第2章 かふぇ・れいん本日も開店中

第1話 さつまいもけーき

 秋らしい冷たい風が吹き、小雨がしとしとと降るある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』の店内では店員の二人がそれぞれの仕事をこなしていた。

一人は紫色の和服に前掛けをつけた襟まで伸びた長い白髪の若い男性、もう一人は茶色を基調としたユニフォームにエプロンをつけた栗色の短い髪の女性であり、女性は一度仕事の手を止めると、不安そうな顔をしながら外の様子を眺めた。


「……今日も外は寒そうですね。こんなに寒いとお客さんも来づらいかな……」

「無いとは言いきれませんね。ですが、来て頂ける可能性もあるなら、いつものようにお出しする物の準備をするだけです。雨の中でも来て頂けるならその方のためにお飲み物とお食事を提供する、それが私達の役目ですから」

「そうですね。そういえば、秋の半ばから吹く風ってたしかありましたよね?」

木枯こがらしの事ですね。秋の中旬から冬の初旬にかけて吹く強く冷たい風の事で、俳句では冬の季語として扱われているようですよ」

「え、冬の季語なんですか? てっきり秋の季語なんだと思っていました」

「ふふ、木枯らしのように勘違いしがちな季語は多いですからね。夕雨ゆうさん、暦というのはご存じですよね?」


 虹林にじばやし雨月あまつきからの問いかけに虹林夕雨は静かに頷く。


「はい。時間の流れを年とか日のような単位に当てはめて数えるように体系化した物ですよね?」

「簡単に言えばそうですね。旧暦では1月から3月までが春で4月から6月までが夏、7月から9月までが秋で、10月から12月までが冬となっているので、木枯らしが吹くのは旧暦で考えると冬になるのです。因みに新暦では、3月から5月までが春で6月から8月までが夏、9月から11月までが秋で12月から2月までが冬なので夕雨さんのように秋の季語だと思うのは新暦で考えるからですね」

「なるほど……」

「旧暦から新暦に変わったのは明治時代でして、月の満ち欠けを基準としている旧暦と違って新暦は地球が太陽の周りを回る周期を基準としているので、発生してしまう少しのずれを調整するために四年に一度閏年うるうどしとして366日の年を作っているようです」

「閏年って言葉は知ってましたけど、そういう意味があったんですね……」

「言葉というのは知れば知るほど面白いですから、時間がある時にでも調べてみても良いかもしれませんね」

「ふふっ、ですね」


 夕雨と雨月が笑い合っていた時、入り口のドアが開いてドアベルが鳴り、黄色の傘を持ったセーラー服姿の少女が不思議そうに店内を見回しながら中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ、お客様」

「ど、どうも……えっと、看板には『かふぇ・れいん』って書いてましたけど、ここってカフェなんですか?」

「うん、そうだよ。ここは雨の日限定で開店をしているカフェで、ここに来られるのはこの雨に導かれた人だけなんだ」

「雨に導かれた……?」

「ふふ、初めての方は皆さんがそのような顔をされますよ。怪しい事を言うと思うかもしれませんが、かふぇとしてはちゃんと営業していますから、そこは安心してくださいね」

「は、はい……」


 少女は戸惑いながらも入り口に置かれた傘立てに傘を置くと、カウンター席の一つに座り、メニューに目を向けた。


「……色々なメニューがあるんですね。でも、カタカナが一つもないような……?」

「それは私がどうにも横文字という物に慣れる事が出来ないからで、漢字で書いても今度はメニューを読めない方も出るだろうという事でひらがなで表記しているのです」

「そうなんですね……それじゃあこの『さつまいもけーき』と『ほっとこーひー』をお願いしても良いですか?」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人はいつものように言葉をあまり交わさずに頷き合うと、見事な連携で手早く注文の準備を始め、その光景に少女は目を丸くした。


「す、すごい……早く動いてるはずなのに全然ぶつかったりしてない……」

「私達は一心同体だから。そういえば、セーラー服を着てるけど、貴女って高校生?」

「あ、はい。この近くの高校に通っている古閑こが空詩そらしといいます。学校帰りにただ歩いていただけなんですが、気づいたら目の前にこのお店があって、なんだか入ってみたいと思って入ってみたんです」

「ふふ、そうでしたか。古閑さんもこのお店と縁を結ばれたのでここまで来られたんですよ」

「縁を結ばれた……さっきの雨に導かれたっていうのと何か関係があるんですか?」

「うん。ここに初めて来る人はみんなが何か辛い出来事があって押し潰されそうになっている人で、その人にこのお店が反応して雨がここまで導いてくれるんだよ」

「なんだかまだ良くわからないような……」

「ふふ……それでも構いませんよ」


 空詩の言葉に雨月が上品に笑いながら答えた後、空詩の目の前には白い皿にフォークと共に載せられた紫色のクリームが塗られた黄色の生地のケーキとソーサーの上のカップに注がれたコーヒーが置かれた。


「さつまいもけーきとほっとこーひー、お待たせ致しました」

「わあ……とっても美味しそうです。これを彼と一緒に食べられたら良かったのに……」

「良かったのにって?」

「……実はここに来る前に彼から別れたいって言われたんです。他に好きな人が出来て、私よりもその人の方が魅力的だからって……」

「そうだったんだね」

「私にとって初恋だったので、本当に辛くて……」


 空詩が俯き、コーヒーに涙を浮かべる空詩の顔が映る中、夕雨は空詩に向かって優しい笑みを浮かべた。


「たしかに辛いと思うよ。だけど、貴女にとっての異性ってその人だけじゃないでしょ?」

「そうですけど……」

「私はこれまで恋愛なんてした事ないから大きな事は言えないけど、その人は貴女にとってそこまでの縁だったってスッパリ諦めて、新しい恋に生きた方が人生は楽しいと思う。

それに、新しい恋を見つけた貴女がもっと素敵になって、その人を後悔させられたらすごく爽快だと思わない?」

「後悔させられたら……」

「今、貴女の心の中には木枯らしが吹いていて、雨も降っているからとても寒いと思う。だけど、雨はいつか晴れるし、季節だっていつか巡るんだよ。だから、新しい未来のために一歩踏み出そうよ」

「お姉さん……」


 空詩は顔を上げて夕雨の顔をじっと見ると、涙を指で拭ってからにこりと笑った。


「そうですね。このまま泣いてたって後悔なんてさせられませんし、この恋はもう終わりにして、新しい恋に生きてみます」

「ようやく笑顔になって頂けましたね。古閑さんがさつまいもけーきを選んだのはやはり縁があったからかもしれません」

「え、そうなんですか?」

「さつまいもの花言葉は“乙女の純情”や“幸運”ですから、この花言葉を力にして新たな一歩を踏み出すのが良いかもしれませんよ」

「……はい、そうします。それじゃあ……頂きます」


 空詩は手を合わせながら言った後、フォークを持ってさつまいもけーきを一口切り取り、それを口に運ぶと、その顔は幸せそうな物へ変わった。

そして空詩が嬉しそうにしながら食べる中、微笑む夕雨と雨月はその様子を小雨の音を聴きながら眺めていた。

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