第41話 きゃらめるふろらんたん

 雨が細かく降るある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では嵐城あらきなぎ円林えんりん蒼空そあが並んでカウンター席に座りながらそれぞれの甘味に舌鼓を打っていた。


「やっぱり仕事帰りに食う甘いもんは格別だな。仕事での疲れがすっ飛ぶってもんだ」

「たしかにそうですね。小さい頃は男が甘いものばかり食べてるなんてちょっと変な風に見られがちでしたが、今はスイーツ男子という言葉もありますから肩身の狭さを感じる事はまず無くなりましたね」

「食い物くらい好きに食わせてほしいもんだけどな。けど、甘いもんばかり食ってると色々な病気のリスクも出てくるし、何よりうっかり歯を磨き忘れて虫歯になる可能性だって出てくる。それはやっぱり夕雨達だって怖いもんだろ?」

「それはそうですよ。虫歯になったら食べたいものだって満足に食べられなくなりますし、いつまでも健康な良い歯でいたいです」

「あはは、たしかにそうだね。そういえば、いい歯の日というのが11月にあるけれど、やっぱりそれは歯科医師などが制定した物なんですか?」


 蒼空の問いかけに雨月は頷きながら答える。


「どうやらそのようです。いい歯の日と言われているのは11月8日で、これは皆さんも察しがつくと思いますが語呂合わせによるものです。1993年に歯科医師会によって制定されたいい歯の日ですが、PR重点日として設定されており、この日に合わせて様々な歯科保健啓発活動をしているようですよ」

「パッと思いつくのは小学校なんかに出向いて歯磨き講習する奴だな。なんかでっかい口の模型なんかを取り出してこう磨くんだって実際に見せる奴」

「たしかにありましたね」

「因みに、他にも4月18日でよい歯の日、6月4日を歯と口の健康週間、9月第3月曜日の敬老の日もPR重点日にしていて、笑顔の大切さを伝えるという目的でその年最も笑顔が素敵だった著名な男女を一人ずつ選出して表彰するといった事も日本歯科医師会は行っているようです」

「そういえば、テレビのニュース番組で観た事があるなぁ……今まであまり意識していなかったけど、あれは日本歯科医師会がやっていた事だったのか」

「笑顔を浮かべる時には歯がよく見えますからね。そういった見た目や健康的という観点からもそうですが、美味しいものを食べ続けるためにも歯は必要ですし、いつまでも健康な良い歯でいるために歯磨きというのは忘れずにしていきたいですね」


 雨月の言葉に三人が強く頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、白い傘を持った短い黒髪の若い男性が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「は、はい……外観がとてもお洒落なカフェという感じだったので入っても気後れするかと思いましたが、男性のお客さんもいらっしゃるんですね」

「ええ、私も最初は同じように感じましたが、今ではすっかりここに来る事に抵抗が無くなりましたよ。それに、ここに来るという事で同じような人とも出会えますしね」

「同じような人?」

「まあすぐには信じられないと思いますがね、ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた奴らが雨によって引き寄せられるカフェなんですよ。恐らくですが、おたくも何か辛い気持ちを抱えてるんじゃないんですか?」

「辛い気持ち……そうですね、たしかにここに来るまで悩みながらただ歩いていましたから」


 男性は傘を傘立てに置いてから蒼空の隣に座ると、大きくため息をついた。


「私は四海しかいたくみといいます。ここの近くで四海デンタルクリニックという歯医者を営んでいます」

「おや、歯医者さんでしたか。ちょうど先程からいい歯の日の話をしていましたよ」

「そうでしたか。皆さんも歯磨きはしっかりとして下さいね。そうじゃないと私みたいに……」

「みたいにって事は……もしかして虫歯になってしまったんですか?」

「はい……疲れから歯磨きに不備があったみたいでいつのまにか。それはもう治療して完治させたのですが、仮にも歯医者として生計を立てている自分が虫歯になってしまったというのがどうにもショックで、その事がいつまでも心に引っ掛かってしまうのです」

「結果的に医者の不養生のような形になってしまったわけですからね」

「それは辛くもなるか。その事があると言動にも説得力が無くなって今後の商売にも少なからず影響も出るからなぁ……」


 蒼空と凪の言葉に巧が辛そうな表情で頷いた後、メニューをパラパラと見始めた。そしてあるページに来た途端、その手は静かに止まった。


「きゃらめるふろらんたん……」

「はい。お好きなのですか?」

「はい……甘いものは全般的に好きなのですが、その中でもフロランタンやキャラメルが好きで、つい目が引かれてしまいました」

「では、そちらになさいますか?」


 巧が頷いていると、それを見ていた凪と蒼空は片手を上げた。


「それじゃあ俺達もそれを頼むぜ、二人とも。飲み物はこうちゃで」

「それなら私はほっとこーひーで。やっぱりスイーツ男子側としては心が踊りますから」

「あ、私はほっとここあでお願いします」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。そしてその様子を見て、巧は口をポカーンと開けた。


「な、なんだこのテキパキとした作業風景は……本当に速いのもそうだけど、まったくぶつからないぞ……」

「二人は一心同体ですからね。ここに来るといつもこの光景を見られますよ」

「最初こそ驚くが、言ってみればここだけでしか見られないショーみたいなもんだな」

「な、なるほど……」


 蒼空と凪の言葉に巧が驚きながら頷く中、夕雨と雨月はクスクス笑いながら作業を続けた。そして先開始から十数分後、三人の目の前には数個のフロランタンが載せられた皿とそれぞれの飲み物が注がれたカップが置かれた。


「きゃらめるふろらんたん、そしてこうちゃとほっとこーひーとほっとここあ。お待たせいたしました」

「わあ……本当に美味しそうだ」

「出来立てだからこそ更に美味いんだろうしな」

「そうですね」

「ふふ……では、どうぞごゆっくり」


 雨月がきゃらめるふろらんたんを手で指し示しながら言うと、三人はいただきますと声を揃えて言い、添えられたフォークを使って切り分けながら食べ始めた。


「……美味しい。香ばしい中でしっかりとした甘味と歯応えがあって、歯があって本当に良かったと思える一品ですね」

「このカリカリ感も歯でしっかりと噛まないと味わえないからな」

「甘味がしっかりとしているからコーヒーにも合うし、この魅力には逆らえないなぁ……」

「ふふ、喜んで頂けてなによりです。さて、四海さんの辛い気持ちですが、今回の件は良い学びになったと考えるのはどうでしょうか?」

「良い学び……ですか?」


 巧が不思議がる中、雨月は静かに頷く。


「そうです。お医者様でも体調を崩さないわけではないので、歯医者さんでも気を付けていても虫歯や歯周病に悩まされる可能性は十分にあります。そして虫歯の辛さは今回しっかりと味わった。それなら、実体験としてそれを話す事も出来ますし、虫歯になった方の気持ちにより寄り添う事が出来ますよ」

「たしかに……」

「まあならないのが一番ですけど、なっちゃったならもうそれを自分の武器の一つにしてしまった方が良いですよ。ただ辛いって思うよりはその方が気持ちも楽になりますしね」

「自分の武器に……そうですね、医者として患者さんの気持ちになれるのは強みの一つですし、今回の件は良い勉強になったと考えてしまおうかと思います」

「まあでも次はならないように疲れていても歯磨きだけは忘れないようにしないとですね」

「そうじゃないとこんなに美味いものも食べられなくなってしまうからな」


 その言葉に巧は微笑みながら頷いた。そして雨が地面や傘を濡らしながら降り続ける中、『かふぇ・れいん』では巧による簡単な歯磨き講習が行われ、夕雨達は生き生きとしている巧に安心しながらその話を静かに聞いていた。

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