第9話 てぃらみす

 穏やかな小雨が降り、雨粒が静かに街を濡らしていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』のカウンター席には巫女服を着た長い黒髪の少女が座っていた。


「はあ……やっぱりここは落ち着きますね……」

「ふふっ、それは良かったです」

美子みこちゃん、巫女さんとしての修行は順調?」


 夕雨からの問いかけに神名かみな美子みこは微笑みながら頷く。


「はい、なんとか頑張れてます。この前も神様から境内の掃除がしっかりとしているとか巫女として立派になってきたと言ってもらえて、ここまで頑張ってきた甲斐があったなと思ってます」

「そうですか……やはり神と巫女の仲が良いのは安心しますね。豊与世司尊ほうよせいじのみことさんに祭神が変わったと聞いた時もあの方ならと思いましたが、神社がまた賑やかになれば、この地域も活性化すると思いますよ」

「豊与世司尊様もいつでも良いから夕雨さんを連れて遊びにきて欲しいと仰ってましたよ。友人ならぬ友神ゆうじんとしてちゃんともてなすからと」

「私は良いけど……雨月さんはどうしますか? 雨月さんの気が進まないなら、私も行かない事にしますけど……」


 夕雨が心配そうに訊くと、雨月は洗い立てのカップを拭きながらにこりと笑う。


「私も構いませんよ。あの日から一度も足を運んでいませんでしたし、そろそろ豊与世司尊さんにご挨拶に伺わないといけないと思っていましたしね。美子さん、お持ちするお菓子やお飲み物は何が良いか訊いて頂いてもよろしいですか?」

「はい、任せてください! でも……雨月さんはもうあの神社に戻る気は無いんですよね? 豊与世司尊様もあの頃の雰囲気は好きだったと仰っていましたけど……」

「……はい、私の今の役割は縁が繋がった皆さんの心を癒したりお話を聞いたりする事、そして夕雨さんの生活の支援をする事ですから。それに、戻ろうと思ってもあの座に再び着く事は叶いませんしね」

「ああ、たしか再神不可法さいしんふかのほうっていうのがあるんですもんね。一度その座を追われた者は、許しもなくその座に再び着く事は出来ないっていう」

「その通りです。それに、あの神社には既に祭神がいて、私には夕雨さんという身を共にした人がいますから」

「まあ、たしかにそうですね。雨月さんがまたあそこに戻りたいと思うなら、私と離れる必要がありますし、今の状態で離れようものなら本当に雨月さんの存在に関わりますしね」

「はい。なので、豊与世司尊さんにお会いしに行くのは構いませんが、戻れと言われても戻る気はありません。これが私の新たな命のあり方ですから」


 微笑みながら言う雨月の姿を美子はジッと見つめていたが、やがて諦めたように息をついた。


「ふぅ……やっぱりダメですか。豊与世司尊様も残念がりますけど、雨月さんらしい答えだと言う気がします」

「私と豊与世司尊さんは古くからの仲ですしね。さて……美子さん、今日のご注文はどうしますか?」

「そうですね……せっかくなので、お二人にお任せしても良いですか?」

「あれ、結構珍しいね。いつもなら抹茶と三色大福のセットなのに」

「たまには良いかなと思って」

「ふふ、わかりました。では、始めましょうか、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 夕雨と雨月は頷きあった後、何も相談せずに作業を始めた。その様子を美子が微笑みながら眺めていると、店内には紅茶の香りが静かに漂い始め、その香りに美子の表情もうっとりとした物へ変わった。

そしてそれから数分後、美子の目の前にはほかほかと湯気を立てる紅茶が注がれたカップとソーサー、ブルーベリーやイチゴが載せられたティラミスが載った皿が置かれた。


「紅茶とてぃらみす、お待たせしました」

「ティラミス……名前は聞いた事がありますけど、実際に見るのは初めてです」

「まあ、特別食べたくならなきゃあまり食べる機会はないかもね。因みに、ティラミスを選んだのは、ティラミスという言葉の意味を考えたからなんだ」

「ティラミスの意味……ですか?」

「うん。ティラミスはイタリア語なんだけど、直訳すると“私を引っ張り上げて”、わかりやすくするなら“私を元気にして”っていう意味があるの」

「美子さんが落ち込んでいるというわけではないですが、これからも巫女さんとしての修行を元気に頑張って欲しいという願いを込めさせてもらいました」

「そうなんですね……それじゃあいただきます」


 美子は手を合わせながら言った後、添えられたフォークで一口サイズに切り分けてゆっくり口へと運んだ。


「んー……! すごく美味しいです!」

「それはよかった。私も会社勤めしてた時はたまに自分へのご褒美として作ってたんだ。まあ、今となってはこうしてお店で出す以外には、三時のおやつとして前の日に作って食べてるんだけどね」

「その意味通り、食べると元気が出ますからね。やはり、食事というのは生きる上で必要なのかもしれません」

「そうですね。そういえば……そろそろ例の日ですよね?」

「はい。この前もそのお話をしたのですが、来週くらいには雨を降らせ、ここへ来て下さるようですよ」

「その次の週にはまた別の大切なお客さんが来ますしね。元気にやれてるっていうところをちゃんと見せましょうね、雨月さん」

「ええ、夕雨さん」


 夕雨と雨月が微笑みながら頷き合う姿を美子は安心したような表情で見ており、その後、外で静かに雨が降る中で店内では賑やかな話し声がしばらく響き続けていた。

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