第40話 おむすびおはぎ
黒い雲が空を覆い、じんわりとした湿気の中でしとしと雨が降るある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では夕雨と雨月が並んで食器を洗っていた。
「今日は暗い感じの雨ですね。なんだか最近夏日の日もあるみたいですし、6月に戻ったみたいです」
「そうですね。私達はお客様に来て頂ける良い機会になっていますが、お客様からすれば中々外には出たくない日になっていそうです」
「ですよね……」
「ところで、今日は縁結びの日と言われているのですがご存じでしたか?」
「え、そうなんですか? 別に語呂合わせにはなってないと思いますけど……」
夕雨が不思議がる中、雨月はクスクス笑ってから話し始めた。
「縁結びという言葉の語呂合わせにはなっていませんが、良いご縁という言葉の語呂合わせにはなっているんです。この縁結びの日というのは制定されてからまだ日が浅く、島根県にある神話の国縁結び観光協会という団体が平成18年に制定した物なんです」
「たしかにだいぶ最近ですね。島根県と言えば、先月の
「はい。神無月、旧暦の10月に出雲大社に全国の神が集まって、縁結びの会議をするとされているのですが、新暦では11月頃にそれがあると言われているので、それが由来とされていますよ。
そして縁結びと言えば、一般的には男女の縁を結ぶ物と思われがちですが、それ以外の人間関係や就職活動なども縁があってこそなので、そういった物を含めて縁結びなのです」
「実際、雨月さんもそういう色々な縁を引き寄せた上で結びつける事が出来ますからね」
夕雨の言葉に対して雨月は微笑みながら頷く。
「縋るような思いで頑張った結果、夕雨さんとの縁が結ばれて今に至るので本当にこの力には感謝してますよ。因みに縁と言えば運命の赤い糸という言葉がありますが、この元になったお話が中国の定婚店という逸話だと言われています。
内容を簡単に説明すると、主人公は旅の途中で立ち寄った宿屋で冥界の書物を読んでいた老人と出会うのですが、なんとその老人は冥界で婚姻を司っている役人だったのです。
そしてその仕事というのが、将来夫婦になる男女の足を赤い縄で繋ぎ合わせるという物で、中々縁談がうまくいっていなかった主人公は老人に将来の結婚相手を教えてもらい、十四年もの年月を経て結婚に至るというものです」
「赤い糸は小指に結ばれてる物ですけど、元々は足に結ばれた赤い縄だったんですね」
「そのようです。他にも赤い糸にまつわるお話には開元遺事というものもあり、現代にも赤い糸を扱ったお話は幾つもありますから、やはり縁結びというのは古くから人々の中で大事にされてきた物だと言えますね」
「ですね。私達だって縁が結ばれた事で色々なお客さんに来てもらっていますし、これからもどんどん縁が結ばれていってほしいですね」
「ええ、本当に」
夕雨と雨月が笑い合いながら頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、赤い傘を持った老人が中に入ってきた。
「いらっしゃいま……おや、月下老さん」
「あれ、お知り合いですか?」
「先程お話しした定婚店に登場するご老人、それがこの方ですよ。昔、縁結びを司る神々の酒宴に白兎神さん達と共に招かれた際にお会いして以来でしたが、まさかお店に来て頂けるとは思っていませんでしたよ」
「先日、他の縁結びの神から貴方が祭神の座を降りて人間の女性と共にお店を営んでいると聞いたので来てみようと思ったのですよ。
「ええ、お久し振りです。ところで、貴方の目には私達はどう映っていますか?」
雨月の問いかけにカウンター席に座った月下老はふわりと笑いながら答える。
「赤い縄は繋がっていませんが、透明な糸で繋がっていますね。あなた方が婚姻を考えていないためにそうなっていますが、いつでもそれは赤い縄に変化しますよ。あなた方さえその気になればね」
「まあ結婚するのは良いとしてもそれをお互いに望んでるわけじゃないですからね。でも、同化した事で透明な糸で繋がっているんですね……」
「それが私達を繋ぐ縁という事です。さて、せっかく来て頂いたわけですし、精いっぱいおもてなしをさせて頂きますよ」
「ありがとうございます。ただ、こういったお店に私はこれまで来た事がないので、ご注文はお任せしますよ」
「畏まりました。では、夕雨さん」
「はい、雨月さん」
二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。そして人並み外れた動きで作業をし始めると、その光景を見ながら月下老はニコニコ笑った。
「これはスゴいですね。他の神々も美技であると誉めていましたが、たしかにこれは美しいです」
「ふふ、ありがとうございます」
「前もそうでしたけど、人間から見れば驚く事でも神様達からすれば一つの芸みたいな感じみたいですからね。それじゃあもっと楽しんでもらいますか、雨月さん」
「はい、夕雨さん」
二人がそのまま作業を続ける事十数分、月下老の目の前にはお結びのような物が三つほど載せられた皿と緑茶が注がれた湯呑み茶碗が置かれた。
「おむすびおはぎ、そしてりょくちゃ。お待たせ致しました」
「おむすびおはぎ……ほう、日本でよく食べられているというおむすびのように見えますが、その実はおはぎというわけですか」
「はい。海苔に見せてるところがアンコで、芯にもそれぞれ違う物を入れていますよ」
「なるほど、それは楽しみですね」
「ふふ、ではどうぞごゆっくり」
「はい。それでは、いただきます」
月下老は手を合わせながら言うと、添えられた黒文字を使って一口分切り、それを口に運んだ。
「……とても優しい味ですね。アンコも甘さが程よく、モチモチとした感触も滑らかな舌触りも心地よいです。芯になっているのは何か赤いものですが、これは何でしょうか?」
「それは梅ジャムです。それで他のには納豆のペーストとずんだ餡を入れてます」
「おむすびというのは、お米を神が宿るとされていた山の形をかたどっていて、それを食べる事で健康を保とうとしたとされています。そしてその名前の由来は日本に古来からいらっしゃる神の名前だと言われていて、お結びを漢字にした時に“結”の字が出てくる事から神々と自分達の間に結び付きを持ちたがったのかもしれません」
「要は縁結びをしたがった感じですね」
「そうですね。おはぎの名前の由来は、秋に咲く萩という花であり、萩の花言葉の中には前向きな恋という物があります。そこから婚姻という縁結びを司る月下老さんにはピッタリだと思い、夕雨さんは選んだようです」
「そうでしたか」
月下老はニコニコ笑いながら言うと、店内を軽く見回した。
「このお店からは様々な方の縁の気配がしますし、雰囲気も穏やかでとても落ち着きます。次に来る時には縁結びの神の仲間を連れてこようかなと思います」
「ふふ、私も久しぶりにお会いしたいですし、その時が楽しみです」
「私はちょっと気後れしちゃいそうですけど、その時には精いっぱいおもてなしさせてもらいますね」
「はい、ありがとうございます」
そう言った後、月下老は再びおむすびおはぎを食べ始めた。そしてしとしと雨が降る中、『かふぇ・れいん』の店内では月下老と夕雨達が話す声が響く穏やかな時間が流れていた。
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