第54話 しおこんぶちゃ

 激しい雨が降り続けるある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では天雨あまう創地そうちが湯呑み茶碗片手に雨の様子を静かに眺めていた。


「大雨だな。雨が降りそうだから抜き打ちで様子を見に来たが……これは客足も遠退きそうだ」

「そうですね。ですが、それもまた仕方ない事だと私達は思います。自然というのは一個人の勝手にしてはいけないものですから」

「ですね。天雨さん、お客さんもそうですけど、この雨じゃ流石に帰るのが大変ですし、今日はウチでゆっくりしていって下さいね」

「せっかくだからそうさせてもらうとするか。さて、先日お前達から受けた相談の件だが、ワシもお前達の言う通りだと思っている。元祭神とその祭神と一体化した半神ならば永きに渡ってこのカフェを続けられると思うが、それはお前達に何もなければの話だ。人生というのは何があるかわからないからな」

「実際、ただの人間だった私が祭神の雨月さんと出会いましたしね。でも、そうなるとやっぱりここを継いでくれる人を見つけないといけないんですよね……」


 夕雨が寂しげに言い、雨月も少し表情を曇らせながら俯く中、創地は湯呑み茶碗に注がれた緑茶を一口啜った。


「……それに関してはゆっくり探すと良い。話を聞いてからワシも一応探してはいるしな」

「中々条件は厳しいですけどね。さてと、いつまでも暗くなってても良くないですし、他の話もしましょうか」

「そうですね。では、年末に向けてという事で大掃除についてお話をしましょうか」

「大掃除……年末になると一般的にはやるものだが、これはたしか正月に年神を迎え入れるためのものだったな」


 創地の言葉に雨月は頷く。


「その通りです。その起源は平安時代にあり、その当時は12月に一年間の煤を払って神を迎える煤払いという宮中行事が行われていました」

「その頃は大掃除という名前じゃなく、煤払いだったんですね」

「そうですね。そして鎌倉時代以降、その風習は寺社仏閣にも広がっていき、江戸時代に12月13日を煤納めの日と定めた後、江戸城の大掃除が行われた事がきっかけとなって一般庶民にも大掃除の風習が広まり、今に至るようです」

「昔は大掃除はしてなかったんだ……」

「そのようです。なので習わし上、大掃除は12月13日に行うのが正しいとされていて、現代でも12月13日に煤払いは神社仏閣で行われているそうですよ」

「12月13日に大掃除と考えると少し早いように感じるが、ギリギリになるよりはずっと良いか」

「避けるべき日というのもありますしね。12月29日は二重の苦を連想させ縁起が悪いからですし、12月31日の大晦日は葬儀と同じ一夜飾りという形になる事で縁起が悪い上に年神様に失礼に当たるからです。そして1月1日の元日は家に来てくれた年神様に掃き出して福を逃す事から大掃除は避けるべきだと言われています」

「年神様といえば、今年もいらしてましたね。年神様と天雨さんが一緒にいる光景、見てみたいなぁ……」


 それを聞くと創地は大きな声で笑い始めた。


「はっはっは! ワシも会ってみたいが、中々予定の都合がつかんからな!」

「年神様がいらっしゃるのは元日で、天雨さんもその時は忙しいですもんね。でも、きっと気は合うと思いますよ。年神様も豪快に笑う方ですし、天雨さんのお話を聞いて一度会ってみたいと仰ってましたから」

「そうで……おや?」

「雨月さん?」

「……どうやらそれはすぐに叶いそうですよ」

「え?」


 夕雨が不思議そうに言うと、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、紅白の傘を持った年神が中へと入ってきた。


「よう、お前達」

「と、年神様……!?」

「やはり年神様の気配でしたか。年明けにはまだ早いですが、今回はどのようなご用件ですか?」

「なに、雨月が遂に力を取り戻したと雨を司る神達から聞いたのでな、どんな物かと思って様子を見に来たのだ。ところで、この人間は……」

「年神様がお会いしたいと仰っていた天雨さんですよ。抜き打ちで様子を見にいらしたんです」

「ほう、お前がここの店主だったという人間か。夕雨や雨月よりも見事な品を作ると聞いているぞ?」


 それを聞き、創地はニヤリと笑った。


「当然だな。ワシは夕雨と雨月にカフェの経営だけでなく様々な事を教えてきたからな。言うなれば、ワシはこの二人の師だ」

「私にとっては本当にそうですし、夕雨さんも以前よりもお菓子作りや料理の腕が上がったと仰っていましたからね」

「悔しいですけど、天雨さんの味だけは本当に超えられませんからね」

「ほう、そこまで言うか。ならば、その腕を見せてもらおうか」

「良いだろう。二人とも、食材の備蓄は十分だろうな?」


 創地の問いかけに夕雨と雨月は頷く。


「はい、もちろんです」

「いつ天雨さんが来ても良いようにしてますからね」

「わかった。では、始めるとしようか」


 そう言うと、創地は緑茶を一息で飲み干し、夕雨と雨月がカウンター席に座ったのを確認してからカウンターの中へと入り、一人で作業を始めた。


「さて、年神様相手に何をお出しするのでしょうね」

「こういう時の天雨さんは何を作るか言ってくれませんからね。それにしても、年神様の話をしていたら本当にいらっしゃった辺り、噂をすれば影がさすっていう言葉は意外と本当なのかも……」

「はっはっは! それ故に油断はするなということだ。それにしても、お前達の師というだけあって、あの天雨という人間の動きは堂にいっているな。速度こそお前達よりも圧倒的に遅いが、所作の一つ一つが丁寧でそれすらも楽しめる程だ」

「そういったところも以前のカフェの魅力だったようですからね。常連だった町内会長さんからもそれは伺いましたよ」

「そうか。さて、その所作から何が出てくるのだろうな」


 年神の言葉に夕雨と雨月が頷く中、創地は作業を続けた。そして数十分後、三人の目の前には淡い色の栗きんとんが載せられた皿と底に細長いものが沈んだ飲み物が注がれた湯呑み茶碗が置かれた。


「栗きんとん、そして塩昆布茶だ」

「栗きんとんはまだ普通に聞いた事はありますけど、塩昆布茶は聞いた事ないですね」

「そうだろうな。塩昆布といえば、米飯と一緒に食べるイメージがあるだろうからな。だが、昆布の味はしっかりと出ているだろうし、飲み慣れてくるとこの塩気が癖になるんだ」

「なるほど。では、早速頂いてみましょうか」

「はい。それじゃあ……」

『いただきます』


 三人は声を揃えて言うと、塩昆布茶が注がれた湯呑み茶碗を手に取り、静かに一口啜った。


「……美味しい! これ、本当に美味しいですよ!」

「そうですね。昆布の出汁もしっかりと出ている上に仄かに塩気もあって、とても優しいお味です」

「ほう……この栗きんとん、少し甘さが強い気はするが、これはこの塩昆布茶と合わせるためか」

「そうだ。年神というめでたい存在が来ているならおせち料理に使うものを選ぼうと思ったが、ただそれだけだとつまらないからな。だから、ただの昆布茶ではなく塩昆布茶にしたんだ」

「はっはっは! なるほどな。これは夕雨達の師というだけの事はある。来年はお前のところにも何か食べさせてもらいに行くとするか」

「ああ、ウチの施設の連中や入居者達も驚きはするだろうがしっかりと喜ぶだろうさ。ところで二人とも、年神にはあの件は話したのか?」


 それを聞いた年神は湯呑み茶碗を片手に面白そうだというように笑みを浮かべた。


「なんだお前達にも何か悩みがあるのか?」

「悩みというか……このお店の今後の事を考えて誰か住み込みで働いてくれる人を探したいなと思ってるんです。私達も長い間働く事は出来ますけど、いつか私達が何かしらの理由で働けなくなった時にその代わりをしてくれる人がいれば助かるなと思ってるので」

「そういう事か……ならば、俺の方でも探しておこう。もっとも、俺の方は神くらいしか見つけられないだろうがな」

「それでももちろん構いませんよ。年神様、よろしくお願いします」

「ああ、お願いされた」


 年神がニヤッと笑った後、夕雨と雨月は心強さを感じながら年神と創地に視線を向けた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』の店内では年神のリクエストに応じて創地が次々と作り続け、その光景を夕雨と雨月がニコニコ笑いながら見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る