第16話 夢のような日

 騎士団本署に着くと、やはりと言うべきかリゼットがこちらを睨んでいる。


「遅刻よ、ヘイカー。後で私の執務室に来なさい」

「……うす」


 リゼットは職務中、結構厳しい。言い訳したところで、遅刻は遅刻だとなんらかの罰は課せられるだろう。

 憂鬱だ。それでなくても人を殺してしまった後なのだ。ヘイカーは気分が悪くなり、蹌踉としながらもリゼットの執務室に入る。


「なにがあったの、ヘイカー」


 中に入るとリゼットが駆け寄って来てくれた。先ほどの厳しい顔付きから一転、慈愛に満ちた表情である。


「リゼット、オレ……」


 言い掛けて、ヘイカーは言葉を詰まらせた。胎児を殺したと言ったら、リゼットはどんな反応を示すだろうか。戦争でもなんでもない。ただ、頼まれたからという理由で殺してしまった。人一人の命を奪ってしまったのだ。


「どうしたの!? 気分でも悪い!?」

「う、おえっ……」


 自分に対して吐き気が込み上げる。人殺しをしてしまった自分がおぞましい。

 リゼットが背中をさすりながら治癒魔術を発動してくれた。しかし、気分の悪さは治らない。精神的なものなのだから、当然だろう。


「ヘイカー、なにがあったの」

「言えね……リゼットに、嫌われっちまう……」

「嫌うわけないわ! 私とあなたは友達でしょう?」


 首を上げると、そこには心底ヘイカーを心配してくれている、リゼットの顔。その顔を見ると、なんだか泣けてきた。


「オレ……こ、殺しちまった……」

「な、なに?」

「人を……殺しちまったよっ」


 ヘイカーは自身の掌の古代語を見る。生まれるはずだった命を、この雷の魔法が殺してしまった。この力を、こんな風に使うつもりなどなかった。


「誰を殺したの?! なにがあったの!」

「く……ひっく……オレ、人殺しだ……っ」

「落ち着いて、ヘイカー! なにがあったのか、詳しく話しなさい!」


 ヘイカーは泣きながら、これまでの経緯を話した。話し終えると、リゼットは一言、こう言った。


「大丈夫よ、ヘイカー。あなたは殺していない」

「……え?」

「雷の魔術師が堕胎させることができるということ自体、嘘なのよ」

「へ? う、うそ?」


 リゼットはコクンと首肯している。


「じゃあ……まだあの人ん中には、胎児がいるのか?」

「ええ、いる。アンナも後で説明するつもりだったんだろうけど……つらかったわね、ヘイカー」


 ヘイカーはホッとして、もう一度涙を流す。それが恥ずかしくて、慌てて涙を拭った。


「うわ、オレ、カッコ悪ぃ……」

「大丈夫?」

「うん……。ごめん、ありがとリゼット」


 なぜかリゼットはこの時、少し寂しげな顔で笑っていた。


 その日の夜、配達を終えてリゼットの家に行くと、いつものように夕飯が用意されていた。リゼットが自分で夕飯を作るようになってから、クージェンドは早く家に帰っているようだ。この日も彼は居ず、ヘイカーとリゼット、二人だけの食事である。


「うわ、これうめぇ! リゼット、どんどん料理上手くなるな」

「本当? 新作で少し不安だったのだけど」

「いいよ、最高!めっちゃうまい!」


 リゼットの料理をほぼ毎日食べられるなんて、夢のようである。友達という立場、万々歳だ。


「あなたに喜んでもらえるように、頑張っているのよ」

「え? へー、そう……」


 なんだか勘違いしてしまいそうな発言で、胸がドキリとなる。まさかな、と思いつつも食べ進めていると、リゼットはまた口を開いた。


「迷惑なら、言って」

「へ? なにが?」

「その、毎日料理を作って待っているのが鬱陶しいとか……」

「んなの、あるわけねーって! オレこそ、友達だからって毎日食べに来ちまって、迷惑じゃないか?」


 ヘイカーの発言に、リゼットはぶんぶんと首を振った。


「いえ、迷惑どころか……っ」


 そこまで言って、リゼットは顔を赤らめて伏せた。今までに見たことのない行動である。


「リゼット?」

「もう……ダメだわ……」

「……なにが?」


 リゼットの言いたいことがさっぱりわからず、ヘイカーは首を傾げた。一体なにが駄目だというのだろうか。


「迷惑なら、言ってほしいの……!」

「いや、だからこうして食事作ってくれるの、ありがたいって」

「そうじゃない!」


 リゼットにそう言われると、なんだか職務中に叱責された気分になる。ちょっとムッとして、彼女の次の言葉を待っていると。


「……すき、なのよ……」


 蚊の鳴くほどの小さな声で、そう言った。


「……え?」

「あなたのことが、好きで好きでたまらないの!」


 唐突のリゼットの告白だった。あまりに突然で、理解が追いつかない。ただ心臓だけはドッカンドッカンと、火山が爆発するかのように脈打っていた。


「え、えーと……」

「ごめんなさい……迷惑なのはわかってる。ただ、私はあなたのことを友達と言いながら、そう見れなくなってしまった」

「あの……マジ?」


 リゼットが恥ずかしそうにコクンと頷く。嘘のような話だ。それを信じられるようになるまで、ヘイカーは少しの時間を要した。


「断ってくれて構わないの。ただ、ちゃんと言わせてほしい」


 そういうとリゼットはまっすぐヘイカーの目を見て、ハッキリとこう言った。


「好きよ、ヘイカー。私と付き合って」


 これは夢だろうか。大好きな人が、自分に告白をしてくれている。日頃の不運など、これで全て帳消しだ。


「べ、別に付き合ってやってもいいけど」


 ヘイカーは、そう言うのがやっとだった。リゼットは「本当!?」と嬉しそうに顔をキラキラさせている。


「本当に、私でいいの?」

「うん、いいよ」

「嬉しい……!」


 リゼットの発言が可愛くて、とろけてしまいそうだ。紅潮している頬を両手で押さえる仕草は、『しゃしん』とやらに撮って残しておきたいくらいに可愛い。


「ま、よろしくな」

「こちらこそよろしく、ヘイカー!」


 二人ははち切れんばかりの笑顔で頷き合った。

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