第2話 ほっとけーき

 空に広がる雨雲から大粒の雨が降る6月のある日、雨の日の限定の開店のカフェである『かふぇ・れいん』の店内では夕雨ゆうがステンドグラス越しに見える外の様子を心配そうに見ていた。


「今日の雨は強めだなぁ……まだ会社勤めだった頃、こんな雨の日は本当に憂鬱だったなぁ」

「私達にとっては開店する機会ですが、会社勤めの方や学生の皆さん、買い物に出られる方からすれば辛いですからね。ただ、こんな雨の日だからこその音もあって、私は嫌いではないですよ」

雨月あまつきさんはどんな雨でも好きですからね。昔もそうやって雨の音を楽しんでいたんですか?」

「はい。基本的には私からどこかに行く事もありませんでしたから、色々な方がいらっしゃるのを見ながら鳥のさえずりや風が吹く音、いらっしゃる方々の声や雨の降る音など様々な音を聴いて過ごしていました」

「良いなあ、そういうの。老後はそんな風にのんびりと暮らしたいです」

「ふふ、それならば本当にそうしましょうか。知り合いにほどよく年季の入った古民家を管理している人がいますから、近い内に話だけしてみますね」

「ありがとうございます、雨月さん」

「どういたしまして」


 夕雨の言葉に雨月が微笑みながら答えていたその時、入り口のドアベルが鳴り、赤い傘を持ったセーラー服姿の少女が店内へと入ってきた。


「ふぅ……今日の雨は強くて大変だ」

「おや、杓伝しゃくでんさん。いらっしゃいませ」

「雨、だいぶ強いですけど、濡れませんでしたか?」

「お気に入りの傘のおかげで大丈夫です。そういえば……雨月さん、雨月さんをモデルにしたキャラクターを出してる漫画を描いて、SNSに上げてみたんですが、だいぶ人気が出てるみたいですよ」

「そうなのですか?」

「あ、そういえばそれ見たかも。まあ、雨月さんは本当にカッコいい人だから、人気が出るのもわかるかもね」

「ふふ、ありがとうございます。杓伝さん、いつものでよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 杓伝紬しゃくでんつむぎは返事をすると、カウンター席の内の一つに座り、夕雨と雨月がそれぞれの作業に入るのをボーッと眺め始めた。


「……ほんと、お二人の作業風景は絵になりますね。こういうお店を出した経験って本当に無いんですよね?」

「無いですね。そもそも調理の経験すらこれまでありませんでしたよ」

「私は前に料理人を目指してた時に取ってた調理師免許と食品衛生責任者、後は防火管理者に栄養士免許なんかがあるけど、結局資金集めのために会社勤めしてたから、今になってようやく役に立ってるくらいだよ」

「そうですか……その上、お二人が出会ったのも数年前なんですもんね。なんだかそう思わせない程にお二人の連携がしっかりとしているので初めて来た時はビックリしちゃいましたよ」


 紬の言葉を聞いて夕雨と雨月は顔を見合わせると、どちらともなくクスクスと笑い始めた。


「不思議と初めから息が合ったんだよね。雨好きと雨嫌いの二人が出会ったにしては、他の面で気が合ってそのままこうしてカフェをやるまでになったし」

「こう言ってはなんですが、私達が出会ったのは運命だったのかもしれませんね。それか縁結びの神々が面白がって縁を結んだか、ですね」

「縁結びの神様かぁ……一番有名なのってたぶん因幡の白兎として知られる白兎神しろうさぎのかみ様ですよね?」

「恐らくは。神話の中でも鮫を騙して因幡国に渡ろうとしていましたし、そういった悪戯心から行った可能性は高いと思います。夕雨さん、そちらはどうですか?」

「こっちはもう少しです。雨月さんはどうですか?」

「こちらももう少しです」

「わかりました」


 夕雨が返事をしていると、店内には二つの香りが混じり合いながら広がりだし、その香りに紬はうっとりとする。


「やっぱりこうやって良い香りに包まれるのは良いなぁ。雨の中に来て、良い香りと美味しい物を楽しめる。最高の贅沢ですよ」

「ありがとうございます──と、こちらは出来ましたよ」

「こっちも大丈夫です」

「わかりました。杓伝さん、今日はどうしますか?」

「そうですね……チョコソースとメイプルシロップの気分かもです」

「わかりました」


 紬の言葉に返事をした後、雨月がカップの準備をする中、夕雨は出来上がった物を皿に載せ、チョコソースとメイプルシロップをそれぞれ入れた小型のピッチャーと共に紬の目の前に置き、その隣に雨月はほかほかと湯気を上げる紅茶が注がれたカップを置いた。


「お待たせしました、ほっとけーきと紅茶です」

「出来立てで熱いので、気をつけてくださいね」

「ありがとうございます。うん……本当に良い香り。SNSに上げたらバズり間違い無しですけど、ここはこんな風にのんびりとした雰囲気だから良いんですもんね」

「まあ、商売人としてはお客さんが来てなんぼだけど、筑紫君や杓伝さんみたいにここでのんびりとするのが好きな人のためでもあるし、しばらくは縁のあった人達だけで良いかな」

「そうですね。私も騒がしくなるのはあまり好ましくないですし、このままが一番です」

「ですよね。それじゃあいただきます」


 紬は手を合わせながら言った後、カウンター席に置かれたフォークを使って丁寧にホットケーキを切り分けてからそれぞれにチョコソースとメイプルシロップをかけ、ワクワクしながらそれらを一つずつ口へと運んだ。


「……本当に美味しい。ふわふわのホットケーキだけでも美味しいけど、チョコソースとメイプルシロップで更に楽しみが増えるし、その後に飲む紅茶との組み合わせもバッチリ。やっぱり雨降りの中でここに来るのは本当に幸せだなぁ……」

「ふふ、ありがとうございます」

「名前の通り、“ほっと”してもらえてるみたいだね」

「はい、それはもう。この前、筑紫君とも話したんですけど、日常生活の疲れを癒すには持ってこいの場所です」

「それは私達もかな。雨の日だけの開店だからこそ、普段は色々な事に挑戦出来るし、開店した時にはこうやって来てくれた人達とも話が出来る。まあ、外出先でバッタリ会う事もあるけど、会社勤めしてた頃からは考えられない程に充実してるよ」

「ふふ、私も今の生活には満足していますよ。杓伝さん、今日もお代わりは出来ますから、遠慮無く言ってくださいね」

「はい、わかりました」


 返事をしてから紬が再びホットケーキと紅茶を味わい始める中、外の雨の音を楽しみながら夕雨と雨月は幸せそうにしている紬の姿を微笑ましそうに見つめ続けた。

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