第17話 赤ちゃんを見に行った日

 二人が付き合い始めて、八ヶ月後。年が明けた、一月の寒い時期。

 イオスとダニエラの間に、女児が生まれた。ヘイカーはリゼットに誘われて、その赤児を見に行く。一度は殺そうとしてしまった命だ。無事に生まれた祝福をしてあげたい。


「出産祝いにぬいぐるみとか……これ、いらねーかな」

「そんなことはないわよ。きっと赤ちゃんも喜ぶわ」

「リゼットはなんにしたんだ?」

「私はガーゼとスタイにしたわ。幼子には必需品らしいから」


 そんなこんなを話していると、イオスの家に着いた。イオスは以前センター地区に住んでいたが、そこの家を売りに出してウエスト地区に新しい家を建てていた。木の匂いのする、新築の綺麗な家だ。


「リゼット、ヘイカー。来てくれたのか」

「あの、すんません、その節は……」

「構わない。上がってくれ」


 ヘイカーが謝ろうとするのを制し、イオスは中へ入れてくれた。


「ダニエラ、リゼットとヘイカーが来てくれた」

「わざわざありがとうございます」


 ダニエラの手の中には、小さな女の子がいた。イオスに似たのか、かなり無愛想な顔立ちだ。それともこれから笑うようになってくのだろうか。髪の毛もないし、正直あまりかわいいとは思えなかった。けれども無事に誕生してくれたことは、素直に嬉しい。


「生まれたての赤ん坊というのは、こんなにも小さいものなのね」

「リゼット様、抱いてみます?」

「良いの?」

「ええ。首が座ってないので、それだけ気を付けてください」


 赤ん坊がダニエラからリゼットの腕に移動する。そのあまり可愛くない赤ん坊に、リゼットは慈愛の瞳を向けていた。


「ところで、二人は最近仲がよろしいようですな」


 唐突にイオスがそんなことを言われてしまった。リゼットはヘイカーと付き合っていることを、公言していない。ロレンツォと付き合っているときもそうだったが、公にするのが気恥ずかしいのだろう。

 ヘイカーとしても、正直公言してほしくない。皆の憧れの的、ミハエルの騎士隊長、癒しの聖女を射止めたのがただの一介の騎士であると周りに知れたら、やっかまれること間違いないのだから。


「そ、そうね。仲はいい。ね?」

「う、うん。仲はいい」


 リゼットの問いかけに、ヘイカーは同意を示す。


「まぁ、私事に首を突っ込むつもりはないが……将来をちゃんと考える仲ならば、堂々と付き合った方がよろしい。皆に認められ、祝福される結婚の方がいいですからな」

「そうですよ、リゼット様。私達のようにこっそり結婚しては、後々面倒なことになりかねませんから」


 そう言いながら、ダニエラは可笑しそうに笑った。彼女とイオスは、結婚三年目でようやく式を挙げていた。あの堕胎事件の直後にである。

 リゼットとヘイカーは出産祝いを渡して適当に切り上げ、リゼットの家に帰ってきた。クージェンドが暖炉を焚いてくれているお陰で、家の中は暖かい。


「赤ちゃん、可愛かったわね」

「う? うーん……」


 正直、可愛くなかった。イオスとダニエラという、一般的な顔をした人達の子供なら仕方ないと言える顔立ちだ。リゼットの子どもなら、絶対に可愛いだろうが。


「ヘイカーは、子どもは嫌い?」

「や、別に……あんま気にしたことねーっつーか」

「私は、いつか、欲しい……」

「っえ」


 固まるヘイカーに、リゼットは歩み寄る。


「あなたとのことを、世間に公表してもいい?」

「え? えーっと、それは……」


 ロレンツォがコリーンと同棲し始めた事を新聞で公表したように、リゼットもそうするつもりだろうか。

 ヘイカーは青ざめた。熱烈なリゼットファンという者が、このトレインチェには存在する。公表すれば、そういう奴らになにをされるかわかったものじゃない。それでなくとも運の悪いヘイカーである。どうなるかを想像すると、憂鬱にならざるを得ない。

 ヘイカーが答えを渋っていると、リゼットは悲しそうな顔をして見上げてきた。


「リゼット?」


 リゼットはなぜか、目を瞑った。そして緩やかに口をすぼめている。プルップルの唇だ。見ているだけでくらくらしそうになる。が、それをヘイカーは振り切った。


「えーっと、メシ! メシはどうする? オレ作ろうか?」

「ヘイカー……」


 リゼットは目を開くと、再び悲しそうな顔をしている。


「……なぜ、してくれないの?」

「え……」

「キスどころか、手を繋ぐことさえも……」

「そ、それは」


 それは、ヘイカーがヘタレだからだ。


「これでは、友達時代と変わらないじゃないの!」

「う、うん……」


 ヘイカーは思わず肯定してしまった。

 確かになにも変わりはない。これでは周りに気付かれもしていないだろう。気付いたイオスが特異なのだ。

 そんなヘイカーに、リゼットは胸の部分のシャツを掴んで縋ってくる。


「お願い。して……」

「えっ! でも、この家にはまだクージェンドさんいるし!」

「この部屋にはいないわ」

「でも物には順序っつーか、そのオレまだ覚悟が」


 そこまで言うと、リゼットは手を離してヘイカーから一歩下がった。


「ご、ごめん! リゼット、オレ……」

「……いい」

「へ?」

「もういい」

「……」


 ヘイカーはリゼットに背中を向けられてしまった。どうすべきかわからず、ただその小さな背中を見つめる。

 職務中の彼女の背中はとても大きく見えるのだが、今はなぜか、とてつもなく小さい。


「わかって……いたのよ。あなたが私を、そんな目で見られないことくらいは」

「……ん?」

「だって、そうでしょう? あなたは同性愛者で、私とは仕方なく付き合ってくれているだけなのだから」


 オドロキだ。キョウガクだ。

 リゼットはまだヘイカーのことを勘違いしていたままだったのだ。


「ちょ、リゼット、それちがっ」

「私に付き合わせて申し訳なかったわ。もういいの。無理して私に付き合わなくても。今まで、ありがとう」


 なぜかリゼットは別れの言葉のようなものを呟いた。いや、これは別れの言葉か。そう気付いたヘイカーは、ようやく事態に気付いた。


「無理なんかしてねーよ! オレ、リゼットといると楽しいし、その……ずっと一緒にいてぇよ!」

「あなたのその気持ちは、友人の域から脱していないわ」

「そんなことねー! リゼットを、ちゃんと恋人だと思ってっから!」

「ではなぜ、付き合っていると公表してはいけないの!? キスをしてはくれないの!? どうして……どうして、好きだと言ってくれないの!!」


 リゼットの目からは涙が溢れ始めた。泣く姿ですら美しいと見惚れてしまう。だが今は、見惚れている場合ではない。


「公表したいなら、していいって! リゼットの思う通りにしてくれりゃあいいから!」

「まったくあなたは、優しいわね……」


 次はどうすればいいのだろう。キスして好きだと言えばいいのだろうか。しかし、いつクージェンドが入ってくるとも限らない。


「な、なぁ、リゼット。こっち向いてくれよ」

「キスしてくれるの?」

「うっ。うーん、いや……」

「クージェンドが気になるのね」

「そりゃあ」

「やっぱり、あなたはまだクージェンドのことが……」

「お嬢様」


 唐突に、クージェンドが入ってきた。心臓に悪いからやめてほしい。


「どうしたの、クージェンド」

「ヘイカー君は、私をそんな感情で見てはいませんよ」

「え?」


 クージェンドは、唐突にそんなことを言い出した。

 釈明してくれるのはありがたいが、扉の向こうで聞き耳を立てていたのだろうか。それはちょっと釈然としない。


「だけど、ヘイカーは……」

「お嬢様。ヘイカー君が好きなのは、昔から……」

「わーーーーっ! ちょっと待ったぁ!!」


 いくらヘタレでも、そこまで他人に言わせるつもりはない。焦ってわたわたしていると、クージェンドはニッコリと笑って「失礼します」と出て行った。


「ヘイカーが、好きなのは……?」

「え、えーっと……」


 まさか、また立ち聞きしていないだろうなと扉を見る。クージェンドがいるのかいないのか、ヘイカーには判別つかなかったが。


「どうしたの? やっぱりクージェンドが気になるのね?」

「いや、そういうことじゃねーよ」

「じゃあ、どういうことなの」


 リゼットに真っ直ぐ問われて、ヘイカーは覚悟を決めた。ここで尻込みしていても、なにも始まらない。


「俺は、同性愛者じゃねぇよ。クージェンドさんは好きだけど、そういう意味じゃない。俺が好きなのは……」

「……好きなのは?」


 好きなのは、とリゼットの唇が形作られる。

 もう、駄目だ。

 我慢の限界が、ヘタレを超えた。


「リゼット、目ぇ瞑ってくれ」

「目? どうしていきなり……」

「いいから、早く!」


 早くしないと、またヘタレの方が勝ってしまいそうだ。

 ヘイカーは、リゼットが目を瞑った瞬間、グイッとその体を引き寄せ。


「ん!?」


 リゼットの驚きの声を、己の唇で塞いだ。

 柔らかい。暖かくてプルプルで、ペロリと舐めるとさらに弾力を感じられた。


「ヘイカー……」

「俺が好きなのは……リゼットに決まってんだろ」


 自分でそう言っておいて、ヘイカーは大いに照れた。耳から蒸気がでそうなヘイカーを見て、リゼットはくすっと笑っている。そのリゼットの顔も、ほのかに紅潮していた。


「ヘイカー、嬉しい」


 可愛い恋人がしがみついてきて、ヘイカーはたまらずもう一度キスした。

 もう一度。

 もう一度。


 順を追った交際をしたいと思っていたはずのヘイカーは、そのまま止まらなくなってしまっていた。

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