第3話 くりすますけーき

 冬を告げる凍えるような風が吹き、更に体を冷やしてくる雨が降るある日、雨の日のみ開店している『かふぇ・れいん』の店内では、雨月が心配そうに窓の向こうを見つめていた。


「夕雨さんは大丈夫でしょうか。突然ご友人から呼ばれて出かける事になりましたし、そちらの方も心配ですが、この寒さですからね……お帰りになった際、すぐにお出し出来るように近くなったら用意だけしておきましょうか。幸い夕雨さんのお帰りになる時間はわかりますから」


 雨月が優しく微笑みながら窓から視線をそらし、自分の作業に移り始めたその時、ドアベルを鳴らしながら入口のドアが開き、黒い傘と小さなカバンを持って暗い顔をしたスーツ姿の男性が中へと入ってきた。


「おや、いらっしゃいませ。『かふぇ・れいん』へようこそ」

「カフェ……」

「はい。ここへは雨に導かれた方のみが訪れる事が出来、今は所用で席を外していますが、もう一人店員がおりますよ」

「雨に導かれた……?」

「ふふ、ええ。中々不思議な話だと思われるかもしれませんが、何か怪しげな事をしているわけではありませんのでご安心を。外も寒かったでしょうし、よければ何かご注文なさいませんか? そのカバンの中の“刃物”の件は後で大丈夫ですので」


 その雨月の言葉に男性は信じられないといった顔をする。


「ど、どうして……」

「私は少々変わった出自をしていますから、そういった事を感じ取る事が出来るのです」

「ば、バレたならいっそ……!」

「予め断っておきますが、刃物を向けられても私はご期待には応えられませんよ。刃物を向けられた程度では恐怖を感じませんので。それに、ここへいらっしゃったという事は、お客様も何かお辛い事があって押し潰されそうになっているわけですから、怖がる事もしなければ警察に届け出る事もしませんよ」

「あ、貴方は一体……」

「かつては様々な方の縁結びをしていましたが、今はしがない一人の店員ですよ。さあ、どうぞお席へ。解決まではお約束出来ませんが、お話を聞く事なら出来ますから」


 雨月の穏やかな様子に男性は頷くと、傘立てに傘を置いた後に雨月の目の前のカウンター席に座り、チラリとメニューを見た。すると、“ある名前”が目に入った瞬間に男性の顔はどこか懐かしそうな物に変わる。


「……くりすますけーき」

「はい。そろそろくりすますが近いため、少し早めに出しておきたいともう一人の店員である夕雨さんが仰ったので、もうめにゅーには加えているんです」

「…………」

「もしや、くりすますに何か思い出でもございますか?」

「……はい。俺は青河せいが龍夜りゅうやというんですが、唯一の肉親である少し歳が離れた妹の龍華りゅうかがいるんです」

「唯一というと……」

「……俺が大学生、妹が小学生に成り立ての頃に両親を亡くして、それからは俺が保護者として龍華の面倒を見ているんですが、少し前に病気に罹って入院していて、それでも必死になって働いていたのにそこからはリストラだって言われて……」

「……それで、妹さんの入院費をどうにか工面するために、という事ですか」


 雨月の言葉に龍夜は静かに頷く。


「バカな事を考えたとは思いますよ。だけど、龍華は俺に残された肉親ですから、俺がどうにかしてやらないといけないんです。今年だってちゃんとクリスマスを祝ってやりたいですし……」

「それだけお二人にとってくりすますは大事なのですね」

「ウチは他の家庭よりは質素な暮らしをしていましたけど、クリスマスだけは少し豪華にしてきましたし、何よりも母が作ってくれてみんなで分けながら食べていたクリスマスケーキの味が一番の思い出なんです。もっとも、俺には作れないんですが……」

「ふむ……因みに、どのような見た目で味わいがどうだったかはわかりますか?」

「え……もちろんわかりますけど、何故ですか?」

「いえ、それさえわかれば私にも再現は出来ると思うので。普段は夕雨さんが作っていますが、私も少しずつ製菓について学んでいますし、材料もそれなりに揃っています。なので、思い出のくりすますけーきを作らせて頂けませんか? もちろん、妹さんの分も含めてお作りしますが、お代はめにゅーに書いている通りで大丈夫ですから」


 優しく微笑む雨月を前に龍夜は驚いた顔をしていたが、やがて申し訳なさそうな顔で頷いた。


「……お願いします」

「畏まりました。では、夕雨さ──と、今はお出掛け中でしたね」

「その夕雨さんとはいつもそんな感じで呼び掛けあってから作業をしているんですか?」

「はい、その通りです。では、思い出のくりすますけーきについてお伺いしますね」

「わかりました」


 龍夜はクリスマスケーキについて話し、雨月は細やかにメモを取ると、すぐに作業に取りかかった。まだ不慣れだった事で作業のスピード自体は夕雨に比べて遅かったが、それでもあまり迷う事なく作業を進めていき、その様子を龍夜は静かに見つめていた。

そして作業開始からおよそ二十分程経過した頃、龍夜の目の前には表面に粉砂糖がふられ生クリームとイチゴで飾られたケーキとカップに注がれて湯気をあげる紅茶が置かれた。


「お待たせ致しました。私なりに作ってみましたので、どうぞ食べてみてください。因みに、紅茶はさーびすなのでご遠慮なく」

「……わかりました。それじゃあいただきます」


 そして龍夜は、フォークを手に取ると、ケーキを一口サイズに切り分けてそれを口に運んだ。その瞬間、龍夜は目を大きく開きながら驚き、再びケーキへ視線を向けた。


「これ……間違いなく思い出の中のケーキです! でも、どうしてここまでしっかりと再現を……」

「お話を聞きながら青河さんのお母様がどのよつな工夫をなされていたか考えてみたのです。その結果、すぽんじに挟む物やすぽんじけーきに塗るけーきしろっぷに何か秘密があるなと感じ、勝手ながら少々思い出の中を見させて頂いたのですが、どうやらすぽんじには缶詰のみかんが、そしてけーきしろっぷはその缶詰のしろっぷに香り付けでばにらえっせんすを入れていた事がわかったんです」

「バニラエッセンスって、クッキーとかにも使う物ですよね?」

「ええ。ばにらの花言葉には“永久不滅”という物がありますから、香り付け以外にも家族の絆は永遠に変わらないという意味もこめ、みかんは栄養もあるので風邪を引きづらくなるようにという家族への思いがあったのかもしれません」

「母さん……ごめん、龍華のためだって言ってバカな真似をしようとして本当にごめん……!」

「たしかに亡くなられたご両親はそのような事は望んでいないでしょう。ですが、自分達が亡くなった後も妹さんのために頑張ろうとしている青河さんの事は自慢の息子だと思っているはずです。ですから、もう一度ちゃんと頑張ってみませんか? 妹さんのためにそこまで決意出来た青河さんなら、きっと今度こそ良き縁が結ばれるはずですから」


 雨月の言葉に対して龍夜は頷いて涙を流しながらくりすますけーきを食べ、雨が降り寒さが厳しい外とは対照的に店内の空気と雨月の目はとても温かかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る