第42話 おらんじぇっと

 肌寒い気温の中で強い雨が降るある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では時雨間白と雨宮黒羽がカウンター席に並んで座りながら外で降る雨の様子を眺めていた。


「今日も雨が強いね……」

「そうだな。気温も少しずつ冬らしくなってきているし、防寒には気を付けないといけないな。間白は大丈夫なのか?」

「うん。この前、お母さんに可愛いダウンを買ってもらったし、それを着る予定だから。夕雨さん達も寒いのは流石に困りますよね?」

「まあね。擬似的な半神になったからか暑さとか寒さには少し強くなったけど、それでも暑いのは暑くて寒いのは寒いからね」

「ですが、そうやって温度から季節を感じられるのはやはり良い事です。ところで、突然ですが秋や冬の魚といえば皆さんは何を思い浮かべますか?」


 雨月からの問いかけに夕雨達は軽く考えてから答えた。


「私は秋といえば秋刀魚で冬は公魚わかさぎですかね。秋の刀の魚と書く程秋は秋刀魚が美味しいですし、公魚は氷に穴を空けてそこで釣りをしているイメージがあるので」

「私は秋は鮭で、冬は鱈かもです。どっちも好きな魚だからっていうのもありますけど」

「僕も秋は秋刀魚で冬は鱈だな。ん……そういえば、鮭は感じにすると十一が二つあるから11月11日は鮭の日だと聞いた事があるな」


 顎に手を当てながら黒羽が言うと、雨月は微笑みながら頷いた。


「その通りです。鮭の日は1987年に新潟県の村上市が、そして1992年に大阪市中央卸売市場の鮭の日委員会がそれぞれ制定した物で、これらとは別に築地市場の北洋物産会も制定しています。

理由としては先ほど雨宮さんが仰ったように鮭という漢字の右側にある“圭”を分解すると十一が二つになる事からですが、制定した目的はアミノ酸やコラーゲン、ビタミン類を含んでいる栄養満点の鮭をPRする事だと言われています。そして記念日としては、鮭の日委員会が制定したものとして一般社団法人の日本記念日委員会によって認定・登録をされました」

「そうなんですね。十一十一だから鮭の日なんてなんだか面白いかも」

「因みに、さけ違いですが、日本酒の日は10月1日だそうです。雨宮さん、他のお酒にも記念日は存在するのですがご存じですか?」

「ふん……僕への挑戦というわけか。ワインの日は1994年に日本ソムリエ協会が毎月20日を、ジャパニーズウイスキーの日はウイスキー文化研究所が4月1日を記念日としていて、本格焼酎の日は11月1日だ。一応知っているのはこのくらいか」

「お見事です、十分ですよ。やはり、他の酒類についても勉強はしているのですね」

「当然だ。日本酒にもワイン樽で作った物もあり、日本酒の酒蔵が作る焼酎もあるからな。雨宮酒造の跡取りとして常に他の酒、そしてそれらに合う肴についても研究はしているんだ。僕自身はまだ飲めないけれどな」

「お酒かぁ……そういえば、お菓子に使うお酒もありますよね? そういうのって飲んでも美味しいんですか?」

「それはね……」


 夕雨が答えようとしたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、灰色の傘を持った黒いスポーツ刈りの少年が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ、はい……って、時雨!?」

「あ、雨ケ崎君。さっきぶりだね」

「クラスメートか?」

「うん、そうだけど……雨ケ崎君もここに来たって事は、何か辛い事があるの?」

「辛い事……?」


 雨ケ崎と呼ばれた少年が傘立てに傘を置きながら不思議そうにしていると、黒羽は頷きながらそれに答えた。


「僕や間白もそうだったが、ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人々が雨によって引き寄せられるカフェだ。だから、お前も何か辛い気持ちを抱えているんだろう?」

「……お前じゃなくて俺には雨ケ崎灰斗っていう名前があるんだ。というか、お前こそ誰なんだよ」

「僕は間白の友人の雨宮黒羽だ。間白から話を聞いてないのか?」

「雨宮……あ、そういえば雨宮酒造の跡取りと友達になったって前に女子同士で話をしてたな。それがお前だったのか」

「そうだ。とりあえず座って話をしてみろ。僕がいても、間白もいるのだから話はしやすいだろ?」

「なんか一々ムカつく奴だな……」


 黒羽の態度に灰斗はムッとしながらも間白の隣に座り、小さくため息をついた。


「……最近、幼馴染みと仲悪いんだよ。たぶんそれがずっと引っ掛かっててその辛い気持ちってのになってるんだと思う」

「幼馴染みというと……ああ、雨谷あまや音彩といろちゃんだね。たしかに最近話してないよね。何かあったの?」

「別に……でも、音彩が近くに寄ってくるとなんだかこう……胸の辺りが変な感じがして、話す時も上手く喋れなくなってそれがムカついてきて……」

「……なんだ。それは恋じゃないか」

「こ、恋……!?」

「うん、私もそう思うよ。そっかぁ……雨ケ崎君と音彩ちゃんがねぇ……」


 間白がしみじみと言い、恋心を自覚した灰斗が顔を赤くする中、黒羽は夕雨達に視線を向けた。


「二人とも、なにか恋の病の特効薬はあるか?」

「そうだね……強いて言えば、チョコレートがそうかな。チョコレートにはちょっとした成分が入っていて、その成分は別名恋の媚薬なんて言われてるんだよ」

「それじゃあそれを三人分、後は合いそうな飲み物も三人分頼む。代金は僕が払う」

「え!? 別に良いって!」

「なら、祝いの品だと思え。だからと言うわけじゃないが、その恋から逃げようとはするなよ? この僕が関わったからには絶対に成就させてやる」

「雨宮……へっ、すかした奴だけど、結構良い奴じゃん」


 灰斗がニッと笑い、黒羽がふんと鼻を鳴らしていると、夕雨と雨月は顔を見合わせながら頷き合った。


「そうと決まれば早速始めましょうか」

「そうですね。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は再び頷き合うと、そのまま作業に取り掛かり始めた。そして人並み外れた速度で作業をしながらも見事なコンビネーションを見せていると、その光景に灰斗は信じられない物を見るような視線を向けた。


「な、なんだこれ……時雨達はいつもこれを見てるのか?」

「うん、そうだよ」

「初めて来た時には本当に驚いたが、今ではここに来る楽しみの一つになっている。これからはお前にとってもそうなるかもしれないけれどな」

「たしかに、慣れてくると純粋に楽しいかも……」


 そんな三人の話を聞きながら夕雨と雨月は作業を続けた。そして十数分後、灰斗達の目の前には砂糖漬けにされたオレンジにチョコレートがかけられた物が幾つも載せられた皿とオレンジの輪切りが浮かべられた飲み物が注がれたカップがそれぞれ置かれた。


「おらんじぇっと、そしておれんじてぃー。お待たせ致しました」

「わあ……これがオランジェットなんだ……! 名前は聞いた事あるけど、初めて見たかも」

「本格的に作るとちょっと時間がかかるけど、工程は大まかに分けるとたった三つで出来ちゃうし、材料もオレンジとグラニュー糖とチョコレートがあれば良いし、後はオーブンさえあればお家でも簡単に作れちゃうよ」

「そのオーブンがない家もあるんだけどな。さて、せっかくの出来立てだから早速頂くか」

「うん! それじゃあ……」

『いただきます』


 三人は手を合わせながら言った後、おらんじぇっとを一枚摘まみ、それを口へと運んだ。


「うーん……! ちょっとほろ苦いけど、チョコレートの甘さとオレンジの爽やかさが合わさってすごく美味しい……!」

「手軽に摘まめるというのも良い点だな。まあ少し手はベタつくが、それを気にしては何も食べられないからな」

「たしかに。それにしても、恋か……今までそういう感じでアイツの事を見てこなかったからなんか不思議な感じだ」

「そうだと思います。ですが、その雨谷さんという方も雨ケ崎さんとの関係の変化に戸惑いと不安を感じていると思うので、まずはしっかりとお話をして、想いを伝えてみてはどうでしょうか」 

「いきなりで驚かれるとは思うけどね。でも、うまく行くように私達も祈ってるからね」

「はい、ありがとうございます」


 灰斗が安心したように笑うと、夕雨達もその姿に満足そうな顔をした。そして雨が降り続ける中で『かふぇ・れいん』の店内では間白達がおらんじぇっととおれんじてぃーを味わいながら学校の事や恋愛についての話をし、夕雨と雨月はその様子を微笑ましそうに見ていた。

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