第48話 みかんぜりー

 強い雨が降り、地面を叩く雨粒が大きな音を立てるある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では安芸あき桜梨さくりと山神愛歌あいかが温かいものを飲みながらのんびりとしていた。


「はあ、染みる……」

「こんなに寒い日はやっぱり温かいものに限りますね……」

「たしかに今日は冷えるからね。ここでゆっくり温まっていってね」

「はい。それにしても、もう12月ですね……一年が本当に早くて目が回りそうです」

「この一年も色々な事がありましたからね。のんびりしていたようで早かったようなそんな一年だったと私も思いますよ」


 雨月が微笑む中、桜梨はうんうんと頷く。


「私達もここと巡り会えましたしね。部署も変わって前の人達とは中々関わらなくなってストレスも溜まらなくなりましたし、ここに来られて本当に良かったです」

「私もご当地アイドルをやる事になったけど、色々宣伝もしてもらえてお仕事を貰えるようにもなったし、悪い事ばかりじゃなかった一年だったかなと思います」

「マネージャーだってついたしね」

「あれ、そうなの?」

「……クラスメートなんですけどね。ただ、私と同じでそういうのはまだまだ新人なので苦労はすごくわかってくれるのでそこは安心してます。その人もどうやら叔父さんに無理やり引き込まれた形みたいなのでそこも親近感が沸きますし」

「そこから恋に発展したり……なんてね?」


 桜梨がクスクス笑うと、愛歌は顔を赤くしながら両手を振った。


「そ、そんな事起きないですよ……! 第一、ご当地アイドルと言えどもアイドルは一般的には恋愛は禁止なんですから!」

「ふふ、たしかにそう聞きますよね。ところで、今日は123と数が続きになっている日ですが、皆さんはひふみと数えた後の数え方はご存じですか?」

「えーと……よいむなやこと、でしたっけ?」

「そうですね。この数え方は和語または大和言葉と呼ばれる数え方で、いつも日常的に使っている数え方は三世紀頃に古代中国から伝わってきた漢語の発音なのだそうです」

「漢語の発音だったんだ……でも、どうして和語だとそういう数え方になるんですか?」


 愛歌の問いかけに雨月は微笑みながら答える。


「ひとつふたつみっつ、と数える数え方の略で、漢語が伝わる前の日本では数字は10または20までしかなかったと考えられており、11以上の数を認識していなかったとか20までの数しか表現できなかったと言われています。

因みに、11の和語での数え方はとおあまりひとつとなり、20になるとはた、30になるとみそと呼ぶようです」

「あ、だから20歳ははたちで30歳はみそぢって言うんですね」

「そういう事です。そしてこのひふみよはひふみ祝詞のりとという祝詞の最初の部分でもあり、これは47文字で構成されていて一つ一つに言霊が宿っていると言われていますよ」

「そういえば、いろは歌も47文字を使って作られたものですよね?」

「そうですね。ひふみ祝詞は朝昼晩の三回唱えると良いと言われていて、心が安定して運気も向上するようです。そればかりに頼らずに毎日の生活習慣をより良くして健康的な日々を過ごしたいですね」


 雨月の言葉に三人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアがゆっくりと開き、透明な傘を持った一人の中年男性が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ、はい……興味を引かれて入ってみたが、こんなにお洒落なカフェだったとは……」

「最初は驚いちゃいますよね。でも、ここは本当に落ち着く場所ですよ」

「そ、そうか……はあ、なんだかそう言われて肩の力が抜けたよ」


 男性は傘を傘立てに置くと、桜梨達とは一つ離した席に静かに座った。


「私は石山直純なおすみ、この近くの医院で医者をしているんだ」

「お医者さん……そういえば、この前歯科医の人と知り合いましたよ。その人も自分でデンタルクリニックを営んでるって言ってました」

「もしかして……四海君かな。少し前に偶然飲み屋で知り合った時からの付き合いで、この前会った時には良い顔をしていたから気になっていたんだけれど、彼もここに来たからそういう顔をしていたのかな」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた方が雨によって導かれてくる場所ですからね。石山さんも何かお悩みがあるのではないですか?」

「……実はあるんだ。医院の経営は問題ないんだが、ちょっと家庭の問題があってね」

「家庭の問題……」


 夕雨の言葉に直純は暗い表情で頷く。


「思春期だからなのかウチの娘が最近冷たくてね……洗濯物を一緒にされたくないとも言うし、加齢臭がキツいから近くに寄らないでと冷たい目で言ってくるんだ」

「う……そこまでじゃないけど、私も少し父さんに冷たくした事があるからちょっと他人事とは言えないかも」

「私は無かったけど、学生時代はそういう子が多かったみたいだね。やっぱりお父さんからすれば辛いですよね」

「思っていたよりもね。覚悟はしてきたが、やはり実際にそうなると中々辛くて……家にいるのも辛くて歩いていたらここに着いていたんだ」

「家にいるのも辛いレベル……普段の娘さんが石山さんに対してどのような態度を取っているかがわかる気がします」

「おおよそ想像通りだと思うよ。はあ、本当にどうしたら良いものか……」


 直純はため息をつくと、メニューをパラパラと見始めた。そしてあるページで手を止めた。


「みかんぜりー……」

「はい。何か思い入れでも?」

「……小さい頃、娘が風邪を引いた時によく食べたがっていてね。それから蜜柑が好物になったんだよ。すまないが、これをもらえるかな? 飲み物は……ほっとこーひーにしようか」

「畏まりました。お二人はどうなさいますか?」

「それじゃあ、私達もお願いします」

「畏まりました。それでは、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、そのまま作業に取り掛かり始めた。そしてみるみる内に準備が整っていくとその光景に直純は目を丸くした。


「こ、これはスゴいな……」

「これが夕雨さん達の絆ですからね」

「ここまでの事は中々出来ないですけど、こういうのってなんだか憧れちゃいますよね」

「ふふ、そう言ってもらえるのってやっぱり嬉しいかも」

「そうですね。では、そろそろ仕上げといきましょうか」

「はい」


 夕雨が返事をした後、二人はそのまま作業を続けた。そして数分後、三人の目の前にはヘタが取られた蜜柑が載ったガラスのカップとコーヒーが注がれたコーヒーカップが置かれた。


「みかんぜりー、そしてほっとこーひー。お待たせ致しました」

「思っていたみかんゼリーじゃないけど……これは中にゼリーが入ってるのかな?」

「うん、正解。因みに皮も砂糖漬けにしたものだから皮も食べられるよ」

「なるほど……」

「皮も栄養があるらしいし、本当に美味しそう。それじゃあ……」

『いただきます』


 三人は声を揃えて言うと、添えられたスプーンを手に取って切り込みが入れられた上部をもう片方の手で取った。すると、中を見た愛歌は目を輝かせた。


「わあ、綺麗……!」

「香り付けにミントも載ってるんだ。味は……うん、しっかりとした甘味の中に酸味もあって、すごく爽やかな感じで本当に美味しい」

「砂糖漬けになった皮も食感がしっかりとしているし、甘すぎないから食べやすいな」

「夕雨さんも色々な工夫を重ねていましたからね。さて、石山さんのお悩みですが、やはり無理に話を聞いてもらうというのは難しいかなと私も思います。そうしてしまうと、もっとキツい言い方をされてしまいますし、関係の悪化にも繋がりますから」

「そうだろうな……」

「ですが、娘さんも石山さんの事を心から嫌っているわけではなく、年頃だからこその行動なのだと思います。なので、適度な距離感を意識しながら話すようにしていけばきっとうまくいく気がします」

「私も同感です。私はそういう歳になってもお父さんに対して酷い事を言ったりしたりしなかったですけど、石山さんの話を聞く限りでは前々から関係が悪かったようには思えませんから」


 雨月と夕雨の言葉を聞くと、直純は安心したように笑った。


「そうか……娘と前のように話すのは難しいのかもしれないが、少し元気が出たよ。よければもう少し相談に乗ってくれないか? 帰りに何かプレゼントも渡してみたいんだ」

「ええ、もちろん」

「私達でよければ喜んで」


 雨月達が答えると、直純は嬉しそうに笑った。そして雨が少し弱くなる中で『かふぇ・れいん』の店内では五人が楽しそうに話す声がしばらく響いていた。

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