第49話 ここあほっとけーき
空から霙が降り注ぎ、街中が白く染まっていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では
「外は霙で大変だけど、ここなら安心出来るな。ただ、足元はだいぶ危ないだろうし、帰る時は気を付けようか、玉音さん」
「そうだね、涼也さん。滑って転んでからじゃ遅いしね」
「ふふ、二人とももうすっかり恋人同士って感じだね。あの花火大会の後から二人とも意識し始めたんだよね?」
「はい。花火大会をきっかけに度々会うようになって、その内に好きになったんです」
「俺は一度女性関係で酷い目には遭いましたけど、玉音さんも周囲の異性からの視線に悩まされていたようですし、二人とも異性関連で嫌な目に遭った同士って事で意気投合したんです。もちろん、出会いのきっかけはここですけど」
「花火大会の時もここに来た話で盛り上がったと仰っていましたからね。本当にありがたい事です。たしか今は同棲されているのでしたね」
雨月の言葉に涼矢が頷く。
「はい。付き合い始めてすぐにお互いの価値観の擦り合わせもしたいと思って二人で住めそうなアパートを探しました。そしたら、近所に住んでいた兄妹もここの常連だと聞いて本当に驚きましたよ」
「ああ、龍夜さんと龍華ちゃんの事ですね。龍夜さんも私の友達の大空と付き合い始めたらしくて、大空からはよく龍夜さんと龍華ちゃんと一緒に出掛けた話をされますよ」
「龍華さんも大空さんの事は気に入っているようですからね。この分だとアポロンさんのような事はしなそうですね」
「アポロンってたしかギリシア神話の男神様でしたっけ?」
「はい。アポロンさんはゼウスさんとレトさんの子供で双子の妹にはアルテミスさんがいます。そしてアルテミスさんは体が大きく力持ちなオリオンさんと恋に落ちますが、兄のアポロンさんはそれを認めず、海から出ていたオリオンさんの頭を黄金の岩だと偽って、アルテミスさんにそれを射抜かせてしまうのです」
「そんな事を……」
玉音が哀しそうな顔をする中、雨月は微笑みながら頷く。
「その後、それを知って悲しんだアルテミスさんはお父様であるゼウスさんに頼んでオリオンさんを空へと上げてもらい、オリオン座がうまれたそうです。もちろん、龍夜さんと大空さんの恋を龍華さんは応援していますし、騙して二人を引き裂こうなどという考えはしないでしょうから二人はオリオンさんとアルテミスさんのような悲恋にはならないでしょうね」
「神話の世界でもそういう事があるんですね」
「そうですね。恋というのは幸せを感じる要因にも何かを頑張るための活力にもなりますが、盲目的になってしまうと途端に人生において良くないものとして捉えられてしまう事にもなり得ます。お二人も恋の幸せを噛み締めながらも日常生活はしっかりと行うようにして下さいね?」
雨月の言葉を聞いて玉音達が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアがゆっくりと開き、赤い傘を持った学生服姿の黒い短髪の少年が中へと入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「は、はい……なんだかスゴくお洒落なところに入っちゃったな」
「ふふっ、そんなに緊張する必要はないよ」
「そうそう。もっと気楽で良いと思うし、ここに来られたって事は君もそうなんだろうからさ」
「そう……というのは?」
「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方が雨によって導かれてくる場所なのです。貴方も何かそういった物を抱えていませんか?」
少年は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに静かに頷くと、傘を傘立てに置いてからカウンター席へ座った。
「……俺は
「ほう、それは喜ばしい事ですね」
「俺も最初はそう思いました。けど、二人ともそれからというもの勉強が全く手につかなくなってて、勉強会をすると言ってもすぐにイチャついて結局それで終わるなんて事がしょっちゅうなんです」
「すっかり恋の熱に浮かされてるね」
「俺は二人の恋は応援してます。でも、それが二人にとっての障害になるなら星菜の兄としても織斗の親友としても二人を引き裂かないといけないと思うんです。ただ、やっぱりそれが辛くて……」
「結果、ここに導かれた、というわけだね」
「はい……」
星治は暗い表情で答えた後、メニューをパラパラと捲り始めた。そしてあるページでその手を止めると、そこに書かれていた名前をジッと見つめた。
「ここあほっとけーき……」
「はい。ぱんけーきもありますが、そちらに目を惹かれたのには何か理由があるのですか?」
「はい……ホットケーキは俺達三人で昔からよく食べてたもので、特にココア味の奴は星菜が好きなので俺と織斗で焼いてやった事もあるんです」
「本当に思い出の味って感じだね」
「はい。あの、これとほっとこーひーをお願いしても良いですか?」
「畏まりました。鍵主さん達はどうなさいますか?」
雨月の問いかけに玉音と涼矢は微笑みながら頷く。
「私達もお願いします」
「話を聞いていたら食べたくなりましたから」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、そのまま作業に取り掛かり始めた。そしてその見事なコンビネーションと速度を目にすると、星治は驚いた様子を見せた。
「スゴい……こんなに速く動ける人達っているんだな」
「二人はちょっと特別みたいだけどね」
「けど、二人はお互いに信頼し合っているからこそここまでのスピードを出せるって前に言ってたよ」
「それでもここまでのスピードを出せるのは本当にスゴい。星菜達もそうなってほしいけど……」
星治が顔を曇らせる中、夕雨達はその速度のままで作業を続けた。そして十数分後、三人の目の前には出来立てのココアホットケーキが載せられた皿とバターやシロップが入れられた容器、そしてホカホカと湯気を上げるコーヒーが注がれたカップが置かれた。
「ここあほっとけーき、そしてほっとこーひー。お待たせ致しました」
「わあ……見るからにふかふかな感じで美味しそう!」
「シロップやバターは好きなタイミングでつけられるように別にしてあるからそこはお好みでね」
「わかりました。それじゃあ……」
『いただきます』
三人は声を揃えて言うと、添えられたフォークを手に取り、切り取ったここあほっとけーきを三者三様の食べ方で口に運んだ。
「……お、美味しい! 少し香ばしい中にもしっかりとした甘さがあって、しかも軽いからすごく食べやすい!」
「シロップをかけても甘くなりすぎないようになってるから食べてて心地よいしね。まあこのココア味のほんのりとした苦味もあるから少し甘くしても良い気はするけど」
「バターを溶かしても良いな。久しぶりにホットケーキを食べたけど、なんだかほっとする味だよなぁ……」
「喜んで頂けたようで何よりです。さて、袰屋さんのお悩みですが、やはり引き裂くというのが一番やってはいけない事だと思います」
「やっぱりそうですよね……俺も二人にはずっとお互いを好きでいてほしいですし、二人が幸せそうにしてるのは俺だって見ていたいですから」
星治が俯く中、夕雨は笑みを浮かべた。
「だから、その気持ちをしっかりと伝えてみようよ」
「気持ちを伝える……」
「たぶん、星治君だって何回か話はしたと思う。でも、その時ってただ勉強にもっと力を入れろとか少しイチャつくのを控えろとかそういうのだったんじゃない?」
「それはたしかに……」
「夕雨さんの言う通りだと思う。ただ注意するんじゃなくて、応援はしてるけどそれと同時に心配もしてる事を伝えたらきっと気持ちは伝わるよ」
「俺もそうだったけど、ただ注意するだけじゃなんか素直に言う事を聞きたくなかったしな。だから、試しにやってみても良いと思う」
玉音と涼矢の二人の言葉を聞き、星治は静かに頷いた。
「……そうですね。俺、もう一回二人と話してみます。そして今度は二人も連れてここに来ますね」
「はい、お待ちしています」
「その時はまた三人でホットケーキを食べに来てね」
「はい!」
星治が大きく頷きながら答えると、夕雨達は安心したように微笑んだ。そして霙が降り続ける中、『かふぇ・れいん』の店内では五人の楽しそうな声が響いていた。
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