第52話 みるくぷりん
雨がザアザア降り、地面を覆っていた雪が少しずつ溶けながら足元をぐちゃぐちゃにしていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では
「はあ、温まる……こんな日にはやっぱり温かいものですよね……」
「寒い中帰ってきた時には飲みたくなりますからね。最近はどうですか? 幼稚園の子達は」
「もう雪で遊びたがって大変ですよ。楽しそうに遊んでる姿は癒されますけど、風邪を引かせてはまずいので防寒には気を遣ってますし」
「子供の頃って雪は冷たいけど色々な遊び方が出来る夢のような物なところがありますからね。かまくらや雪だるまを作っても良いし、雪合戦をして白熱した戦いも出来るしで子供達は本当に楽しくて仕方ないんだと思いますよ」
「その気持ちはわかりますけどね。そういえば、かまくらの中って暖かいですけど、あれって何ででしたっけ?」
育菜が首を傾げていると、雨月はクスクス笑った。
「積もった雪自体に断熱の効果があるからだそうですよ。雪は積もる際に空気を挟むのですが、その空気には熱が伝わりにくくなる効果があり、外の冷気が中に伝わりにくいのだそうです」
「あ、なるほど」
「かまくらというのは、元々は秋田県で小正月に水神を祭る行事の事で、かまくらの中の正面に祭られた水神に五穀豊穣などを祈りながら中で甘酒を飲んだりお持ちを焼いて食べたりするようで、横手市では夜にずらりとかまくらが並び、中から明かりが漏れる光景は実に見事なのだそうです」
「たしかに絵になりそうですもんね」
「そして、かまくらには正式な作り方があるそうで、まずは地面に直径3.5mの円を描いて、その円の中にしっかりと踏み固めた雪を積み上げていきます。それが高さ3mになったら、その中をくりぬいていくようです。因みに、皆さんにとってイメージのある雪をレンガのような形にして積み上げていく方法もあるそうです」
「たしかにそのイメージが強いかも。結構勉強になっちゃったし、今度園児のみんなからかまくらについて質問されたらさっき聞いたのを話しちゃおうかな」
育菜がクスリと笑うと、夕雨は口元に手を当てながら笑った。
「良いと思いますよ。物知りな育菜先生として子供達からはスゴいと思われると思いますし」
「そうですね。因みに、かまくらと呼ぶのにはは幾つか理由があり、かまどの形に似ているからや神がいる
「本当に色々あるんですね……」
「なので、ただ伝えるよりもこれらの情報を元にした紙芝居を作って、園児の皆さんに読み聞かせるという形の方がより伝わると思います。ただ知識を伝えようとしても子供達が興味を持つかはわかりませんが、紙芝居という形ならば抑揚などでより興味を惹かれると思うので」
「なるほど……すぐには難しいですけど、お父さん達とも相談してみますね。子供達には色々な事に興味を持ってほしいですし、その学びがあの子達の今後のためになってほしいですから」
「はい、頑張って下さいね」
雨月の言葉に育菜が笑みを浮かべながら頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、茶色の傘を持った若い男性が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「あ、はい……」
「だいぶ暗い表情をしてますけど大丈夫ですか?」
「はい……体調は問題ないんですけど、気持ちの面が少し辛くて……」
「なるほど。だから、ここに導かれたんですね」
「というと?」
男性が不思議そうな表情を浮かべると、雨月は微笑みながら代わりに答えた。
「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方々が雨によって導かれてくる場所なのです。よければ、その悩みをお話ししていきませんか?」
「……そうですね。誰かに話せば少しは軽くなるかもしれませんから」
男性は小さくため息をついてから傘を傘立てに置くと、育菜の隣のカウンター席に座った。
「俺は
「でした、という事は辞められたのですか?」
「正確には辞めさせられたというのが正しいです。事の発端は園児の一人のお母さんから声をかけられた事で、その人は既婚者でありながら俺と付き合いたいと言ってきたんです」
「うわぁ、本当にそういうのってあるんだ」
「当然、俺は断りましたよ。そんなの不誠実ですし、それが明るみに出たらその家の子にとっても良くない影響が出ますから。けど、その人は断られたのが本当に気にくわなかったみたいで、前から関係を持っていた園長と共謀して俺の根も葉もない噂を園内に流して他の保育士からの信頼を失わせた後に園児達に悪影響を及ぼすから辞めてくれと言ってきたんです」
「酷いですね……」
育菜が哀しそうな顔をする中、走助は静かに頷く。
「反論したくても味方がいない状態では何を言ってもしょうがないと思って辞める事にしたんですが、やっぱりそういう目に遭った事がだいぶ心を傷つけていたのかここ数日はあまり食欲もない状態でした。でも……ここの雰囲気や香ってくる匂いのお陰で少しは気持ちも落ち着いて食欲も出てきたような気がします」
「それはよかったです。それじゃあ何か食べてみますか?」
「そうですね。えーと……」
走助はメニューをパラパラ捲った。そして、あるページでその手を止めた。
「……このみるくぷりんをお願いします」
「畏まりました。お飲み物はいかがいたしますか?」
「それじゃあ……このほっとみるくをお願いします」
「どっちもミルク系ですけど、お好きなんですか?」
「はい。昔から牛乳が好きで、その内に牛乳を使ったものなら何でも好きになったんです。そのせいか背だけは結構高くなったんですけどね」
「そうでしたか。秋保さんはいかがいたしますか?」
育菜は微笑みながら頷いた。
「はい、私もお願いします。私もお話を聞きながらミルクティーを飲み干しちゃったので」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと作業を始めた。そしてそのスピードとコンビネーションに走助は口をぽっかりと開け、その姿に育菜はクスクス笑った。
「やっぱり最初はビックリしますよね。私もそうでしたから」
「そう……なんですか?」
「はい。でも、慣れてくると本当にスゴいという気持ちでいっぱいになりますし、こんな風になれる人がいたらなぁと思います」
「……そうですね」
走助と育菜が揃って見つめる中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして十数分後、二人の目の前には純白のミルクプリンが載せられた皿とホットミルクが注がれたマグカップが置かれた。
「みるくぷりん、そしてほっとみるく。お待たせ致しました」
「わあ……雪のように真っ白。それに、ミントも載ってて色合いも綺麗……」
「ミントの爽やかさも好きなのでこれは結構理想に近いかもしれないです」
「それは良かったです。では、どうぞごゆっくり」
「はい、それじゃあ……」
「「いただきます」」
走助と育菜は声を揃えて言うと、添えられたスプーンを手に取り、一口分掬ってそのまま口へと運んだ。
「……美味しい! これ、たぶん砂糖控えめですよね?」
「はい。牛乳そのものの甘さとクリーミーさを味わってもらおうと思って、砂糖は控えめにしてますけど、バニラエッセンスは少し使ってますね」
「あ、だからミントの他にも香りがするんですね。ふう……このほっとみるくも優しい味で本当に落ち着くな……」
「牛乳に含まれるカルシウムは交感神経を抑え、副交感神経を優位にさせる働きがありますから、夜眠る前にも効果的ですよ。さて、網師本さんのお悩みですが……これは秋保さんの方が解決出来るかもしれませんね」
「え?」
走助が驚く中、育菜はハッとすると、頷いてから走助に視線を向けた。
「網師本さん、ウチの幼稚園に来てもらえませんか?」
「ウチのって……もしかして幼稚園の先生なんですか?」
「はい。家族経営の小さな幼稚園で父と母が園長と副園長をしながら保育士も兼任してるんです。それで、夕雨さんと雨月さんにはお店がお休みの晴れや曇りの日に時々おやつを作りに来てもらっているんです」
「なるほど……こんなに美味しい物をおやつで食べられるなんてその幼稚園の園児達は本当に恵まれてますね」
「ただ、最近園児の数も増えて私達だけでは少し手が足りなくなってきたんです。それも夕雨さん達に相談しようかと思っていたんですが、他所で保育士をしていた経験のある網師本さんなら即戦力で活躍してくれると思うんです」
育菜は両手を握りながら言ったが、走助は気乗りしない様子で俯いた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど……さっきも話した通り、俺は前の職場で根も葉もない噂を広められてますし、また同じような職に就いてもそれを嗅ぎ付けられたら秋保さんやここの皆さんにも迷惑がかかりますよ……」
「その心配はありませんよ。網師本さんが良い人なのはお話を聞いててわかりましたし、お父さん達もきっとわかってくれるはずですから」
「私達も大丈夫ですよ。ここは悪意を持った存在には決して見つけられないようになっていますし、ここに来て下さる皆さんも力になってくれると思いますよ」
「だから、もう一度頑張ってみませんか。男の人が増えてくれたら力仕事も楽になりますし」
「……わかりました。俺だってこのままじゃいられませんし、お世話になろうと思います。秋保さん、少し気は早いですけど、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
育菜が嬉しそうに言い、走助が安心したように笑みを浮かべる中で夕雨と雨月はニコニコ笑いながらその姿を見ていた。そして雨が少しずつ弱まっていく中、『かふぇ・れいん』の店内では育菜と走助が仕事についての話に花を咲かせ、夕雨と雨月は時折話に混ざりながら幸せそうに話す育菜達の姿を静かに見守っていた。
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