第46話 ほっとさんど

 空からみぞれが降り、足元や道行く人々を静かに濡らしていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では桃井ももい陽菜乃ひなの雨ケ崎あまがさき灰斗はいとが並んでカウンター席に座りながら外の様子を眺めていた。


「外、スゴくビチャビチャだね」

「そうだなぁ……もう少し小さかった頃は雨とはまた違ったものだと思って楽しかったけど、今となっては靴もビショビショになるし、ズボンとかにも跳ねたりするからちょっと困るな」

「でも、降ってくれたからこそこうしてここが開いてたし、雨ケ崎君にも出会えたから私は良かったって思うよ?」

「そこは俺も同感。話す女子も時雨や幼馴染みの音彩といろくらいだから、話しやすい女子が増えて助かるよ」

「そういえば、あれからどうなったの? 間白ちゃん達が背中を押してくれたわけだけど、ちゃんと告白は出来た?」

「はい、なんとか。音彩も同じ気持ちだったようで、無事に付き合う事になりました」


 灰斗が笑みを浮かべながら言うと、陽菜乃は同じように笑みを浮かべた。


「そうなんだね。でも、それなら他の女の子と話してたらその音彩ちゃんは嫉妬するんじゃない?」

「そこはちゃんと二人で話してるから大丈夫。音彩も俺も昔から他の異性とはよく話してるし、それに話すといっても相手は限られてるしな」

「その時雨ちゃんだっけ? まだ会った事はないけど、どんな子なのか気になるなぁ……」

「その内会えるよ。その時はいけすかないやつもついてきそうだけど……」

「ふふ、黒羽君の事はまだあまり好きじゃないみたいだね。大人になってお酒を飲めるようになったら今日みたいな日にはスゴくお世話になると思うよ?」

「今日みたいな日?」


 陽菜乃が首を傾げると、雨月は微笑みながら頷いた。


「はい。本日、11月29日は良い肉の日だと言われているんですよ」

「良い肉の日……なるほど、酒の肴として肉はたしかに良いらしいし、そう考えるとたしかに日本酒の酒造の跡取りのアイツにも世話になるのか」

「ワインなどもお肉とは相性が良いようですが、実は日本酒もお肉とは相性がよく、こってりとしたお肉料理には純米吟醸酒が相性がよくてしゃぶしゃぶと合わせるならば吟醸酒、焼き肉には純米酒などがいいと言われていますよ」

「そうなんですね」

「因みに、日本酒をお肉の下処理に使うとお肉が柔らかくなるし、他のお酒で煮ても美味しくなるんだよ。だから、お酒とお肉は本当に相性がいいと言えるね」

「そういえば、父さんもビールを飲む時にビーフジャーキーを肴にしてたっけ……」

「まあ二人がお酒を飲めるようになるのはもう少し後だけど、その時は黒羽君のお家のお酒も贔屓にしてあげてね」


 夕雨の言葉に二人が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、薄桃色の傘を持った短い茶髪の少年が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ、はい……こんなオシャレなカフェがこんなところにあったんだ……」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人達が雨に導かれて来るところみたいだし、知らなくても無理はないよ」

「今日に関しては霙なんだけどね。君も何か辛い事があって来たの?」

「辛い事……まあ、あると言えばあるかな」


 少年は傘を傘立てに置いてから灰斗の隣に座ると、小さく溜め息をついた。


「……俺は水戸みと良也りょうや。この近くにある精肉店の子供だ」

「精肉店……ああ、水戸精肉店か。ウチの母さんもあそこのお肉は美味しいって褒めてたよ」

「ウチもだよ。でも、それなのに辛い事があるって事はそれが関係してるわけじゃないのかな?」

「いや、俺が辛いと思ってるのは店の事だ。たしかに昔からウチに来てくれてるお客さんはいるからまだ暮らしは成り立ってる。でも、最近近所に大型スーパーが出来たり少し離れたところに業務用のスーパーが出来たりしてそっちに客を取られ気味みたいなんだ」

「あー……たしかにそういうところだともっと色々な商品も取り扱うから便利ではあるもんな」

「少し離れてたとしても車があればすぐに行けるだろうし、そっちを選ぼうとする人がいてもおかしくはないもんね」


 良也は暗い表情で頷いた後、メニューをパラパラと捲った。そしてあるページに来た時、その手は止まった。


「ほっとさんど……」

「はい。記載されている具材から好きなものを選ぶ事が出来ますが、そちらになさいますか?」

「あ……はい。ホットサンドはウチの母ちゃんがおやつによく出してくれるんで他所のホットサンドも気になりますから。具材は……せっかくなので照り焼きチキンとチャーシューで。あと、飲み物はほっとこーひーでお願いします」

「それじゃあ俺もホットサンド頼もうかな。具材は……あんことバターにしてみようかな。飲み物はこうちゃでお願いします」

「私は……ハムとタマゴにしようかな。飲み物はりょくちゃでお願いします」

「ふふ、畏まりました。それでは、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。そしてその見事なコンビネーションとスピードに良也は目を丸くした。


「す、すげぇ……こんな漫画みたいに速く動ける人達なんて初めて見たぞ……」

「これが夕雨さん達の作業風景みたいだ」

「二人は一心同体だからこんなに速く動けるんだよ」

「なるほど……」


 三人が並んで作業風景を眺める事数十分、三人の目の前には各々が注文したほっとさんどが載せられた皿と飲み物が注がれたカップと湯呑み茶碗が置かれた。


「ほっとさんどとほっとこーひー、そしてこうちゃとりょくちゃ。お待たせ致しました」

「美味そう……さっきまであまり食欲なかったのにスゴく食欲が沸いてくる匂いがしてるな……!」

「さて、冷めない内に頂くとするか」

「うん。それじゃあ……」

『いただきます』


 三人は手を合わせながら言うと、熱さに気を付けながらそれぞれのほっとさんどにかぶりついた。


「はふはふ……う、うめぇ……! 使ってる肉も上質なんだろうけど、照り焼きとチャーシューの味もくどさがない感じだからどんどん食べたくなる!」

「あんことバターってやっぱり良い組み合わせだよなぁ。和と洋の組み合わせだけど、不思議とお互いに引き立て合うし」

「ハムとタマゴも美味しいよ。はあ、幸せ……」

「喜んで頂けたようで良かったです。さて、水戸さんのお悩みですが、やはり即座に解決するというのは難しいと思います」

「まあ、そうですよね……」


 俯く良也を見ながら雨月は頷く。


「はい。ですが、そんな中でも買いに来て頂けている方がいらっしゃるのもまた事実です。なので、今はそういった方々を大切にしながら商品であるお肉を使った新たな商品の開発をするという手もあると思います」

「新商品……」

「他にも困ってるお店はあると思うよ。ウチはあまり売り上げは考えない方針な上にこれまで同様に雨、後はちょっと例外的に雪や霙の時しか営業してないけど、パン屋さんとか八百屋さん辺りだったらそういうスーパーが出来て困るのはあると思うから」

「なので、そういった方々とも力を合わせてお店の活性化を図ったりちょっとした催し物を考えてみるのも良いと思います」

「考え方一つ、って事か……たしかにそうですね。ただ悩んだり辛くなったりしてるよりもまずは行動してみたいとですから」

「そうだな。俺達も応援するよ、水戸」

「そういうイベントが出来たら手伝いに行くね、良也君」

「ああ、ありがとな。二人とも」


 良也が嬉しそうに笑う中、夕雨と雨月も嬉しそうに笑った。そして霙が降り続ける中、『かふぇ・れいん』の店内では三人がほっとさんど片手に話す様子を夕雨と雨月が静かに見守っていた。

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