第2話 みかんけーき

 季節が冬に近づいた事で風が冷たくなっていき、空から降る雨が地面に落ちた枯れ葉を鳴らすある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では、夕雨が目の前にある段ボール箱を見ながら嬉しそうに笑っていた。


「こんなにたくさんの秋の味覚……これは腕が鳴るなぁ……」

「ふふ、夕雨さんは作る事も好きですが、食べる事も好きですからね。下拵え中や味見中の夕雨さんはとても幸せそうでしたよ」

「会社勤めの時はそれどころじゃなかったですけど、今はとても充実してますからね。私からすれば秋は食欲の秋なんです。雨月さんは……読書の秋ですかね?」

「そうですね。まだ祭神だった頃も風が枯れ葉を散らす音を聞きながら読書に更ける事もありましたし、その時間はとても幸せでしたよ」

「たしかに読書中の雨月さんの表情でとても穏やかですからね。そういえば、他にはスポーツの秋とか芸術の秋もありますけど、どうして秋なんでしょうね?」


 夕雨が首を傾げる中、雨月はその姿を見ながらクスクスと笑う。


「私が聞いたところによると、気候が関係しているようです。夏と冬はそれぞれ気候が極端であるために何かをする気が中々起きなく、春は暖かくて良さそうですが、新学期や新生活などでバタバタしているためその時間が取れないので、あまりこれといった出来事の少ない秋が持ってこいなのだそうです。

因みに、食欲の秋の由来ですが、秋は実りの秋と言われるように様々な農作物が収穫される上に秋刀魚などのお魚もあり、そういったところから食欲の秋だとされている説や脳内で分泌されて食欲を抑制するセロトニンという分泌物が日照時間の減少に伴って少なくなるからという説、他にも生物の本能として冬に備えているからなど色々あるようですよ」

「へー……理由も色々あるんですね」

「そのようです。ただ、冬は冬でまた色々な食べ物がありますし、夕雨さんからすれば冬もまた食欲の冬になるかもしれませんね」

「あはは、たしかにそうなるかもですね」


 二人が笑いながら話をしていたその時、入り口のドアが開き、ドアベルを鳴らしながら若いスーツ姿の男性がオレンジ色の傘を持ってキョロキョロと見回しながら店内へと入ってきた。


「いらっしゃいませ、お客様。どうぞ空いているお席へ」

「あ、どうも……ここ、カフェなんですよね? 看板に『かふぇ・れいん』と書いてあったんですけど……」

「はい、そうですよ。ここは雨の日限定で開店しているカフェで、雨に導かれた人だけが来られる場所なんです」

「雨に導かれた……?」

「はい。ここに初めていらっしゃる方は、皆さんが心が押し潰されそうな程の悲しみを背負ってらっしゃいまして、そういった方を雨がこのお店まで導くといった形です。お客様ももしかしたら何か悲しい出来事があったのではないですか?」


 雨月の問いかけに傘を傘立てに置いた男性はカウンター席に座ってから答えた。


「……はい。私は秋月あきづきみのるといいまして、この春に新入社員になったばかりなのですが、物覚えが悪いせいでいつも先輩には怒られ、同僚達からも呆れっぱなしなんです。そして今日もだいぶキツく怒られてしまい、自分には会社勤めなんて向いてないのかと思いながら歩いていたら、いつの間にかここに来ていたんです」

「そうでしたか。夕雨さんからすれば、気持ちがわかるのではないですか?」

「え、そうなのですか?」

「はい。私も前は会社勤めをしてたんですけど、本当にキツくて生きてるけれど死んでるような感じだったんです。でも、そこを辞めてここで働くようになってからは本当に生まれ変わったように元気になりました。だから、秋月さんにも今日は元気になってもらって、明日からまた頑張ろうって思ってもらいたいです」

「明日からまた……そうですね、入ったばかりですし、まだまだ頑張ってみるべきですよね」

「ええ、私もそう思います。さて秋月さん、メニューを見て気になる物はございましたか?」


 雨月の言葉を聞いて実はメニューに目を通した後、顔を上げてから静かに頷いた。


「はい。それじゃあこの『みかんけーき』と『ほっとここあ』をお願いします」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷きあった後、見事なコンビネーションで準備を始め、実はその姿に驚きながら静かに見つめていた。そして数分後、実の目の前にはほんのり黄色に染まったクリームとスジが取られたみかんが載ったケーキの皿とホカホカと湯気を上げるココアが注がれたカップが置かれた。


「『みかんけーき』と『ほっとここあ』、お待たせいたしました」

「いい匂いですね……私、この時期になるとみかんが無性に食べたくなってしまって、実家にいた頃は手が黄色くなるまで食べる事がしょっちゅうだったんですよ」

「あ、わかります。そして冬になると、炬燵に入りながら食べたくなって、机の上にみかんの皮が積まれていくんですよね」

「はい。それで家族には食べ過ぎだと怒られてしまって……年末にはちゃんと実家に帰らないといけませんね」

「はい、それが良いと思います。ご家族も離れて暮らしていらっしゃる秋月さんの様子を気にしながら毎日を過ごしていると思いますから」

「ええ、そうですね。それでは……いただきます」


 実は静かに手を合わせながら言った後、フォークでケーキを一口程度に切り取り、それを口に運んだ。その瞬間、実は幸せそうに微笑み、ゆっくりケーキを食べながらココアも飲み始めた。

夕雨と雨月もその姿を静かに見守り、外で降る雨がBGM代わりとなる中で、店内ではしばらく穏やかな時間が流れ続けた。

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