウンター席に座った。すると、表情を暗くしながら大きくため息をついた。
「はあー……一体どうしたら良いんだろ……」
「何かお悩みですか?」
「あ、はい……」
「よかったら話してみない? ここに来られたって事はそれだけの辛さを感じてるって事だから」
「というと?」
「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方々が雨によって導かれてくる場所なのです」
雨月が説明をすると、少女はキョトンとしたが、やがて再びため息をついた。
「……それじゃあお言葉に甘えさせてもらいます。私の名前は岡野静香、今年の春に静岡から引っ越してきた高校一年生です」
「静岡からなんだ。さっき静岡の話をしてたばっかりなんだよ」
「ほ、本当ですか!? 静岡は本当に良いところなので是非一度来てみて下さい!」
「はい、時間を見つけて訪れさせて頂きますね」
「もしかして悩みってホームシックとか? 前に沖縄出身のお客さんが来た時はそうだったんだけど……」
静香は首を横に振った。
「ホームシックにはなってないです。でも、学校では友達がいないのでちょっと寂しくて……」
「春からずっといないの?」
「はい……クラスメートは話しかけてくれるんですけど、友達っていう程仲良しではなくて……」
「なるほど……それはたしかに寂しいですね」
「はい……」
静香は三度ため息をつくと、メニューをパラパラ捲り始めた。そしてその手はとあるページで止まった。
「まっちゃばーむくーへん……私、大好物なんです!」
「ふふっ、そうなんだ。それにする?」
「は、はい! それと……あ、しずおかちゃもある! あ、あの……このしずおかちゃって因みに……」
「まだまだ淹れ方は甘いですが、本山茶に川根茶、掛川茶に天竜茶、両河内茶もあるのでご自由に選んで頂けますよ」
「わぁ……! じゃ、じゃあ……せっかくなので川根茶にします!」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。すると、その光景を見た静香は目を輝かせ始めた。
「す、すごい……! こんなに速く動ける人達、テレビでも観た事ないです……!」
「ふふ、楽しんで頂けているようでよかったです」
「それなら今度は味を楽しんでもらいましょうか」
「そうですね。では、そろそろ仕上げといきましょうか」
「はい」
夕雨が頷く中、二人は作業を続けた。そして十数分後、静香の目の前には緑色のバームクーヘンが載せられた皿と黄金色の水色をしたお茶が注がれた白い茶碗が置かれた。
「まっちゃばーむくーへん、そしてかわねちゃ。お待たせ致しました」
「わあ……美味しそう……!」
「さあ、どうぞごゆっくり」
「はい! それじゃあ……いただきます!」
静香は手を合わせながら言うと、添えられたフォークを手に持ち、まっちゃばーむくーへんを一口サイズに切り取ってそのまま口に運んだ。
「……美味しい! 噛んだ瞬間に抹茶の風味が口の中にふわりと広がるし、川根茶の爽やかな香りと優しい味わいも合っていて……はあ、幸せ……」
「それならよかった。でも、どうしてそんなに友達ができないの?」
「あ、それは……初日の挨拶で緊張したせいです。その時に噛んじゃって、家族以外と話す度にそれを思い出してうまく話せなくなっちゃって……」
「でも、私達とは大丈夫みたいだね。それならまずはここで話す練習をすれば良いんじゃないかな?」
「ここで……ですか?」
静香が周囲を見回すと、雨月はクスクス笑ってから口を開いた。
「そうですね。ここには老若男女様々な方々が来て下さいます。なので、他人との会話の練習や友達作りをするにはちょうど良いと思いますよ」
「静香ちゃんも学校で友達が欲しいでしょ?」
「……はい。せっかく話しかけてくれてるのにこのままというのはやっぱり良くないですし、私も変わりたいです。だから、ここでいっぱい色々な人と話して、学校でも友達を作ります!」
「うん、その意気だよ」
「頑張っていきましょうね、岡野さん」
「はい!」
静香は笑みを浮かべながら大きく頷いた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』の店内では静香が静岡についての話をし、それを聞きながら夕雨と雨月は笑みを浮かべていた。
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