雨の日かふぇ
九戸政景
第1章 かふぇ・れいんにようこそ
第1話 ほっとこーひー
空から冷たく細かい雨が降り、色とりどりの傘によって街中に虹が掛かる6月のある日、『かふぇ・れいん』の店内では襟まで伸びた白髪の若い男性が紫色の和服に前掛けをつけた姿でテーブルを拭き、短い栗色の髪の若い女性は茶色を基調としたユニフォームにエプロンをつけた姿で皿やカップを洗っていた。
屋根から流れる雨が窓に填められたステンドグラスを濡らしてその透明度を増していき、若い男性はその様子を見ると、穏やかな笑みを浮かべる。
「やはり、雨の日は良いですね。空から降り注ぐ滴があらゆる物に当たる事で発せられる多くの音は見事な交響曲を奏で、地面に染みた雨粒は力強く生きる植物達の糧となり、
「そうですね。私は前まで雨なんてジメジメしていて服や身体を濡らすだけの物だって考えてましたけど、
ただ、相変わらずジメジメしていたり傘がない時に降ったりするのは勘弁してほしいですけどね」
「そう考えている人は多いでしょうね。ですが、私達からすればこのお店を開き、様々なお客様と出会える日になりますからね。今日も頑張っていきましょうね、
「はい、もちろんです」
「うー……やっぱり雨の日は冷えるなぁ……」
「
「はい、お願いします、雨月さん。近い内に試験があるのでここで勉強していっても良いですか? 家よりもここでする方が捗るんです」
「はい、どうぞ。試験の前だと集中出来る環境が欲しくなるからね。私も学生の頃は試験前は大変だったもん」
「夕雨さんはどんな学生だったんですか?」
入り口に置かれた傘立てにビニール傘を置きながら筑紫
「勉強が本当に嫌いで数字を書いた鉛筆が一番の相棒だったよ」
「それってマークシートじゃないとあまり意味ないじゃないですか。よく卒業も出来て就職まで行けましたよね」
「私、運だけは強いから。でも、それ以外の試験はからっきしで、追試でよく残ってたよ」
「……そうだと思いました」
「ただ、その運が雨月さんと私を出会わせてくれたわけだし、辛かった会社勤めを辞めてこうしてお店をやれるのは嬉しいよ」
「私も夕雨さんとの出会いには感謝しています。出会わなければ私はそのまま誰にも気づかれずに消えていたでしょうから」
夕雨の言葉を聞いた雨月が微笑みながら言うと、カウンター席に着いた陽は笑い合う二人の姿をどこか羨ましそうに見た。
「……二人は出会うべくして出会って、こうして雨の日だけ開店するカフェを始めた。なんだか小説みたいな話ですよね」
「そうだね。そのおかげで私は雨も好きになれたし、前よりは確実に健康になれた。この出会いには本当に感謝してるよ」
「そうですか。そういえば、前々から気になってたんですけど、どうしてここのメニューにはカタカナって使われてないんですか? 僕がいつもお願いしているホットコーヒーもメニューには『ほっとこーひー』って書いてますし……」
「ああ、それは私が原因なんです。どうにも横文字という物には慣れる事が出来ないんですが、わざわざ漢字で書いてしまうと、読めない方も出るだろうという事でひらがなで書く事にしているんですよ」
「それに、飲む事で冷えた身体も温まって“ほっと”してもらえるからひらがなでも良いんじゃないかって私も思ったからそうしたっていうのもあるんだ。あいすこーひーも冷たいって意味の『アイス』よりも『愛す』って読めそうなひらがなの方がなんだか良いしね」
「なるほど、そういう事ですか」
「それに、ひらがなで書いた方が可愛く見えるでしょ?」
「それは……まあ、考え方は人それぞれですよね」
陽が軽く視線をそらしながら答え、それを見た夕雨が顎に手を当てながら俯く中、雨月はクスクスと笑いながらほかほかと湯気を上げるコーヒーを陽の前に置いた。
「ほっとこーひー、お待たせ致しました。砂糖は二つでしたよね?」
「はい、ありがとうございます。うん……やっぱり良い香りがするなぁ」
「ウチで使ってる豆は雨月さんの知り合いが持ってきてくれてる物だし、雨月さんは挽き方や淹れ方にも拘ってるから。この前までコーヒーを飲んだ事がないっていうのが嘘みたいだよ」
「褒めて頂きありがとうございます。夕雨さんがお作りになるお菓子もとても美味しいですよ」
「ありがとうございます、雨月さん。そういえば、試験の科目は何?」
「古文です。どうにも古文とは相性が悪いのでかなり心配なんです……」
「古文かぁ……雨月さん、教えてあげたらどうですか? 雨月さんなら古文は得意ですよね?」
夕雨の言葉に陽が驚いていると、雨月は微笑みながら頷く。
「ええ、構いませんよ。まだ今日はお客様も少ないですし、時間には余裕がありますから」
「雨月さん……はい、ありがとうございます。それじゃあお願いします」
「はい、わかりました。それでは夕雨さんはこの前考えたという新作のお菓子をお願い出来ますか? せっかくなので陽さんにも意見を聞きたいんです」
「え、良いんですか?」
「もちろんです。夕雨さんのお菓子はどれも美味しいですが、実際に食べて頂く事で生きた感想を聞く事が出来ますから」
「なるほど……わかりました、勉強を教わる分、しっかりと感想を言えるように頑張りますね」
陽がやる気に満ちた様子で答えた後、雨月と陽は試験勉強を始め、それを見ながらクスリと笑った夕雨は奥のキッチンへと入っていった。
十数分後、カウンターに並べられた三つのコーヒーの芳醇な香りと同じように三つ並べられたスイーツの甘い香りが店内に広がる中、純白のカップに注がれたコーヒーには試験勉強に真剣に励む雨月と陽の顔、そしてそれを微笑みながら見ている夕雨の顔がそれぞれ映っていた。
その様子を窓を叩く事で程よいBGMとなっていた雨だけが見守り、店内は雨音によってしばらく穏やかな時間が流れた。
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